そう今までずっと心の中で繰り返し、ノートに幾度も書き記してきたことを、語気を少し強めて説明した。
一転、そこで頂点を迎えたかのごとく、次の瞬間からはそのまま下り降りるように気力は萎む。
「この仮説を立証することができたらとは思っているのですが、現実的に不可能なことも分かっているのです。だから本当に残念なのですがどこまでも仮説止まりの空論です」
と説明不能な絶対的な確信というものへのもどかしさを孕みながら謙虚に結んだ。
「それは斬新な説ですね。これまでのどの先行研究でも見当たらない、既成概念にまったく囚われていない、正真正銘のオリジナルとお見受けいたします。確かに立証は難しいかもしれませんが、その反面、二葉さんにとっては、何か確信めいた事実に裏付けられているような気も致しました。それに何より、実はわたくしも、声というのは、実像西行を追う上では一つ鉤になる気がしているのです」
「え?そう、仰いますと?」
まさかそんなことまで同調されるとは思っていなかった二葉は、興味津々に聞いた。
「と申しますのも、以前一度だけですけれども、西行の詠う声が聞こえたような気がしたことがあるのです」
「――声が?」
二葉の頭の中に閃光が走る。
「空耳だとは思いますが、なぜだかその時それが正真正銘の声のように思えたのです。無論一度きりのことでしたし、わたくしの耳の中、否、頭の中に響いた声を再現することなど、到底叶わぬことですので、それきり考えなくなっていました。なので、今お聞かせいただいた二葉さんの説は、確かに徴証をするに際して、険しい道のりが待ち構えているであろうことは事実でしょうが、それを踏まえたとしても、やはり斬新かつ本質的なものだと思えました」
二葉の耳に響く声と、彼の耳に聞こえた一度きりの声を照合する術などない。
しかし声を聞いたことがあるという事実の一致。
それが否応なしに、今ここで正対して座る二人の強すぎるほどの、そして遠くから続いていた縁のようなものを意識させた。
「その歌というのは、もしかして――」
彼が一度だけ聞いたという歌が、もしかしたら二葉の耳にはどうしても届かない、一昨夜の声の主が詠った一首だったのかを確認したい衝動に駆られた。
「どうか致しましたか?何か、思い当たることでも?」
彼は二葉の途中で切った言葉に反応した。
「――いえ、なんでもありません」
何をどう説明したら信じてもらえるのか、いやそれ以上に、信じ難いことの二重奏にも思えることを説明などできないと、その続きは心にしまった。
「そうですか」
苗雅もそれだけ言って、可愛らしいカップにアールグレイを注いだ。
――きっと、一昨夜の歌だ。
あの夜、どうしても唯一耳に響かないあの歌を、その人は詠った。
そのことを知っていて詠ったのだと二葉には思えた。
声が耳に響くことも、唯一聞こえない歌があることも、自分以外知るはずがないのに。
それなのに今目の前に座る苗雅は、その二つをまるで知っているかのように満たしてしまった。
「ははあ、なるほど、それで分かりました。今ここにいらっしゃる理由、法金剛院の門前にいらっしゃる理由が」
そんなすべての歯車が噛み合ったような出会いを噛み締めていた二葉をよそに、飄々と話の向きをずらした。
「え?ああ、はい。そうなのです。出家説で言えば、願望も込めて『恋愛説』を、
そしてそのお相手は待賢門院という説を取りたいと思っているのです。それで、法金剛院へ参りました」
転換した話題に卒なく答えた二葉だったが、自分で一旦心にしまい込んだ話題とはいえ、少し話が遠ざかってしまったことを残念に思った。
「そういうことだったのですね」
片や苗雅は、すべて納得したような表情で言った。
「あの――」
「はい、何でしょうか?」
「もしも、もう少しお時間をいただけるのであれば、後学のためにも苗雅さんの西行論を教えていただけませんか?」
やはりまだ一つ前の話題に戻したい気持ち、苗雅に確認してみたい気持ちが捨てきれずに、何か話の糸口を見つけようと切り出した。
「承知いたしました。それでは憚りながら、わたくし一個人の見解として、浅知恵程度の仮定を述べさせていただければと存じます」
少しトーンの変わった彼女の様子をすかさず掬い取った苗雅は、そう畏まって居ずまいを正し自説について語り始めた。
苗雅の研究対象は、西行の人間性というものだった。
実像としての西行の人生観とでもいうものだった。
西行という人物には、虚像としての伝説めいた薄皮がついてまわる。
その薄皮をきれいに剥がした後に残る、実像としての西行の人物像である。
それを追究する上でキャスティングボードを握る人物は、西住(さいじゅう)という同行であると考えていた。
西住とは、俗名を源季正(みなもとすえまさ)といい、西行と時を同じくして出家した、生涯の友と言うべき人物である。
その生涯で幾度か長途に就いたことが史実として残る西行と、陸奥や四国への旅路を共にした間柄であり、まさに同行と言われるに値する人物である。
また、勅撰和歌集の一つ『千載和歌集』に四首が入選していて、歌人としてもその才を認められている人物でもある。
その西住こそが、二つ年長の幼馴染だった佐藤憲康(のりやす)亡き後、もっとも近しい人物だったという仮定の下に、実像西行の解明に取り組んでいる、ということを段取りよく話してからこう続けた。
「諸説ある出家説については、それらのいくつかが動機となったとされる、複合説というものが妥当なのかもしれません。しかしながらわたくしは、どれか一つに限定することができるのではないかと考えているのです」
「どうして、そう思われるのですか?」
二葉の質問を受けてから、しなやかな手の動きでアールグレイを口に運び、一つの結論へと向かう。
「人というのは、何か人生における潮目が変わるような大きな転換点に身を置いた時、そのピークに到達する前までは、それこそ複数の要因やしがらみが絡み合って、
その質量をどんどん膨らませながら転がるように進んで行くものだと思います。されど、事に及ぶ瞬間の決定的な手鉤と成り得るものは、たった一つの念いだけのような気がするのです。その念いに突き動かされるもの、情動とも言えるかもしれません。所詮人間というのは、論理ではなく感情の生き物だと、誰しも実感から理解できます。ピークまでをどれだけ理性的に詰めて来たとしても、最後の最後決断を下す瞬間には、感情の側に振れるものだと思うのです。そう考えると、感情の筆頭とでも言える『恋愛』というものが端緒となることは、十分にあり得ることだと思います。そしてまた、同じ北面の武士だった、二つ違いの親友佐藤憲康の頓死(とんし)によって刻まれた、強烈な無常観ということも手鉤足り得ると思います。そして生涯の友であった同行西住であれば、出家につながった直接的なきっかけを聞かされていても、不思議なことはないでしょう。むしろ自然な流れだったとさえ言えます。たとえば、『昔見し 松は老木に なりにけり わが年経たる 程も知られて』という四国讃岐に渡る前、瀬戸内海を挟んだ渋川で詠んだと言われる一首なども、リアルタイムで耳にしていてもおかしくないでしょう。仮にその相手が待賢門院であったとして、絶対的に成就することのない上臈(じょうろう)女房への恋慕というものが、倫理と摂理という現世における二元論の限界を超えて、その上の階層にある超常世界においては、永遠の真理であるというようなことを、西行本人から打ち明けられていても、何らおかしなことではありません。そう考えると、この西住という同行の存在こそが、実像西行を浮かび上がらせる上では欠かせないものと仮定しているのです」
そう語った苗雅は、まるで西行の人間性に直接触れたような感慨に浸っているように見えた。
そして、同じ目的、同じ目的地、同じ感覚描写、同じ風景、同じ仮説、どれほどの同じがあるのかが分からないほどの同行との出会いという神秘こそが、この旅の真の目的だったのかもしれないという思いを連れ立って、いよいよ二人は揃って法金剛院へ向けて席を立つのだった。
(つづく)
一転、そこで頂点を迎えたかのごとく、次の瞬間からはそのまま下り降りるように気力は萎む。
「この仮説を立証することができたらとは思っているのですが、現実的に不可能なことも分かっているのです。だから本当に残念なのですがどこまでも仮説止まりの空論です」
と説明不能な絶対的な確信というものへのもどかしさを孕みながら謙虚に結んだ。
「それは斬新な説ですね。これまでのどの先行研究でも見当たらない、既成概念にまったく囚われていない、正真正銘のオリジナルとお見受けいたします。確かに立証は難しいかもしれませんが、その反面、二葉さんにとっては、何か確信めいた事実に裏付けられているような気も致しました。それに何より、実はわたくしも、声というのは、実像西行を追う上では一つ鉤になる気がしているのです」
「え?そう、仰いますと?」
まさかそんなことまで同調されるとは思っていなかった二葉は、興味津々に聞いた。
「と申しますのも、以前一度だけですけれども、西行の詠う声が聞こえたような気がしたことがあるのです」
「――声が?」
二葉の頭の中に閃光が走る。
「空耳だとは思いますが、なぜだかその時それが正真正銘の声のように思えたのです。無論一度きりのことでしたし、わたくしの耳の中、否、頭の中に響いた声を再現することなど、到底叶わぬことですので、それきり考えなくなっていました。なので、今お聞かせいただいた二葉さんの説は、確かに徴証をするに際して、険しい道のりが待ち構えているであろうことは事実でしょうが、それを踏まえたとしても、やはり斬新かつ本質的なものだと思えました」
二葉の耳に響く声と、彼の耳に聞こえた一度きりの声を照合する術などない。
しかし声を聞いたことがあるという事実の一致。
それが否応なしに、今ここで正対して座る二人の強すぎるほどの、そして遠くから続いていた縁のようなものを意識させた。
「その歌というのは、もしかして――」
彼が一度だけ聞いたという歌が、もしかしたら二葉の耳にはどうしても届かない、一昨夜の声の主が詠った一首だったのかを確認したい衝動に駆られた。
「どうか致しましたか?何か、思い当たることでも?」
彼は二葉の途中で切った言葉に反応した。
「――いえ、なんでもありません」
何をどう説明したら信じてもらえるのか、いやそれ以上に、信じ難いことの二重奏にも思えることを説明などできないと、その続きは心にしまった。
「そうですか」
苗雅もそれだけ言って、可愛らしいカップにアールグレイを注いだ。
――きっと、一昨夜の歌だ。
あの夜、どうしても唯一耳に響かないあの歌を、その人は詠った。
そのことを知っていて詠ったのだと二葉には思えた。
声が耳に響くことも、唯一聞こえない歌があることも、自分以外知るはずがないのに。
それなのに今目の前に座る苗雅は、その二つをまるで知っているかのように満たしてしまった。
「ははあ、なるほど、それで分かりました。今ここにいらっしゃる理由、法金剛院の門前にいらっしゃる理由が」
そんなすべての歯車が噛み合ったような出会いを噛み締めていた二葉をよそに、飄々と話の向きをずらした。
「え?ああ、はい。そうなのです。出家説で言えば、願望も込めて『恋愛説』を、
そしてそのお相手は待賢門院という説を取りたいと思っているのです。それで、法金剛院へ参りました」
転換した話題に卒なく答えた二葉だったが、自分で一旦心にしまい込んだ話題とはいえ、少し話が遠ざかってしまったことを残念に思った。
「そういうことだったのですね」
片や苗雅は、すべて納得したような表情で言った。
「あの――」
「はい、何でしょうか?」
「もしも、もう少しお時間をいただけるのであれば、後学のためにも苗雅さんの西行論を教えていただけませんか?」
やはりまだ一つ前の話題に戻したい気持ち、苗雅に確認してみたい気持ちが捨てきれずに、何か話の糸口を見つけようと切り出した。
「承知いたしました。それでは憚りながら、わたくし一個人の見解として、浅知恵程度の仮定を述べさせていただければと存じます」
少しトーンの変わった彼女の様子をすかさず掬い取った苗雅は、そう畏まって居ずまいを正し自説について語り始めた。
苗雅の研究対象は、西行の人間性というものだった。
実像としての西行の人生観とでもいうものだった。
西行という人物には、虚像としての伝説めいた薄皮がついてまわる。
その薄皮をきれいに剥がした後に残る、実像としての西行の人物像である。
それを追究する上でキャスティングボードを握る人物は、西住(さいじゅう)という同行であると考えていた。
西住とは、俗名を源季正(みなもとすえまさ)といい、西行と時を同じくして出家した、生涯の友と言うべき人物である。
その生涯で幾度か長途に就いたことが史実として残る西行と、陸奥や四国への旅路を共にした間柄であり、まさに同行と言われるに値する人物である。
また、勅撰和歌集の一つ『千載和歌集』に四首が入選していて、歌人としてもその才を認められている人物でもある。
その西住こそが、二つ年長の幼馴染だった佐藤憲康(のりやす)亡き後、もっとも近しい人物だったという仮定の下に、実像西行の解明に取り組んでいる、ということを段取りよく話してからこう続けた。
「諸説ある出家説については、それらのいくつかが動機となったとされる、複合説というものが妥当なのかもしれません。しかしながらわたくしは、どれか一つに限定することができるのではないかと考えているのです」
「どうして、そう思われるのですか?」
二葉の質問を受けてから、しなやかな手の動きでアールグレイを口に運び、一つの結論へと向かう。
「人というのは、何か人生における潮目が変わるような大きな転換点に身を置いた時、そのピークに到達する前までは、それこそ複数の要因やしがらみが絡み合って、
その質量をどんどん膨らませながら転がるように進んで行くものだと思います。されど、事に及ぶ瞬間の決定的な手鉤と成り得るものは、たった一つの念いだけのような気がするのです。その念いに突き動かされるもの、情動とも言えるかもしれません。所詮人間というのは、論理ではなく感情の生き物だと、誰しも実感から理解できます。ピークまでをどれだけ理性的に詰めて来たとしても、最後の最後決断を下す瞬間には、感情の側に振れるものだと思うのです。そう考えると、感情の筆頭とでも言える『恋愛』というものが端緒となることは、十分にあり得ることだと思います。そしてまた、同じ北面の武士だった、二つ違いの親友佐藤憲康の頓死(とんし)によって刻まれた、強烈な無常観ということも手鉤足り得ると思います。そして生涯の友であった同行西住であれば、出家につながった直接的なきっかけを聞かされていても、不思議なことはないでしょう。むしろ自然な流れだったとさえ言えます。たとえば、『昔見し 松は老木に なりにけり わが年経たる 程も知られて』という四国讃岐に渡る前、瀬戸内海を挟んだ渋川で詠んだと言われる一首なども、リアルタイムで耳にしていてもおかしくないでしょう。仮にその相手が待賢門院であったとして、絶対的に成就することのない上臈(じょうろう)女房への恋慕というものが、倫理と摂理という現世における二元論の限界を超えて、その上の階層にある超常世界においては、永遠の真理であるというようなことを、西行本人から打ち明けられていても、何らおかしなことではありません。そう考えると、この西住という同行の存在こそが、実像西行を浮かび上がらせる上では欠かせないものと仮定しているのです」
そう語った苗雅は、まるで西行の人間性に直接触れたような感慨に浸っているように見えた。
そして、同じ目的、同じ目的地、同じ感覚描写、同じ風景、同じ仮説、どれほどの同じがあるのかが分からないほどの同行との出会いという神秘こそが、この旅の真の目的だったのかもしれないという思いを連れ立って、いよいよ二人は揃って法金剛院へ向けて席を立つのだった。
(つづく)