ハナウマ・ブログ

'00年代「ハワイ、ガイドブックに載らない情報」で一世を風靡した?花馬米(はなうま・べい)のブログです。

歴史から考える新型コロナウィルス

2020年03月12日 | 沈思黙考

新型コロナウィルスによる感染症の封じ込めに、日本はもちろん各国の政府は躍起になり、人々のあいだに混乱と困惑が広がっている。
当然ながら医学的・疫学的な知見にもとづく対応や、経済の安定へ向けた施策が重要だ。しかしそれだけでは、場当たり的な対処法しか見えていないという気もする。
この項では、いま取り沙汰されている「新型コロナウィルス」というものから一歩引いて、ウィルスと人間のかかわりに関する歴史をザっと眺めることにより、我々がいま、どういった心構えを持つべきなのかを考えてみたい。

紀元前

ローマ帝国は地中海沿岸に急速にその領土を広げたが、それは未知の病原体との出会いの歴史ともいえた。そしてこの帝国の衰退の一因として挙げられるのがマラリアなどの感染症の流行である。

中世ヨーロッパ

14世紀の中盤にペスト(黒死病)がヨーロッパで大流行し、2千5百万人以上が死亡した。当時のヨーロッパの人口は7千万人。じつに35%以上を失ったことになる。
4千5百万人にまで落ち込んだ人口が5千万人になるまでには、その後100年かかっている。そしてもとの7千万人に戻るまでには、さらに200年を要している。

当時のヨーロッパは農業が産業の中心だったが、広大な農地を所有する領主たちは、働き手が減ったせいで、他よりも良い条件を提示しなければ農民を確保できなくなる。その結果、土地を維持できなくなった領主はその地位を失っていったのである。反対に農民たちは土地に縛られることなく、より条件のいい領主のもとへ移動する自由を得た。

大航海時代

大航海時代の1492年、スペイン王の命を受けたコロンブスがアメリカ大陸に到達する。ヨーロッパ人にとっては新大陸到達の快挙であるが、アメリカ大陸に住む人々にとっては悲劇の始まりであった。
このコロンブスの「快挙」から30年、スペインのコルテスなる者が率いる数百名の軍隊が、当時のアステカ帝国(現在のメキシコ)の首都で人口200万を超えるテノチティトランを征服し、アステカ帝国が滅亡する。

そもそも大陸の人口は、コロンブス到達時はおよそ8千万人だったらしい。しかしその50年後にはわずか1千万人にまで減少する。
この人口激減を招いた理由には、スペイン人による大量殺りくや、鉱山などでの強制労働も挙げられるだろうが、ヨーロッパ人が初めてアメリカ大陸に持ち込んだ伝染病(それも一つや二つではない)が大きな要因となっているのはまず間違いない。
なかでも代表的なのが天然痘である。天然痘は強い伝染力を持つ天然痘ウィルスに由来し、高い死亡率をもつ。

全身に発疹が現れて次々に死んでいくのは原住民だけで、ヨーロッパ人には何の症状も出ないという不思議な状況は、免疫の知識などなかった当時の人々にとって、神の仕業か何かとしか考えられなかった。
アメリカ大陸の人々にとっては、まさに世界観の崩壊である。

その後、レーウェンフックによる顕微鏡の発明、コッホやパスツールによる微生物(感染症を引き起こす病原菌)の発見や研究、ジェンナーによる天然痘ワクチンの発明という歴史的な偉業の積み重ねにより、1980年ついに人類は、この世界から天然痘を根絶した。人類の勝利といえる。

スペイン風邪(当時の新型インフルエンザ)

第一次世界大戦中の1918年、当時の新型インフルエンザで4千万人以上が死亡している。戦死者が1千万人といわれるわけだから、人類に与えた猛威はすさまじいものがある。第一次世界大戦の結果を左右したともいえそうだ。

そしてこの時のインフルエンザウィルスはその後も突然変異を繰り返し、「新型インフルエンザ」と呼ばれていまも人類を脅かしている。
では、天然痘ウィルスのように、インフルエンザウィルスを根絶させることはできないのであろうか。

1980年に根絶することができた天然痘は、人にしか感染しないものであったため、世界中の人々に徹底的にワクチンを打つことによって患者数を激減させることが出来た。しかしインフルエンザウィルスは地球最大規模の「人獣(じんじゅう)共通感染症」であり、根絶は不可能である。
世界中の人だけでなく途方もない数の野生動物にワクチンを打つなどということは、どう考えても不可能だからである。
それに、膨大な数の個体に感染が広がっていく間に、次々とインフルエンザウィルスは突然変異を遂げ、その性質を変化させていく。その変化に合わせてワクチンを作り続けるなどということも不可能だ。
1個のインフルエンザウィルスは、24時間で100万個に増える。

元お笑い芸人だった県知事が「高病原性鳥インフルエンザ」の終息宣言をする記者会見や、鶏舎に白い粉をまく映像が記憶に残っている(2007年)。
あれは、人への感染力と、人から人への感染力を獲得(突然変異)したインフルエンザウィルスによって、それまで鳥の世界の病気だったものが、人の病気として新たに登場してきたケースであった。

まとめ

人類はウィルスとの戦いの歴史において、「ある者は死に、ある者は生き残り」ということを繰り返してきた。いま地球上に生きている我々は、じつはウィルスとの戦いに生き残った人類の子孫だったのだ。このことは、大規模な感染拡大を食い止めることができず、実際に甚大な被害が出てしまい、生き残る者だけが生き残ってきた歴史ともいえる。

しかし21世紀の現在、我々は過去の歴史に学んで、決して甚大な被害を発生させてはならない。そのためには我々一人ひとりが、根拠のない奇妙な物語(情報)に踊らされず、科学的知識を正しく知るとともに、歴史をも学んで冷静に判断・行動することが大切になる。

これからもしばらくは、社会のあらゆる分野において、新型コロナウィルスにまつわる様々な「もの」や「こと」が目の前に現れてくるだろう。そのとき我々はどう考えるべきなのか。
科学的知識を持たず、強い疑問に駆られつつ、苦しみながら死んでいった多くの人々のことをも頭の片隅に、現代の我々は「もの」「こと」に向き合っていきたい。


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