☆☆☆
散り際の早かった桜並木の門をくぐった二葉は、あまりの人並みでなかなか前に進めず立ち往生していた。
新入生を歓待する上級生たちは、まだまだ大学生の風情を漂わすことのできていない、見るからに一年生という学生たちに群がっては、その横を通り過ぎようとする、別の一年生にも触手を伸ばしている。
華やかなる、新歓小径。
足元にはそこかしこに、読み捨てられたビラが散乱している。
そんな騒然とした人だかりの中で、引く手数多の二葉は男子学生の恰好の的となっていた。
あまりに強引な勧誘要員の誘いに断りを入れられない彼女は、蟻地獄のような様相を呈した小径で、困惑ぎみに右往左往しているのである。
大学生といえばこれ、というようなお馴染みのサークルが群雄割拠している。
それはそれで楽しそうとは思いながらも、彼女の心はすでに決していた。
しかしその目指すサークルが、どこに陣取っているのかが分からない。
到底、派手な勧誘劇を繰り広げているとは思えないサークルだったので、探し当てるのに時間が必要になるだろうことは予想していた。
それにしても、見当たらない。
そうこうしているうち、三歩と進むこともできずにまた新しい声がかかる。
笑顔のエネルギーだって、無尽蔵ではない。
ただでさえ体力に自信のない二葉は、するするとくたびれてしまう。
「どこにいるのかしら」
今にも両の手からこぼれ落ちそうな、A4コピー紙でかりそめに作ったことが明々白々たるビラの中で、どれだけ増えてもその一番上に来る異質なビラが導く先、そこが彼女のゴールだ。
前日の入学式の帰り、何も知らずに受け取っていたビラ。
手漉き和紙に、草書体の筆文字が踊る。
直筆のビラで、しかも手漉き和紙ときている。
どれだけお金と労力がかかっているのだろう。
そんな余計なお節介を焼いてしまうくらいに、『ビラ』の一言で片付けてしまっては申し訳ないくらいの代物だ。
他とは明らかに一線を画した勧誘ツールだ。
「西行研究会の方々は、どちらにいらっしゃいますか?」
しびれを切らしたかのように、失礼承知で横に張り付く男子学生に聞いた。
「いいから、いいから、そんなサークル。それより、ここに名前書いてよ」
人の話になどまったく耳を貸さないようだ。
質問する人を思いっきり間違えた。
「ごめんなさい。私、先を急ぎますので」
言われるがままに調子を合わせていたら、果てしなく目的地に到達できないような気がしてきた彼女は、黒山をいなす方法を実践し始めた。
立ち止まったら最後だ。
耳を塞いで、目を皿にして、パノラマビューでアンテナを張る。
そう思った瞬間から、彼女のパーソナルスペースには見えないバリアが張り巡らされた。
誰をも寄せ付けない、強力なオーラが一気に放出された。
不思議なもので、そういうオーラというのは、類似するオーラを引き寄せたりする。
まるで正中開けるがごとく、モーゼの十戒よろしく進む先が割れていく。
どれだけのエネルギーを費やして、このわずかな距離を進んできたのか、という二葉の努力をあざ笑うかのように、静々と一直線に小径のど真ん中を歩いてくる。
上級生も新入生も、すべての喧騒が鳴り止むような異空間だ。
誰をも寄せ付けないうぐいす色のオーラだ。
うぐいす色の西陣羽織だ。
見覚えのある衣紋。
心覚えのある気品。
これを運命と呼ばずに何と言おう、というような再会劇だった。
「やあ、二葉さんではありませんか」
「こんにちは。先日は、大変お世話になりました」
二つのオーラが合流した強力な磁場に引き寄せられるように、視線が一点に注がれる。
大学きっての有名人と新入生きっての小町候補の遭遇シーン。
天下無敵カップルの誕生シーンである。
はたまた、悪い虫たちが金輪際手を出せなくなった瞬間でもある。
「まさか本学の新入生でいらしたとは。驚きました」
「本当に。こんなことってあるのですね」
「めぐり合わせとは、こういうものなのかもしれませんね」
「そうですね」
笑顔を捨てることを決心したのも束の間、電光石火の早業で元通りの笑顔に戻った二葉は、膨れ上がる安堵とともに、数日前の京都での彼との出会いを思い出していた。
不躾なまでに凝視してしまった風貌。
不気味なまでに相似していた感覚。
不謹慎なくらい急速に心を許してしまった物腰。
「西行研究会ですね。それでは我がサークルまでこのわたくしがお連れ致しましょう」
大事そうに抱えていた二葉の手元に目をやり、分節を感じさせない動きで踵を返した。
「ありがとうございます。たどり着けないかもしれないと思っているところでした」
「そうでしたか。それは申し訳のないことを致しました。もう少し気の利いたところに陣が張れれば良いのですが、なにせ弱小サークルなものでして、恥ずかしながら隅へと追いやられている身なのです」
そう言って、さんざめくギャラリーたちの中央を苦もなく歩き出した。
「この直筆は、苗雅さんのものですか?」
「ええ、そうです」
「ご達筆ですね」
これまで、どれだけ同じ賛辞を受けてきたことかと思いながらも、他の言葉が見当たらずに言った。
「いえいえ、いたって凡庸な字です。それより、よろしければ陣へ着くまでの間、
我がサークルの概要をご説明させていただきましょうか」
「はい。ぜひお願いします」
「承りました」
そうして、小さな本陣が敷かれている新歓小径のどんつきまでの道すがら、三名の在学メンバーと、毎年定められているかのように加わる一名の新入生で構成される四名で、長く受け継がれてきた研究会のあらましを聞いた。
(つづく)
散り際の早かった桜並木の門をくぐった二葉は、あまりの人並みでなかなか前に進めず立ち往生していた。
新入生を歓待する上級生たちは、まだまだ大学生の風情を漂わすことのできていない、見るからに一年生という学生たちに群がっては、その横を通り過ぎようとする、別の一年生にも触手を伸ばしている。
華やかなる、新歓小径。
足元にはそこかしこに、読み捨てられたビラが散乱している。
そんな騒然とした人だかりの中で、引く手数多の二葉は男子学生の恰好の的となっていた。
あまりに強引な勧誘要員の誘いに断りを入れられない彼女は、蟻地獄のような様相を呈した小径で、困惑ぎみに右往左往しているのである。
大学生といえばこれ、というようなお馴染みのサークルが群雄割拠している。
それはそれで楽しそうとは思いながらも、彼女の心はすでに決していた。
しかしその目指すサークルが、どこに陣取っているのかが分からない。
到底、派手な勧誘劇を繰り広げているとは思えないサークルだったので、探し当てるのに時間が必要になるだろうことは予想していた。
それにしても、見当たらない。
そうこうしているうち、三歩と進むこともできずにまた新しい声がかかる。
笑顔のエネルギーだって、無尽蔵ではない。
ただでさえ体力に自信のない二葉は、するするとくたびれてしまう。
「どこにいるのかしら」
今にも両の手からこぼれ落ちそうな、A4コピー紙でかりそめに作ったことが明々白々たるビラの中で、どれだけ増えてもその一番上に来る異質なビラが導く先、そこが彼女のゴールだ。
前日の入学式の帰り、何も知らずに受け取っていたビラ。
手漉き和紙に、草書体の筆文字が踊る。
直筆のビラで、しかも手漉き和紙ときている。
どれだけお金と労力がかかっているのだろう。
そんな余計なお節介を焼いてしまうくらいに、『ビラ』の一言で片付けてしまっては申し訳ないくらいの代物だ。
他とは明らかに一線を画した勧誘ツールだ。
「西行研究会の方々は、どちらにいらっしゃいますか?」
しびれを切らしたかのように、失礼承知で横に張り付く男子学生に聞いた。
「いいから、いいから、そんなサークル。それより、ここに名前書いてよ」
人の話になどまったく耳を貸さないようだ。
質問する人を思いっきり間違えた。
「ごめんなさい。私、先を急ぎますので」
言われるがままに調子を合わせていたら、果てしなく目的地に到達できないような気がしてきた彼女は、黒山をいなす方法を実践し始めた。
立ち止まったら最後だ。
耳を塞いで、目を皿にして、パノラマビューでアンテナを張る。
そう思った瞬間から、彼女のパーソナルスペースには見えないバリアが張り巡らされた。
誰をも寄せ付けない、強力なオーラが一気に放出された。
不思議なもので、そういうオーラというのは、類似するオーラを引き寄せたりする。
まるで正中開けるがごとく、モーゼの十戒よろしく進む先が割れていく。
どれだけのエネルギーを費やして、このわずかな距離を進んできたのか、という二葉の努力をあざ笑うかのように、静々と一直線に小径のど真ん中を歩いてくる。
上級生も新入生も、すべての喧騒が鳴り止むような異空間だ。
誰をも寄せ付けないうぐいす色のオーラだ。
うぐいす色の西陣羽織だ。
見覚えのある衣紋。
心覚えのある気品。
これを運命と呼ばずに何と言おう、というような再会劇だった。
「やあ、二葉さんではありませんか」
「こんにちは。先日は、大変お世話になりました」
二つのオーラが合流した強力な磁場に引き寄せられるように、視線が一点に注がれる。
大学きっての有名人と新入生きっての小町候補の遭遇シーン。
天下無敵カップルの誕生シーンである。
はたまた、悪い虫たちが金輪際手を出せなくなった瞬間でもある。
「まさか本学の新入生でいらしたとは。驚きました」
「本当に。こんなことってあるのですね」
「めぐり合わせとは、こういうものなのかもしれませんね」
「そうですね」
笑顔を捨てることを決心したのも束の間、電光石火の早業で元通りの笑顔に戻った二葉は、膨れ上がる安堵とともに、数日前の京都での彼との出会いを思い出していた。
不躾なまでに凝視してしまった風貌。
不気味なまでに相似していた感覚。
不謹慎なくらい急速に心を許してしまった物腰。
「西行研究会ですね。それでは我がサークルまでこのわたくしがお連れ致しましょう」
大事そうに抱えていた二葉の手元に目をやり、分節を感じさせない動きで踵を返した。
「ありがとうございます。たどり着けないかもしれないと思っているところでした」
「そうでしたか。それは申し訳のないことを致しました。もう少し気の利いたところに陣が張れれば良いのですが、なにせ弱小サークルなものでして、恥ずかしながら隅へと追いやられている身なのです」
そう言って、さんざめくギャラリーたちの中央を苦もなく歩き出した。
「この直筆は、苗雅さんのものですか?」
「ええ、そうです」
「ご達筆ですね」
これまで、どれだけ同じ賛辞を受けてきたことかと思いながらも、他の言葉が見当たらずに言った。
「いえいえ、いたって凡庸な字です。それより、よろしければ陣へ着くまでの間、
我がサークルの概要をご説明させていただきましょうか」
「はい。ぜひお願いします」
「承りました」
そうして、小さな本陣が敷かれている新歓小径のどんつきまでの道すがら、三名の在学メンバーと、毎年定められているかのように加わる一名の新入生で構成される四名で、長く受け継がれてきた研究会のあらましを聞いた。
(つづく)