最近、日本人は踊り始めたと感じています。
テレビコマーシャルをはじめ歌手や俳優と呼ばれる人たち、日本各地で行われる踊りのイベントなどなど。
もちろん年中行事としての祭事における踊りは、長い歴史と伝統の上に存立する、いわば祈りに分類されるようなものでもあり、ここ十数年で増えてきたと私が感じている踊りとは異なります。
つまり、決して踊りがなくても成立するところに敢えて踊りを入れ込んできたり、何もないところに踊りを投下して見せたりということが増えてきているように感じるのです。
ひとことに踊りといっても様々ですが、十数人以上の大勢の人が同時に、ほぼ(またはまったく)同じ踊りをするというパターンをよく見かけます。たとえばテレビコマーシャル。スマホ向けゲームのCMやメガネチェーンのCMなど、少し民放を見ているだけで必ず出くわします。
テレビの世界以外にも、「よさこい」「ソーラン」など、決して伝統的な神事仏事とは関連のない踊りのイベントが、ここ二十年ほどで日本の各地に盛り上がってきています。これらの仕掛けられた踊りのイベントは、単に商業主義的な意味合いだけにとどまらず、不良的な少年が世代を超えて社会参加していけるための、重要な機能を果たしていると評価する向きもあるようです。
ハワイのフラ、ブレイクダンス、その他さまざまな種類の踊りを、基礎からしっかり学んでみようという人々も増えているように感じます。特にフラなどは年配になってから始めることも難しくはないため、広い年代の女性がフラを始めようとするようです。もちろん健康維持の目的もあるかもしれません。
地域おこしのキャラクターも、かぶりものに入って踊る方が受けるといいます。NHKでも「イカ大王」が一流の振り付け師によって楽しく踊っています。
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さて、なぜこのところ日本人は踊り始めるようになったのでしょうか。それも満面の笑顔で幸せそうに。
思いついたのが「ええじゃないか踊り」です。江戸時代末期、まさに一つの時代が終わりに差し掛かり、人々は将来が見通せない不安に駆られ、それを吹き飛ばすかのように、半ばやけになって庶民が踊りだした、というものです。
また人は、どうしようもない悲しみや失望に追い込まれたとき、フッと笑みを見せることがあります。「もう、笑うしかない」というやつです。
日本各地で起きている大規模な自然災害の報道で、インタビューに答えて笑みを浮かべる人もいます。理屈からいえば、笑っている場合ではなく、泣きたいか、怒りを爆発させたいところでしょう。海外の被災地レポートで、笑みを浮かべている被災者はまず見かけませんが、しかし日本人は笑みを見せる。悲しい笑みを。
いよいよ少子高齢化がスタートし、自然災害が相次ぎ、子どもも高齢者も生きにくい世の中になり、より信頼できるはずの職業や団体での不祥事が相次ぎ、高度成長期にできたインフラは一斉に老朽化を迎え、高度なシステムの脆弱性が露わにされ、若者は将来の自分に希望を持てず、政治は国の在り方を大きく変えつつあり、何の落ち度もない人が犯罪に巻き込まれていく。
いささか悲観的過ぎる言葉を並べたてましたが、おそらく多くの人は日常生活の中で、皮膚感覚で、何とも言葉では説明しきれない不安を押し隠して日々を送っているのかもしれません。そうして半ば本能的に踊りだし、あるいは満面の笑顔の踊りを見ることによって、しばしその不安を忘れているのだとすれば、これは形を変えていま染み出してきている、日本人全体の「ええじゃないか踊り」なのかもしれない、と思うのです。
しかし同時に、この踊りが悲観的な気分を叩き壊し、新しい時代を切り開くものであってほしい。そう願わずにはいられません。