はな to つき

花鳥風月

桜の下にて、面影を(21)

2019-09-13 22:49:55 | 【桜の下にて、面影を】
☆☆☆

旅というものは、過去との決別であり、過去との邂逅でもある。
そんなことを何かで読んだ気がする。
前日に、まるで二十年後に導かれることが決められていたかのように、法金剛院に佇んでいた桐詠は、すでに旅の二日目にして路頭に迷っていた。
最初の目的地しか浮かんでいないままの旅立ちだったことに、今更ながらに気づいたのである。しかし、
「さて、今日はどこへ向かうというのだろう」
そう他人事のように呟いた彼に、不安や焦燥は見えない。
それ以上に、目的や展望も見えていない。
放浪とは、そもそもそういうものかもしれない。
無心になれればなれるほど、放浪が放浪に近づくのかもしれない。
とはいえ、無我の境地を求めているわけではない。
むしろその逆で、見えない答えを探している予感のようなものがつきまとっている、
そんな、どこか重たいものを抱えている心持ちであることにも間違いはなかった。
「そうは言っても、閃きやらお告げやらが降ってくるわけでもなし。答え探しの放浪などもありはしない」
と法金剛院、桜の下での寵児も、すっかり凡庸な人になったように観念した様子で独りごちた。
――斯くなる上は、今日最初の思いつきに任せてみよう。
はたと心に決めて、春まだ曙の刻、薄水色の空に飲み込まれそうな十三夜月を仰いで、本日の目的地を探しに宿を出た。
浮き立つような足は、上賀茂神社を左手に感じながら、賀茂川沿いを最寄りの地下鉄烏丸線北山駅へと向かった。
上賀茂神社には立ち寄らない理由。
まだまだ暁の頃だったということもあって素通りしたとも言えるが、それだけではなかった。
実は、子供の頃からどういうわけか、神社に対する厳粛な思いのようなものがあったのだ。

こじんまりとした神社は平気なのだが、少し広い神社になると今でも身構えてしまう。
それもあって、上賀茂神社には立ち寄らずに、外から伺うような歩き方で通り過ぎたのだ。
桐詠の生家は、大きな神社の門前にある歴史ある屋敷だった。
それにもかかわらず、神社の格式らしきものにあてられているような子供だったのだ。
――未だに、そんな感覚は変わってないんだな。
とそんな自分を少し不憫にも思いながら上賀茂神社を過ぎようとした時、ふと法金剛院事件の直後に起きた、彼にとっての二首目が生まれた光景がフラッシュバックした。
枝垂れ桜の下での一件の余韻も冷めやらない、小学校に上がったばかりの頃のことだ。
それは、たまたま体調を崩して欠席をした近所の子に、プリントを託された日の夕暮れだった。
その子の家は、桐詠の家の前に静粛に構える、辺りを覆い尽くさんばかりの迫力ある神社を横切った向こう側にあった。
宇野里家は、その神社へ緩やかに上っていく参道の入り口にあったので、幼少の頃の彼にとっては、目の前に広がる神社はまるで、自宅の庭の延長のような遊び場だった。
参道をそのまままっすぐに進めば境内だった。
しかし桐詠には、そこへの興味はほとんどなかった。
その先の高台にある松林や、その合間合間にある公園や広場、何やら伝説的な生物でも棲んでいそうな、いつも薄暗がりの隅でひっそり揺れている清水が勢力圏だった。
興味を惹かれるものが、境内以外の場所だったこともあるが、そこへ立ち入ることは、なぜだか最初からいけないことのように思えていた。
だから初詣や七五三、もしくはお祭りの時といった、家族を伴ったイベントごとでもない限りは、ほとんど足を踏み入れなかった。
そんな桐詠のことを、両親も祖父母も少しく心配しているようではあったが、理由を尋ねたりすることは一切しなかった。
友だちの家は境内を突っ切った反対側にあったのだが、もちろん彼はいつものように参道ルートには目もくれず、境内の右側ルートを取ることにした。
神社の右側エリアは夕方のイメージで、左側のエリアは昼間に遊ぶ場所、という勝手な住み分けを自分のなかでこしらえていたのだ。
今にして思えば、それは太陽の位置と密接に関係していたのだと思う。
昼間の陽光が包み込むエリアと、夕日が差し込むエリアという感覚を、無意識に判別していたのだろう。
それは、色での認識だったのかもしれない。
左エリアは蛍光灯のように透明なくらいの眩しい世界で、右エリアは白熱灯のような温かくやわらかい世界。
白と橙色の世界という識別だったような気がする。
プリントを届けようとしていたその日は、学校から帰って来たばかりの、夕刻が始まろうとしているような時間帯だったので、迷わず白熱灯の右ルートを選んだ。
そちら側には松林に囲まれた大層な広場があり、その広さを存分に使い切れるくらいに成長を遂げた高学年の男子が、いつも草野球に興じていた。
とはいえ、外野にフェンスがあるといったそれらしい野球場などではなく、どちらかというとただの長方形をしたスペースだったので、センターは深いがレフトとライトはそれぞれ左側と右側から松林が迫っている、といういびつな球場となっていた。
友だちの家は、その広場のレフト側をたどっていく方が近かったのだが、桐詠はあえてライト側から回り込んで行った。
どうしてそうしたのかといえば、ライト側の松林は小高い丘になっていて、その頂上の右端にある腰の折れた、群生する松から遠慮でもされたかのように距離が置かれる、一つ威厳を放っているような松をこよなく愛していたからだった。
彼はそれを、『夕方の松』と呼んでいた。
その威風や造形に心惹かれたということもあるが、夕刻の陽光を一手に引き受けたように浮かび上がって見えるその松のある空間が、どこか別世界へつながっている感じがして魅惑的だったのだ。
見事な紅に染まる夕空の下、ひと度その松の折れた腰に掛けてから、友だちの家に向かおうと思っていたのである。
まるで風流なご老体のような少年である。
とその時、彼の頭に一つの疑問が湧いた。
ある光景を思い浮かべて。
今友だちは熱を出して布団に包まっている。
そしてきっと、優しいお母さんがお粥か何かをこしらえて、床まで持っていこうとしている。
そんな光景だ。
体調を崩して学校を休んでいるのだから、誰にでも想像がつく光景だとは思う。
だからこんなことは超能力でも何でもなく、状況から弾き出された、誰にでも等しく推測ができる、単なる別空間での出来事だろう。
けれど、その時桐詠を襲った不可思議な感情の根源は、それだけはっきりしたシーンを想像することができていながら、そのシーンでの友だちの考えや気持ちが分からないことにあった。
自分以外の人間の頭や心の中が分からないのはあたりまえのことなのだが、あの桜の下での経験をした後の桐詠にとっては、それが不思議なことになっていたのだ。
これだけ鮮明に状況や行動が見えているのに、気持ちだけが分からないということが、あまりに不自然なことに思えたのである。
もう一人の老成した存在がいる実感が持てるのに、これだけ限定された状況で同い年の子の気持ちが、他に選択肢がほとんどないような場面にいる友だちの気持ちが
分からないことへの気持ちの悪さだった。

もちろん物心ついた頃には、そんなあたりまえのことは当たり前のように分かっていたので、不思議な子呼ばわりされずに済んだのだが、その時の彼には、友達の今の気持ちが想像できないもどかしさと、自分の中にいるもう一人の存在の気持ちが分かるという併立に、うまく折り合いをつけることができなかったのだ。
そんな未処理の感情を抱えていた桐詠から、『夕方の松』の上で生涯二首目の歌が生まれたのだった。

  昔見し 松は老木に なりにけり  (むかしみし まつはおいきに なりにけり)
  わが年経たる 程も知られて    (わがとしへたる ほどもしられて)

何の因果か『夕方の松』のエピソードを思い出すというのも、これも一つの導きかと思いながら、ひとまず京都駅を目指すことにした。

(つづく)