2022年1月末、政府は佐渡金山の世界遺産登録へ向けて、推薦の手続きを進めると発表した。隣国からは強い不満が示されているという。華やかなイメージのある世界遺産にも、人々のさまざまな思いが絡んでくるようだ。
筆者はこのニュースに接したとき、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」との、ある共通した視点に思いが至った。
INDEX
- 世界遺産とはなにか
- 潜伏キリシタン、隠れキリシタン、そしてカトリック
- ある映画への批判
- 世界遺産の裏にあるもの
世界遺産とはなにか
「ウチの国の由緒ある場所を申請してなにが悪い。外国にとやかく言われる筋合いはない」という意見を持っている人もいるかもしれない。しかし、事はそう単純ではなさそうだ。
国際連合の専門機関であるユネスコが認定する世界遺産は、単に世界屈指の観光地を認定して経済を回そうぜ、などという薄っぺらな目的で存在しているわけではない。銘水百選の拡大版などではないのだ。
世界遺産の制度の根底には、1972年(昭和47年)のユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」がある。いま我々が正確な認識のために知っておかなければならないポイントは、そこに掲げられている「顕著な普遍的価値」というフレーズである。
平たく言えば、世界中どの国の人にとっても時を超えて非常に大切であるもの、ということになるだろう。
したがって世界遺産に登録されるということは、それが国を超え時代を超え、人類に共通する深い意味と高い価値のある大切なもの、ということになる。
逆にいえば、登録されたものの価値に対して疑問を持つとか異論を差し挟むということは、大げさに言えば、そうした大いなる価値を認めようとしないことであり、世界標準の価値観からずれている証拠、ということにもなりかねない。
事実、異論ではないけれど、世界遺産登録後に観光開発が進みすぎてしまったなどの理由で、ユネスコの規定により登録を取り消された例もある。
潜伏キリシタン、隠れキリシタン、そしてカトリック
ところで日本には、令和3年までに登録された世界遺産が25件存在している。その22番目に登録されたものは、平成30年の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」である。
潜伏キリシタンとは文字通り、隠れてキリスト教信仰をする人々のことである。何から隠れるかと言えば江戸幕府からの厳しい弾圧である。
なお、筆者が中高生の頃(昭和55年前後)は教科書もマスコミも「隠れキリシタン」と呼んでいた。しかし近年「隠れキリシタン」とは、明治5年に(外圧によって)禁教令が解かれた後でも江戸期以来の信仰形態を取り続けている人たちのことを指すものとして区別する流れのようである。
つまり「隠れ~」とは、観音信仰のように見せかけたマリア信仰だったり、仏教や神道と融合したり、先祖崇拝と混淆したようなキリスト信仰だったりする形態を現在でも続けており、場合によっては「自分たちはカトリックではない」として、あくまで先祖が死守し続けてきた信仰スタイルを続けているような人々を「隠れ~」と呼ぶことになるらしい。
もちろん信仰は心の問題であるから、何事もスッパリ竹を割ったように整理をつけて理解してしまおうとすることには注意が必要ではある。
ちなみに、信長・秀吉の時代から江戸初期にかけて日本に入ってきたキリスト教は、プロテスタントではなくカトリックであり、それもイエズス会という軍事組織の側面さえ持ち合わせた、戦略的かつ過激な集団によるものである。
イエズス会はそもそも十字軍やレコンキスタ(イスラム勢力を武力で叩き出す)の流れを汲んだ組織であり、言ってしまえば実力行使的にカトリックを世界へ広めていくことを目的として、奇しくも織田信長がこの世に生を受けた1534年(天文3年)に創設された男子修道会である。
マルティン・ルターなどに代表される宗教改革の動きを封じ込めてローマ教会の権威を強く押し出す活動にとどまらず、国家であるスペインやポルトガルの帝国主義、植民地主義の思想とも結びつき、彼らヨーロッパ人が名付けた「大航海時代」という時期に、植民と布教による言わば世界征服の旅に出ていくのである。
そもそも「カトリック(カソリック:Catholic)」とは、普遍的・世界的・全体的といった意味を持つギリシャ語が源の言葉である。
そして、我々人間が神とつながるためには、教会を通じること以外に方法はなく、「教会なくして救いなし」とでもいうのがカトリックの考え方である。それゆえローマ教皇をトップとした全世界に広がる教会組織システムが何より重要なのであり、教皇や教会が俗世(一般社会)に対して直接的な権力を握ることを是としてきた経緯がある。
これに疑問を唱えたのが、「95か条の論題」で有名なマルティン・ルターや、もっと過激なジャン・カルヴァンなどのプロテスタントである。
信仰はあくまでも心の問題であり、教会などという人間が作り出したシステムに依存するべきではないという考え方である。それゆえ免罪符(カトリック的には贖宥状という)といったものにも異を唱えたわけだ。
プロテスタント以外にも反カトリックとして知られるものには、英国国教会がある。こちらの方は結婚問題がカトリックからの分裂の端緒だったが、その構造としてはイングランド王を頂点とした、いわばイングランド王国版カトリックのようなスタイルである。
カトリックはその名が示す通り、その価値観や世界観を、全世界へ広めていくことこそを最大の目的としているようである。
ある映画への批判
2017年(平成29年)に、マーティン・スコセッシ監督の映画「沈黙 ―サイレンス―」が日本で公開された。この映画は、文化勲章も受けた日本の小説家、遠藤周作の小説「沈黙」をベースにしている。
しかしこれ以前の1971年にも、おなじく小説「沈黙」をベースにした篠田正浩監督による映画「沈黙SILENCE」が公開されている。
話のスジだけをごく簡単にまとめておくならば、江戸時代初期にキリスト教布教にやってきたイエズス会の宣教師が、江戸幕府の激しい弾圧や様々な苦労、裏切りなどに遭い、最後は地面に置かれたキリスト像を裸足で踏みつけるよう強要されたり、劣悪な環境の牢獄に閉じ込められたりするという話だ。
そしてこの流れを軸に、人間の弱さや、信仰(とくにキリスト教信仰)とは何なのかといったような問題を考えさせる内容である。全体を通してつらく悲しい、しかし真面目に生きようとする人であれば必ずだれもが直面する問題について深く考えさせる話なのである(クリストファン・フェレイラ神父の存在と棄教は史実)。
遠藤の小説が発表された際、この小説はカトリックやキリスト教を侮辱したものだという理由で発禁処分を求める運動もあったという。
オリジナルである小説の「沈黙」をまだ読んだことがない方には、是非まず読んでいただきたいと思うが、ここではスコセッシ版の映画について考えてみたい。
スコセッシ版については批判がある。
江戸初期の日本におけるキリスト教布教の方法に大きな問題があったことには全く触れられておらず、小説に存在していたその部分を削除したうえで、なにか美しい殉教物語のように仕上げ、帝国主義や植民地主義の正当化をしている、という意見である。
はるばる危険を冒して日本へやってきた一人ひとりの宣教師自身は、純粋な宗教的動機を持っていたのかもしれないが、その背景にはやはり、ローマ・カトリック教会の思想、そしてスペインやポルトガルの帝国主義、植民地主義が厳然と存在していたのである。そうして結局のところは、現地人(日本人)や宣教師たちに耐え難い苦しみを与えることになった。
なぜスコセッシは遠藤周作の小説をこのような映画として制作・公開したのか。それを考える時に思いつくのは、スコセッシ自身がカトリック教徒であることや、現在のローマ教皇がイエズス会出身であることだ。
つまり、スコセッシの映画制作は、かつてのヨーロッパの帝国主義、植民地主義の正当化、美化であり、ローマ・カトリック教会の大いなる戦略の一つとして行われたのではないかという見方も可能なのである。
世界遺産の裏にあるもの
さて、平成30年に世界遺産として登録済みの「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」については、その登録を疑問視する声がいまでもある。いったい何が問題なのだろうか。
それは、このキリシタン関連遺産が、「西洋中心主義(それもカトリック系)の思想が根底にあるのではないか」という意見だ。
人類、世界にとって「顕著な普遍的価値」を認める世界遺産として、キリシタン関連遺産はふさわしいと言えるのか、といった疑問である。
イエズス会は先述したように、十字軍やレコンキスタの精神を源流に持ち、実際に軍事組織を内包する団体である。
日本においても神社仏閣を徹底的に破壊したりするなど、既存の宗教と併存していこうなどという姿勢は微塵もなく、日本をカトリック一色に染め上げ、同時にポルトガルの植民地としてしまおうという考えが、その腹の底にはあったといえる。
「以後、予算増える」と覚えた1543年(天文12年)に、3名のポルトガル人がニ挺の鉄砲を持って種子島に「漂着」したなどと言われるが、どうも初めからしたたかな意図を持って日本を狙ってきていたらしいというのが、最近の歴史研究である。仮に当時の日本が鎖国をしていなければ、フィリピンや香港などと同じように、ポルトガルの植民地になっていた可能性がある。
ちなみにスペインの方は、大西洋からメキシコを経由し太平洋を航海して、つまりインド航路を回ってきたポルトガルとは反対にアジアの東の方から地球を回ってきて、同じ1543年にフィリピンに到達している。そしてフィリピンという国名は、スペイン王フェリペ2世の名前にちなんで強制的に変更された名前である。
日本を含む東アジアはこの時期、地球の東西から回り込んできたイベリア半島の二国に挟撃されるような状況だったのである。
そんな、他の民族・国民を力で屈服させ、自分たちの思想を押し付けようとした植民地主義の歴史の痕跡を「顕著な普遍的価値」として認めるということに、疑問が残るのではないか、ということなのである。
考えてみれば先述のスコセッシ版の沈黙が公開された翌年に、キリシタン遺産が登録されていることにも何か意図的なものを感じないこともない。
佐渡金山に関しては、韓国が強制労働の歴史に絡んで「歴史の否定である」として反発している。もちろんこれに対しては日本側も「いまになって急に、なに言い出してんです?」といった姿勢で反論しているようだ(佐渡金山が暫定リストに載ったのは2010年6月であり、日韓併合100周年で謝罪の言葉を述べた菅直人内閣スタート直後である)。
筆者自身は佐渡金山が登録されようとされまいと、生活上何ら利益も不利益も生じないので、「こうあるべきだ!」などと血圧を上げるつもりはない。しかし、世界的視点における「顕著な普遍的価値」を考えるにあたって、二国間の問題として論じようとすることにはいささか違和感も残る。
いずれにしても世界遺産の登録には、いろいろと人々や国家の思惑が絡んでくるものである。そもそも世界遺産という制度がなぜ始まったのか、そして誰が、どういう組織が認定をしているのか、オリンピック誘致のように裏側でなにがどう動いているのか、そんなところにも意識を向けつつ、佐渡金山の今後を見守っていきたい。
映画沈黙は数年前に見ました。あれ以前から江戸幕府がクリスチャンを圧迫し、日本が西洋の植民地にならなかったことを、喜んでいました。映画では個人の苦しみがメインになって、クリスチャンを虐待改宗させる幕府は鬼の様に描かれていますが、長い目で歴史をたどると、江戸幕府に人ありと言う感じです。特に最近のカソリックの退廃ぶり、目に余るものありです。