ハナウマ・ブログ

'00年代「ハワイ、ガイドブックに載らない情報」で一世を風靡した?花馬米(はなうま・べい)のブログです。

アピールチャンス考

2021年04月15日 | 沈思黙考

ここでいう「アピールチャンス」とは、あくまでもgooブログ会員に向けた一つのソフトウェアサービス・機能のことだ。自分が書いたブログ記事を、おもに他のgooブログ会員へ宣伝することができ、より多くの人に読んでもらえたり、「いいね」などの反応が得られたりしやすくなるというものだ。ほぼ自己満足の世界とも言えるけれど、他者からの反応・評価が得られれば単純にうれしい。今回はこの仕組みについてあれこれと考えてみる。

アピールチャンスとは

gooブログ会員が自分のブログを管理したり、他の会員の記事を効率的に閲覧したりするためのスマートフォン向けアプリに「gooブログアプリ」がある。このアプリには、「アピールチャンス」と呼ばれる機能がある。自分の書いた記事を宣伝できる権利が不定期に与えられるというものだ。これを活用して自分の投稿記事をより多くの人に読んでもらうことが可能となる。

アピールチャンスが与えられた時はプッシュ通知で知らせてくれるので、基本的にはスマートフォンを操作していなくとも自分にチャンスが巡ってきたことがわかる。ただし有効時間が30分なので、気付かなかったり無視したりすればこの回のチャンスは流され、またいつ来るかわからないチャンスを待つことになる。

時間内にアピールの操作をすると、同じアプリをインストールしている他の会員の画面内に、記事タイトル、記事内の画像、そして短い紹介文が表示される。
記事に画像が使われていない場合は既定の壁紙が背景にセットされる。また短い紹介文は毎回のアピールチャンスごとに自分で作成できる。

アピールされた記事は、他の会員のものと合わせ計7件の記事が自動横スクロールで表示される(指でスクロールも可能)。表示時間は1記事1回当たり6秒だ。これがある時間くり返される。そしてこの7件は「先入れ先出し」方式で流れていき、やがて数分~十数分ほどで表示されなくなる。
アピール画面内の記事に興味を持った人は、それをタップして記事を読み、気に入れば「いいね」などの意思表示ができる、という流れである。

なお画像解析機能があるようで、目立たせようとたくらんで「一色ベタ塗り」のような画像を使っても無効化されるようである。また記事タイトルも「殺」など特定のキーワードが含まれている場合はアピール機能が働かないようになっているようだ。
またこのアピールチャンスはブログ管理アプリの一機能だから、必要が無ければ設定をOFFにしておけば通知されることはない。

2種類ある?アピールチャンス

さて本題に入っていこう。
筆者の観察と体験によれば、アピールチャンスは2種類ある。いうなれば「ハッキリ・チャンス」と「コッソリ・チャンス」である。

アピールチャンスが自分にめぐってきたとき、本来なら通知音やバイブレーションといった方法でユーザーに知らされるようになっている。
しかし、音や振動による通知がないままにアプリを開いてみると、じつは「コッソリ」とアピールチャンスが来ていることがあるのだ。
筆者は夜間であっても通知音やバイブレーションが自動的に小音量化されたりOFFにされたりしないようにしているので、やはりこの「コッソリ・チャンス」というものが、システム仕様として組み込まれているのではないかと考えている。それはこのコッソリ・チャンスが、gooブログアプリの「お知らせ」には履歴として残らないことでも、「ハッキリ・チャンス」とは別仕様になっていることがわかるからだ。

仮にそうなのだとしたら、自分の記事をアピールしたいと考えている人はたとえ音や振動がなくとも、ついこのアプリを開いてしまうような行動パターンに繋がりやすくなる。そうしてまんまと?自分とgooブログとが切り離せない心理状態に追い込まれていくのではないかと邪推している。

時間帯や曜日のちがい

邪推ついでに付け加えるとすれば、最新記事を投稿してからの経過時間、アプリの参照時間(使用時間)やその間隔、使用時間帯などあらゆるデータはシステム側でパラメーターとして取得されていて、これらのデータと乱数を組み合わせてアピールチャンスが巡ってきているようにも感じる。

たとえば深夜早朝は、先に説明した7件の「先入れ先出し」がなかなか入れ替わっていかないが、平日日中の昼休み時間帯などは短時間に流れ去っていくという傾向がある。
つまり需要(アプリ使用ユーザー数)も供給(アピール数)も減ってしまう深夜早朝時間帯は、アプリの魅力が低下してしまうともいえる。
筆者は、自宅ではスマホアプリでラジオを聴きながら寝ているが、早朝などにふとgooブログアプリを開いてみると「コッソリ・チャンス」が来ていることがこれまで何度もあった。
自動横スクロールのアピール画面が変り映えしなくなる深夜早朝などの時間帯や、日中でもアピール数が減ってきたような時には、ブログ活性化のため「コッソリ・チャンス」がばら撒かれる仕掛けなのかもしれない。

それから、アピールする日時と記事内容の組み合わせもポイントであるような気がする。
筆者の場合、世間で問題になっていることに関する意見とともに、ぶらぶら歩きレポートや生活上の工夫みたいな記事を書いているが、たとえば金曜日の午後から夜あたりにアピールチャンスが来た場合、難しい主張などの記事を出すのではなく、お楽しみ系の記事を選ぶようにしている。週末の行動にヒントを与えるような効果があると思っているし、事実そうすることによって明らかに反応が違ってくるからだ。

逆に平日の朝にアピールチャンスが来た場合は、社会問題などのちょっとカタイ記事を入れてみる。コロナ禍とはいえ人口が集中している関東地域では、この時間帯に電車移動している人が多く、吊革につかまりながらネットニュースなどを読んだりする人が多いと思われるからだ。そして出勤時の意識としては、これから会社・社会と関わることになる準備段階だから、問題提起のようなカタめの記事も反応がよくなる。

アピールの工夫

さて具体的にアピールの操作をする場合、記事を選んで紹介文を入れるという二つの作業がある。このとき筆者は紹介文を「無し」にする場合がある。
アプリの仕様では、紹介文を入れずにアピールすると「ブログ書きました!」というありきたりな文章が自動挿入されてしまうが、かといって適当な紹介文も思い当たらない場合などは、スペース(空白)を一つ入れて送信するのだ。
こうすることで空白文字が表示されることになり、それはつまり紹介文の欄に何も表示されない、スッキリした画面になるというわけだ。記事タイトルだけが強く印象付けられる画面構成が狙える。

また背景となる画像もちょっとした注意が必要だ。画像は自動的に切り取られて使用されるようなのだが、アピール画面の見た目という意味では、背景には不向きな画像がある。
ひとつは文字がたくさん並んでいたり、細かい柄になったりしている画像である。もうひとつは暗くも明るくもない明度の色が入っている画像である。
こういった部分がちょうど画像の下部にくると、紹介文と重なって読みづらくなるのである。
たった6秒で流れていく自動横スクロール画面で、いかに見る人の気持ちを引き付けるか。よい画像とキャッチィな文言を入れたとしても、その最終的な組み合わせで損をしている場合もあるのだ。

さらにいえば、(あたりまえかもしれないが)世間はカレンダー通り、時刻通りに動く人が圧倒的に多い。そういった社会リズムとでもいうものを意識しておくとよい場合がある。
たとえば11時55分ころにアピールチャンスが来た場合、あわてて送ってしまうのではなく、12時を過ぎたころに送信するのである。そうすることによって、昼休みに入った人がスマホを手に取るタイミングを狙えるわけだ。
ちなみにアピールチャンスの制限時間は30分だが、実質的にそれより短い時間で無効となる場合がある。例えば25分経過してから満を持して送信しようとしたらなぜか有効期限切れとなってしまい、すっかり落胆させられる場合があるのだ。理由はわからないが、待ち過ぎはリスキーなのである。

なんだかテレビのCMや番組編成のような話になってきたが、似たようなところもあるのではないだろうか。

だけど一喜一憂しない

こうして縷々(るる)書いてくると、筆者を「いいね亡者」のように思われるかもしれない。しかし矛盾したことを言うようだが、こんなもので一喜一憂していてはいけない。多少盛り上がったとしても、それはブログという形式のSNS空間に、ひととき咲いた徒花(あだばな)のようなものだと筆者は考えている。
評価されたときは素直に喜んでもいいが、非難めいた反応があったり、あるいは反応すら無かったりしても落ち込んだりする必要などまったくない。
自分が自分らしく感じたことを文章や画像にして投稿すれば、それでいいのだと思っている。

筆者の記事は、わりと社会問題に対する主張が多いせいか、非難コメントも時々来る。しかしそれらは論理的に破綻していたり、日本語の文章として成立していなかったりする場合がほとんどだ。だいたい当該記事をキチンと読まずに、方向違いの苛立(いらだ)ちを爆発させているものもある。つまり、相手にする価値のないコメントである。そんなものに心を乱されてはいけない。「華麗にスルー」つまり粛々と「削除」、場合によっては「通報」である。

そもそも、キチンとした意見や反論を持つような人物は、いちいち素人のブログに反応して意見(というより嫌がらせに近い)をぶつけてくることなどしない。それが時間の無駄であり無意味であることを知っているからだ。
過度に熱心なSNSユーザーと、「時間はあるが金はない」という層がかなりの部分で重なっている、というのはおそらく真実だろう。やるべき事、やりたいことが他にある人は、SNSに時間を割いているヒマはないという当然のことを、今一度思い返せばムダに心を乱すこともない。

リアルな世界で行っているビジネスや諸活動に関したブログ、または著名人など書き手自身に一定の商品価値があるような場合ならともかく、我々一般人にとっては、「自分の考えや感覚から生まれ出た文や画像が、(理論的には)世界中の人が見てくれる場に置かれている。そしてある期間そこに残っている」という状態を感じることそのものが、ブログの価値なのだと思う。
そしてそれによって、ブログ投稿以外のあらゆる自分の生活にもいい影響があるのだとすれば、それで十分だと思うのだ。さらにもし、何らかの部分で共感できる他者の存在を感じることが出来たなら、もう万々歳ではないだろうか。

仮に「いいね」などの評価が期待したほど得られなくとも、もっと大勢の「非gooブログ会員」が読んでくれている。その人たちは「いいね」を表明できなくとも、しっかりと何かを感じてくれている可能性があるのだ。そういう想像もしながら、自分らしく自分のペースで投稿していけばいいのではないかと思っている。


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