ハナウマ・ブログ

'00年代「ハワイ、ガイドブックに載らない情報」で一世を風靡した?花馬米(はなうま・べい)のブログです。

続・「さしみ・その他」

2020年06月02日 | グルメ

ふたたび食料品スーパーにおける、刺身の切れ端を集めたパックに言及する。前回投稿の際にはマルエツの「海鮮おつまみ盛合せ」は398円で調製されていたが、今般、私は同じマルエツで298円の商品をゲッツしたのだ。

そもそも「さしみ・その他」とは、食料品スーパーの鮮魚コーナーなどで販売されることがある、刺身の切れ端を集めてパック詰めしたもののことだ。
各スーパーによってネーミングは異なるが、「さしみ・その他」は東急ストア、「海鮮おつまみ盛合せ」はマルエツである。

この商品に関する基礎的な知識?は、こちらの前回投稿に記述してあるので適宜参照されたい。

ついに税抜298円パックをゲッツ

筆者の住みかから近い食料品スーパーは、まず徒歩圏内にマルエツがある。またバスに乗って少し行けば東急ストアを含めて2~3の食料品スーパーがある。選択肢には恵まれているように聞こえるかもしれないが、やはり生活動線というか、利用するバス停や横断歩道などがだいたい決まってしまうと、少しの遠回りも億劫になってくる。

そんなわけで筆者の場合、食料品スーパーといえばほぼ、「東急orマルエツ」という生活スタイルとなっている。
この2店に限って比較するならば、東急のほうが若干、高価格設定である。店舗の立地もいいし、品揃えの豊富さ、その品質もよいので、当然のことなのかもしれない。

しかし、一般庶民の感覚から言えば、コストパフォーマンス(費用対効果)の高さもさることながら、絶対支出額とでもいおうか、「結局トータルなんぼ?」という発想も重要な指標となる。

ましてポイント・システム(和製英語、正しくはポイント・プログラムだ)なんていうものも絡んでくるから、どのスーパーに軍配を上げるのかは、そう簡単なことではない。

ポイントといえば

ポイント・システムは、つまるところ「今回はお値引きできませんけど、また来ていただいたらお値引きします」という仕組みである。つまり客の囲い込み手段の一つなのだが、消費者から言わせてもらうと「んなこと言わずに、いま値引いてよ」と言いたくなる。

だいたいポイント・システムというのは、店が客から金を借りているようなものである。客の方は「ポイントをためる」という行為に夢中になってしまいがちだし、「ポイント〇倍!」などという広告に惹かれたりして、それこそ不要不急な買い物をしてしまう。

しかし考えてみると、ポイントをいくらためたところで利子のようなものはつかない。それどころか有効期限などというものがあって、「今に見てろ、たまったポイントでドーンとお得に買い物してやるゼ!」とこれまた勘違い消費行動を実施しようとした頃には、「すべてパァになっていましたね」なんてこともありうる。

これを店側の視点で眺めてみると、無利子の融資を受け、挙句の果てに借金踏み倒しができるかもしれないシステムだ。 だとすれば、金融機関から金を借りるよりも、踏み倒し可能な無利子融資を受けられるポイント・システムは、店側にとってはオイシイ仕組みである。
しかも会員となっている消費者の消費行動を微に入り細にわたって掌握できるため、かなり精度の高いマーケティング戦略を打つことが可能になる。

もっとも、会員情報の管理をはじめとしたシステムを構築、維持、管理するところに大きなコストがかかってくる。 そうすると、この「有利な資金調達とマーケティング戦略がセットでオイシイ仕組み」を導入するには、それなりの企業規模が必要になってくる。
1円、2円といった「融資」の仕組みは、広域で相当数の会員による購買行動が伴わなければ成り立たないから、中小のチェーンや個人経営の店舗などでは、とうていポイント・システムに導入メリットはない。
もしかしたらこれは、加速しすぎた資本主義による格差が、ビジネスの現場にも表れている一例、といえるのかもしれない。

そして

ポイント・システムについてちょっと熱くなってしまったが、東急ストアでは「さしみ・その他」が、タコ入りで通常どおり498円設定であった。冷蔵ショウケースの、ちょっと見にくい奥の方にひっそりと「差し入れられた」ような格好で潜んでいた。このような番外商品を、あまり目立つところに置きたくないという哲学が感じられる。
いっぽうマルエツでは、いつもは398円設定の「海鮮おつまみ盛合せ」を、ナ、ナ、ナント298円で買うことが出来た。内容を見てみるとカツオのたたきが入っている。このことによって価格設定を下げられているわけだ。庶民の味方の構成である。

話は飛ぶが、英語を学習する日本人が、名詞を複数形にすべきところウッカリ単数形で書いてしまったり、話してしまったりということがある。英語に詳しい知人によると、「つまりネイティヴの頭の中では複数形が基本なのであって、特別な場合にのみ単数形を取るのです。日本の英語教育では単数形を先に習ってしまうので、そういった感覚にはたどり着けないのです」と、すました顔で説明された。

なるほど、言語というものをリクツで整理・体系化して、リクツで身に着けようとすることの限界があるのか。我が意を得たりという気分にもなってくる。

今宵はつらつらと、そんなことをも考えつつ、録画してあった「酒場放浪記」を再生しながら、298円の刺身(の切れ端)で一人静かに飲ろう。


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