ハナウマ・ブログ

'00年代「ハワイ、ガイドブックに載らない情報」で一世を風靡した?花馬米(はなうま・べい)のブログです。

400年目の新大陸「アメリカ」

2020年06月20日 | 沈思黙考

2020年の今年、アメリカではウイルス問題に加えて黒人差別問題が沸騰している。その今年からちょうど400年前、ピルグリム・ファーザーズと呼ばれる人々が、3本マストの帆船メイフラワー号で新大陸(アメリカ)に到達している。今回はこのあたりに意識を動かしてみたい。

アメリカの始まり

我々日本人の多くが「漠然とイメージするアメリカ」の始まりをどの時点とするのかは、さまざま考えられる。
宗主国イギリスの政策に反対して、船の積荷であった茶箱を海に投げ捨てた1773年のボストン茶会事件。
その後、当時の北米13の植民地が結束して戦い、採択に至った1776年の独立宣言。
そして遂にイギリスがアメリカの独立を承認した1783年のパリ条約締結。
試験問題に出るような政治的な動きで見るならば、こういった18世紀後半のできごとが思い浮かぶ。

しかし、2020年のいまからちょうど400年前という時代を切り取ってみるならば、17世紀の前半、1620年当時のアメリカは、当然ながらアメリカ合衆国も成立していないし、イギリスによる植民地化も緒についたばかりだった。
そこへやってきたのが、有名なピルグリム・ファーザーズを乗せた帆船、メイフラワー号だった。

本稿ではあえて、この1620年を「アメリカの始まり」として考えてみたい。

メイフラワー号とは何か

今日のアメリカ人の少なくない人々が、自分たちの先祖だと信じているらしいのが、17世紀初頭に帆船メイフラワー号に乗って大西洋を渡ってきた、ピルグリム・ファーザーズと呼ばれる人々だ。
ただし、乗客のすべてがピルグリム・ファーザーズだったわけではない。

この船には、強い宗教的思想に突き動かされて新大陸を目指した人々だけでなく、単に新天地で一旗揚げてやろうと考えている人たちも大勢乗っていたのである。
いわば希望と野望が船に乗ってやってきたわけであり、決して宝船に乗った七福神のようなイメージではない。

では、ピルグリムとは何なのか。
端的に言えば、イギリス国教会の宗教弾圧を逃れてきたピューリタンと呼ばれる人々のうちの、ひとつのグループである。つまり、自分たちが信じる形でのキリスト教のあり方を、新大陸に渡ることによって実現しようとしたグループ、といえばわかりやすいかもしれない。

アメリカの源流はプロテスタント思想

ここで、ザックリと歴史をさかのぼってみよう。

16世紀の初め、それまでのキリスト教のあり方、すなわちカトリックに対抗する形でプロテスタントという流れが始まった。「宗教改革」である。
それまで神と人間との間には、教会や、司教などといった聖職者が介在し、これらが存在・仲介することによってのみ、神と人間は関係を持つことが出来るのだというのが、ごく当然の世界観(筆者が言う「この世の見え方、整理の仕方」)であった。

しかし、しだいに教会や聖職者の堕落・腐敗が目立つようになり、これはおかしいのではないか、という考えが出てくるようになる。
ここで現代日本の凡人としては「免罪符(カトリック主観では贖宥状)」といった言葉が思いつく。このしくみで集めた金の一部は確かに聖堂の修復などに充てられたようだが、それでもかなりの部分において聖職者たちの私的利益になっていた。

ドイツのマルティン・ルターは、信仰はあくまでも人間の内面と神が直接的につながるべきであり、具体的には聖書に拠ってのみそれが実現できるのだと主張し始める。人間が作り出した、教会や聖職者といったシステムが、宗教的権威を背景にして人々を従属させるような信仰スタイルに、強い疑問を提示したのである(今日でもカトリック教会では「神父様」だが、プロテスタントのそれは単なる「牧師」であり、いわば一般人のうちの代表世話人といえようか)。

そしてルターは1517年、「95ヶ条の論題」を公の場(城教会の門)に貼り出し、世間に大きな議論を巻き起こす。4年後の1521年、カトリック側は(そもそもキリスト教の修道士であった)ルターを破門にする。まるでユダヤ教の信者だったイエスからキリスト教が生まれたような構造にも見える。
ルターは決して、ローマ教皇をトップとした教会システムや、聖職者といったものを「全否定」したわけではなかったようだが、結果としてこれらの存在を相対化させてしまったことには違いない。
「全否定」というか、ルターより激しく批判をあらわにしたのは、スイスのカルヴァンであったが、こういった問題意識はうねりのようにヨーロッパに広がっていく。

ところで、この16世紀前半という時代に、あるひとつの考え方が急速に広がっていった要因の一つとして、そのころ普及しはじめていたグーテンベルクの印刷技術(活版印刷)があったことは見逃せない。すなわち現代と同じく情報技術、ITによって人々の世界観に変化がもたらされたのである。
くわえて、ラテン語でしか記述されていなかった聖書が、ルターの翻訳によって多くの人が読めるようになったことも大きい。つまりそれまでは、聖書にいったい何が書かれているのかについて人々は、教会で聖職者たちから教えてもらうほかなかったわけだ。そもそもラテン語の文字すら読めない人がほとんどであったろう。
こうしてみてくると、当時の教会や聖職者たちの、堕落と腐敗の背景には、情報(神の教え)の独占構造があったといえるのかもしれない。

イングランド国教会

そんなヨーロッパでも、イギリス(当時のイングランド王国)では少し変わった状況になっていた。イングランド国教会の存在である。

これまたザックリ言ってしまうならば、「ほとんどカトリックのようなプロテスタント」である。
確かにローマ教皇をトップとしたカトリックのシステムからは分離しているものの、代わりにイングランド王国の王様が教会組織のトップになっているという、独特の組織体制になっているためである。
それゆえ儀式なども含めて権威主義的であり、本来のプロテスタントからは反感を買っていた。

考えてみれば今日でも、分離独立したものの構造的には元の体制とはなんら変わっていないという例はよく見聞きする。
そもそもイングランド国教会は、宗教的思想の違いによってカトリックから分離したのではなく、政治的な事情で分離しているのだ。

さて、そんなイングランド国教会に反対の姿勢を示す人々も、これまた穏健派から極端な急進派までさまざまだった。
なかでも「ここ(イングランド王国)にいては埒(らち)が明かない」と考えた一部の人々は、当時宗教的に寛容であったオランダへ亡命する。そしてオランダで12年を過ごし、ついに「オランダの」デルフスファーヘン(Delfshaven)の港から、アメリカ大陸へ出航するのである。
なんと、メイフラワー号はイギリスから出航したのではなく、オランダから出航していたのである。
いまでもデルフスファーヘンに存在する「ピルグリム・ファーザーズ教会(Pelgrimvaderskerk)」は、オランダ観光の名所のひとつに挙げられている(ついでに言うなら「ピルグリム・ビール」も楽しめる醸造所もあるようだ)。

そして400年前の北米東海岸へ

正確に言うとメイフラワー号は、オランダからスタートしたものの、イギリス南部の港を経由したあと、大西洋を横断している。
なぜオランダからまっすぐ北米を目指さなかったのかといえば、メイフラワー号のほかにもう1隻、小ぶりの船が同行していたためのようだ。この船が航海中に浸水を起こし、その修理のためにやむなくイギリス南部に寄港したようなのだ。
しかしこの浸水も、事故ではなく、新大陸を目指す航海を嫌がった乗組員による、意図的な破壊工作だった可能性も指摘されている。つまり、メイフラワー号は全員が全員、希望に満ち満ちた人々で埋め尽くされていたわけではなかった。

こうしてメイフラワー号は、当初2隻体制での航海を計画していたものの、単独で大西洋を渡ることになる。
航海はハドソン川の河口を目指したというから、今でいうニューヨークを目指したということになる。
ちなみにニューヨークは当時、オランダの植民地としてニューアムステルダムと名付けられる前後であり、単なる「北バージニアの入植地」といったありようだった。

ところがメイフラワー号は北へ北へと流され、予定とは全く違う場所、ケープコッドにたどり着いてしまう。もともとオランダを出てから「寄り道」をしていたこともあり、すでにそこは冬の厳しさに覆われていて動きが取れず、けっきょく越冬期間中に乗員乗客のそれぞれ約半数が病死してしまう。
生き残った五十数人の中には、先述の通りピルグリム・ファーザーズのほか、大陸で一旗揚げようとしていた商売人や労働者も含まれていたわけだが、どうやらこの人々が最初の移民といえそうだ。
つまり宗教的使命感と飽くなき欲望を乗せた船が、インディアン(ネイティヴ・アメリカン)の住んでいる北米大陸に入ってきた、というのがアメリカという国の発端に関係しているのである。

アメリカのDNA

古今東西、人間がよその土地へ進出するとき、使命感と欲望が原動力となっているようだ。
ピルグリム・ファーザーズに始まるアメリカの歴史において使命感とは、「マニフェスト・デスティニー」である。もちろん選挙公約ではないし、産業廃棄物の処理ステップでもない。
直訳すれば「約束された到達地」かもしれないが、一般的には「明白なる天命(使命・運命)」とされているようだ。

簡単に言えば、「神のご意思を受け継いで、選ばれし我々こそが、野蛮な土地・人民を駆逐し、あるべき人間世界をこの地上に実現する」とでもいおうか。
北米大陸の先住民との間に美談のようなものも一部はあったかもしれないが、基本的にはこのマニフェスト・デスティニーの思想が、「神より与えられし空間」としての北米大陸を、西へ西へと侵攻していく西部開拓の原動力であり、先住民の生活や文化を破壊する自分たちの論理であった。こういった使命感が根底にある限り、実現のためのあらゆる手段も、いつしか正当化される。
現代においても、奇妙なリクツをこねくり回して自分を正当化するアメリカ人、アメリカ系企業などを見聞きするが、その精神の根底には、「オレたちって、神から選ばれし正しい人間ですから」といった意識が、ひそかな通奏低音のように横たわっているような気がしてならない。

WASP(わすぷ:White, Anglo-Saxon, Protestant)という言葉もあるが、精神・心理的DNAとして「マニフェスト・デスティニー」が存在する限り、「オレたちが正しい」はなくならない気がする。
そしてこういったことは、世界中のどこにでも、そして現代にも厳然と息づいている。

どの国も、どの地域も、どの宗教も、「オレたちこそ正しい」となれば、相対的に悪を生じさせることになる。この発想に立ってしまうなら、永遠に差別や紛争はなくならない気がしてくる。つまり残念ながら差別や紛争は、今後も継続的に存在しうると考えられるのである。

そして「ワン・チーム」

ところで、ここ最近「ワン・チーム」という言葉をよく耳にする。
きっと本来の意味は、異なる出身、異なる思想、異なる皮膚の色、そのほか「異なる〇〇」であっても、ある一つの目的のために一致団結し、その多様性を活かして目的を達成するということだと思う。
つまりプロジェクト発想であり、目的達成後はチームは解散し、それまでの拘束はなくなり、それぞれが自由にまた、あちこちでワン・チームを作ればいいのだろう。

ところが時々、その集団への帰属を強制し、他を排除する同調圧力集団という意味で「(オレたち)ワン・チーム」という言葉が使われている。この発想では平和や発展のためのワン・チームなど期待できるはずもなく、差別や排除、服従のためのワン・チームになってしまう。

大切なのはキャッチフレーズ的な言葉遊びではない。言葉のウラに宿っている、その人の思想や哲学なのだ。
2020年のいま、「黒人差別」が本当はいかなることであるのか、実感としてピンとこないというのが、多くの日本人の偽らざる気持ちではないだろうか。
であるならば、自分の周りにあるさまざまな「ワン・チーム」が、どういう思想や文脈で語られているものであるかに、意識を向けてみるのはどうだろうか。


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