ハナウマ・ブログ

'00年代「ハワイ、ガイドブックに載らない情報」で一世を風靡した?花馬米(はなうま・べい)のブログです。

だから私は運転手を辞めることにしたのです。

2016年01月28日 | 沈思黙考

2016年に入って日本国内では、貸切バスを中心とした事故が多発しています。約10年間、職業運転手をし、不安を感じて職を辞した私としては、「やはり、こうなったか」という悲しい思いでいっぱいです。
と同時に、たとえばあの軽井沢町のスキーツアーバス事故の若者たちの将来を奪ってしまったのは、直接的ではないにせよ私たち一人ひとりの、現代の日本社会に対する問題認識の浅さ、関心の低さだったのではないかとも考えています。

じつは、私が自ら運転手の職を辞したのは、「これ以上続けていたら、自分はともかく、人を殺してしまう」と考えたからなのです。


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私は1991年の夏から約10年間、職業運転手(大型自動車)をしていました。ざっと36歳から10年間ということになります。最初の数年間は辛いことも多かったのですが、だんだんと仕事にも慣れ、むしろ定年まで続けたいと考えるようになっていました。
しかし、そんな私が運転手の職を辞したのは、「これ以上続けていたら、自分はともかく、人を殺してしまう」と考えたからなのです。

私の場合、給料をもらっている会社と、運転する車を所有(使用)している会社が異なるというパターンの就業形態でした。つまり「からだ」だけでお客様企業へ派遣され、お客様の車両を運行するというものです。
その日ごとにお客様や車両の種類が異なる期間もありますし、数か月から数年、特定のお客様企業に「常駐」する場合もあります。

とはいっても、働きだして2~3年もすれば、だいたい関係するお客様の顔ぶれは決まってきますし、お客様の方で我々運転手をご指名してくださる場合も少なくないので、だんだんと仕事はやりやすくなってきます。
給料をもらっている派遣元の同僚とも、休みを融通しあったりして、人間関係的にも働きやすい職場でした。

ところが、睡眠時間さえまともに取れないスケジュールをこなさなければならないようになり、必然的に無理が生じてくるようになります。
お客様をお送りしている、つまり通常なら緊張して運転している状態であるにもかかわらず、短時間意識が遠のいてしまうという経験をしたのです。居眠り状態です。
焦ってミラー越しにお客様の様子を確認すると、先ほどからすっかり安心してお休みになられています。

こんな時私は、もしかしたら自分が起こしたかもしれない事故現場、メディアの報道、被害者への謝罪、自分の家族への影響、その後の私の人生、そういったものを出来る限りリアルに想像することにしています。
そしてこのときは、自分がもっと努力し自分を律して仕事にあたらなければいけないと考え、言うなれば「より気合を入れて」仕事をするようにしました。
しかし、十分な睡眠や休憩も取れない状態で長距離・長時間運転をすれば、人間ならだれでも能力低下や疲労が襲ってくるのは道理です。

印象に残っているのは、朝から都内を出発し東北道を北上、ある都市での仕事を夕刻に終えて東京へ帰着したのが深夜0時を回っていたときのことです。そんな言わば徹夜明けのような疲労困憊の状況で、そのままそのお客様企業の早朝からの運行をやらされる、といったことがありました。そしてこういったようなことが、その後時々起きるようになってきたのです。
本来なら、運転手が体調不良などで休むようななんらかのトラブルがあったとしても、これをカバーできるような体制がキチンと組まれているべきです
しかし、私の身に降りかかってきたのは、そんな理想的な状況ではありませんでした。
過労運転による2回目の居眠り状態を体験したとき私は、「(3アウトチェンジではないが)、次にこんな状態になったら、運転手を辞めよう」と心に決めたのです。

第3者から見れば、「会社に改善を求めればよいではないか、なんなら関係機関へ訴えることだってできたはずだ」と、無責任な問題意識を持つかもしれません。しかし、何事も問題はそう単純ではありません。
私の改善要求など聞き入れられることもなく、ついに「3回目」を体験することになります。
もう、次の仕事が得られるかどうかなど、考えている場合ではありませんでした。「3回目」を体験した業務の終了後、退職する旨を会社に連絡しました。会社側の関係者は、みな一様に驚きの様子でした。私のことを、特に疑問を持たず黙々と仕事をやる運転手、とでも考えていたのかも知れません。
幸い私の場合、退職後1年ほどで仕事に就くことができましたが、このときの経験は、深く考えさせられるものでした。


 ◆

2016年(平成28年)1月15日未明に発生した、乗客乗員15人が死亡した長野県軽井沢町のスキーツアーバス事故の被害者の、父親の言葉が思い返されます。

「今回の事故については、憤りを禁じ得ません。多くの報道を見ていると、今の日本が抱える、偏った労働力の不足や、過度な利益の追求、安全の軽視など、社会問題によって生じた、ひずみによって発生したように思えてなりません」
(以上、NHK報道)

私にとってこの言葉は、日本人が戦後築いてきたこの社会は、いかに経済的・物質的豊かさのみを目的する価値観によってつくられてきたのかということを、あらためて考えさせられるものでした。
しかし、多くのマスメディアがそうであるように、制度やしくみの問題を、まるで他人事のように論じている姿勢は、もはや罪ではないかとさえ感じます。

私は、こういった偏った日本社会の建設に寄与してきたのは、私たち一人ひとりではなかったのか、ということを考えています。その建設に異議を述べたり、問題意識を持ってこなかった、行動してこなかった私たち一人ひとりが、結果としてこのような事故の温床づくりに参加してきたことになるのではないかと思うのです。

事故の被害者やそのご家族・ご遺族には厳しい言い方になりますが、「加害者」とされる側もまた、この日本社会の被害者だったような気もします。
今回のようなバス事故に限らず、時をほぼ一にして発生した廃棄食品の横流し再販売など、事件や事故の当事者や関係する制度だけを見つめているだけでは、とうてい根本的な解決はできないと思われる事案が、現代日本では何度も何度も繰り返されています。

加えて、あたかも経済合理性だけが現代社会の真実であるかのように語るのは、もはやこの国にとって、未来の無い思想といってしまってもいいような気さえしてきます。そもそも本来の「資本主義」とは、今日のような「欲と道連れの資本主義」とはちがうものでしょう。

哲学的思考や宗教的思考を奪われてしまった戦後日本人は、経済的成功をつかむことこそが、程度の差こそあれ、人生の最終・至上目的になっているような気がしてなりません。
もちろん、そういう方向に戦後の国民が為政者に誘導されてきたという面もあるかもしれません。
だけれども、現代日本に存在するさまざまな問題を考えるとき、他の誰でもない、私たち一人ひとりが、この社会のありように問題意識を持ち、語り合い、行動していかなければ、本当の意味の幸せや繁栄は、この国の将来には訪れないような気がしてならないのです。


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