来年2021年のデジタル庁設置に向けて、その開設準備室がスタートした。デジタル庁の仕事は役所内部のデジタル化、IT化の推進ということのようだが、筆者の懸念が取り越し苦労に終わることを願うとともに、これを機に「IT選挙」「定数削減」の議論が盛り上がらないものかと考えている。
デジタル庁はなにをするのか
来年2021年秋までのデジタル庁設置に向けて、まずは内閣官房IT総合戦略室(東京・虎ノ門グローバルスクエア17階)という組織の中に、そのための準備室が設けられた。経済産業省や総務省の職員ほか、民間人を加えて総勢60人態勢だそうだ。
デジタル庁がやる仕事は、ITによる役所内部の業務改革、システム改革とのことだ。
各省庁、地方自治体、各行政機関の間の情報のやり取りを、コンピュータとネットワークを利用した(おそらく)同一システム基盤の上で一元的に行えるようにし、国民の行政手続きを便利に行えるようにすることなどを目指す。
先ごろ国連の経済社会局(UNDESA)が発表した世界電子政府ランキング2020では、1位がデンマーク、2位が韓国、3位がエストニア、続いてフィンランド、オーストラリア、スウェーデン、イギリス、ニュージーランド、アメリカ、オランダ、シンガポール、アイスランド、ノルウェー、ようやく14位に日本となっている。
日本では現在、たとえば引っ越しした場合の各種手続きに、複数の行政機関に出向いたり手続きしたりする必要がある。最近では新型コロナウイルスに関する保健所からの連絡がファクスで行われていたということが疑問視された。特別定額給付金支給までの長い期間には困った人も多いはずだ。東京・江戸川区など一部の地方自治体では「立て替え払い」で住民に対応したが、本来この作業自体が余計な仕事、コストである。
既述のランキング2位の韓国では、たとえば引っ越しの際は、スマートフォン等で1度手続きすれば、行政手続きが完了するのだそうだ。
ちなみに韓国では、ストアード・フェア方式(Suicaのようにカード自体に運賃をためておく)の乗車カードの規格統一・普及は日本よりもかなり早かった。当時ソウル特別市に一泊旅行した際、その利便性に感心した筆者は「少なくともこの部分に関して、日本は劣後している」と感じたものだ。もっとも、国家権力の産業界に対する強制力が異なるから一概に比較はできない。
いずれにしろ、日本の行政手続きのIT化推進が重要であることは間違いなさそうだ。
「デジタル新税」とその他の懸念
筆者の取り越し苦労に終わってほしい懸念が、「デジタル新税」とでもいうものである。
今回のデジタル庁設置は、単にひとつの役所が増えるということではない。行政全般のIT化を推進するということだから対象範囲は非常に広いし規模も大きくなる。金もかかる。
「広く一般国民に資するための行政のIT化推進には、国民の相応の負担が妥当」みたいな論法で、既存の税制の改正理由にされたり、新税の創設となって、さらに税負担が増したりするような流れがあるとすれば、しっかりと関心を持って見つめておく必要がある。
また当然のことながら、国家プロジェクト的なIT化は該当する産業に大きな影響を与える。IT産業は今後、あらゆる手段を尽くして各種調達、規格統一のシーンなどで利益拡大に躍起になるだろう。またぞろ大手広告代理店などというものも、巧妙に影響力を見せてくるかもしれない。
いったい、仕事をする組織のデジタル化とかIT化というものは、単にコンピュータとネットワーク、ソフトウェアシステムを活用すれば、スグに物事がうまく行くというものではない。
仕事をコンピュータシステムに乗せる前に、それまでの仕事のやり方の見直しが必要になる。属人的な業務はもちろん、「局」「部」「課」「班」などといった、組織のあらゆるレベルにおけるローカルなやり方を見直し、仕事のやり方、進め方を統一しておく必要がある。もちろん、範囲は霞が関の省庁だけではない。全国の都道府県、市区町村に広がるだろう。いわゆる役所だけではない。どこまで広がるのかはわからないが、警察、保健所、入出国管理、税関、検疫所、税務署、国立病院など、あらゆる機関の多くの拠点で進めていく必要がある。
各機関、各地域それぞれで、すでに独自のシステムを導入して仕事をしている場合は、これも廃止・統合・あるいは新規改変が必要になる。そうとう「しんどい」作業になるのではないかと想像する。
業務システムの導入や統合にはトラブルがつきものだ。それぞれの組織の主張が強すぎてまとまらないと、無理やりな折衷案が政治的に推し進められる。科学的・合理的・技術的な事情は無視される傾向にある。みずほ銀行のシステム統合にともなう、たび重なる重大なシステムトラブルを思い出すが、規模は異なれど、こういったことは日本中の組織で起きているといっても過言ではない。
しかし、だからといって行政のトップの側が強権的に特定のソリューション(解決策:業務システムを構成するあらゆる製品やサービス)を推し進めれば、ウラ事情を疑われる。
行政全般にわたる情報システム基盤の構築で、これをどう利活用するのかも非常に重要な問題となる。北欧諸国のような透明性を持たせられるのか、それとも近隣のあの国のように積極的な国民統制に足を踏み入れるのか。同じ道具でもそれを使う人・主体によって結果は大きく異なってくる。
やはり、デジタル庁を監視する第三者機関はどうしても必要だ。
IT選挙とは何か
ここで話はやや飛躍する。
行政内部の仕事をIT化できるのであれば、選挙制度もIT化を進められるのではないか、という発想だ。しかし「デジタル庁がやる仕事ではない」というのは、その設立趣旨からいってもっともである。それにデジタル「庁」というからには、時の政権の下にぶら下がるわけだから、選挙制度改革につながるIT選挙は微妙な問題だ。
ただ現行の選挙制度が、より理想的な民主主義国家の形であるかどうかということについて、継続的な議論は必要だと思うのである。そのための問題意識の盛り上がりを期待したい(可能ならばデジタル庁で、IT選挙に関する調査・研究、結果の公表ができればいいのだが、まぁそうはいかないだろう)。
日本で選挙というと、連日の選挙カー合戦が静まった後、自宅のポストに届いていた投票所入場券を持って近所の公民館や小学校(あるいは期日前投票所)に行き、投票するというパターンが基本だ。しかし考えてみれば、入場券を持ってきた人物が本人かどうかの確認は、きわめていい加減である。そのため投票所入場券の売買が行われているというような話も聞く。
また現行の物理的な投票方式は、対象地域にいくつもの掲示板を建て、投票所を開設し、多くの人員を投入する必要がある。そしてその投票所に足を運ぶことが困難な有権者も少なくない。
こういった面に関しては、IT化でかなり改善することが出来る。それだけではない。もっとも重要なポイントは「限りなき直接民主制へのあしおと」である。
投票所での投票という物理的行動と、あいまいな本人確認で行われる選挙、そして当選すれば一定の任期と特権が与えられ、世襲化しがちな代議制という仕組みが、より正確に民意を反映しているのかという疑問は以前からある。政治をもてあそんでメシを食う人々、家系という見方もある。
現在、本人確認のための技術(指紋・光彩・静脈など)は揃っているし、様々なセキュリティ技術もある。パソコンやスマートフォンなどの普及率は高い。病気などで寝たきりの人であっても、意思表示が出来れば自分一人で投票が可能となる。時間や場所、物理的制約から解放された状態で、意思表明が出来ることになる。
もちろん、こういった環境を利用できない有権者、親しまない有権者も視野に入れておかなければならない。
筆者は、今年2020年に行われた国勢調査のやり方が、そのヒントになるのではないかと思っている。できる人はさっさとスマホやPCで実行するが、従来の方式も利用可能という、いわばハイブリッド回答(投票)である。当面は新旧の両方を併用し、「世代交代」をにらみながら徐々に完全IT化へ進めばいい(もちろんその場合も、特別な状況の有権者に対する配慮を欠いてはならないことは当然だ)。
さいごに
この問題は技術論というよりも、「理想的な民主主義に一歩でも近づくということはどういうことなのか」という政治哲学的な問題といえるかもしれない。
日本の国会議員定数は衆議院465、参議院245。計710である。議員一人あたり年間約2億円(税金が原資の政党交付金を含む)のコストがかかっているとすると、単純計算で我々日本人は、年間1,420億円で国会議員という人々を養っていることになる。
いっぽう地方議会はどうであろうか。お住まいの地域の議員定数は何人で、議員報酬や各種手当をはじめ、毎年いくらのコストがかかっているだろうか。
平成10年(1998)に日本の市町村会議員の総数は59,314人であったが、その後の市町村合併により2万5千人が減った。しかしこのことによって、特段困ったことになっている地域はほとんど聞かない。そうであれば、国会議員も削減できるのではないかという考えも自然である。
アメリカの真似をすればよいというわけではないが、アメリカの上下両院をあわせた定数は535である。人口は約3億2千8百万の国でだ。日本はこの約3分の1の人口だが、衆参両議院の定数は既述の通り710である。ざっくりアメリカの3倍もの国会議員を養っている計算になる。
ちなみに米上院の定数は100で、州の人口に関係なく50の州から2名ずつ選ばれている。これを単純に日本に引き当てると、各都道府県に2名の参議院議員を割り当てて、94名とすることもイメージできる。各都道府県2名のうち、知事が参議院議員を兼任するといったことさえ可能という人もいる。
ただ、アメリカ合衆国の「州」と、日本の「都道府県」は単純に並べて考えることには限界もある。各州はそれぞれ独自の憲法、税制、教育制度を持っているのであり、ほとんど独立国家のような存在だからだ。
日本人は今後も、現行の選挙制度のまま「おまかせ政治」に文句を言い続けるのか、それとも新しい技術と哲学で、一歩でも理想の民主主義に近づけるようチャレンジを続けるのか、この令和の時代がポイントになるような気がしている。
デジタル庁設置を機に、IT選挙、そして代議制民主主義の見直しの議論が巻き起こることを願っている。