☆☆☆
馴染み深い名前のついた宇野駅へは、岡山駅からおよそ五十分の列車旅だった。
そこからバスに乗り換えて三十分ほどのところにあるという、渋川海岸へと向かう。
今朝決めたばかりの本日の目的地だ。
海岸横にある七階建てのオフホワイトのホテル前のバス停で降りると、もうそこは海岸の目の前だった。
それほど奥行きも幅もないきれいな砂浜が続く、シーズン遠い閑かな海だった。
青というよりも緑に近い穏やかな瀬戸内海を挟んで、讃岐までが目睫(もくしょう)の間(かん)というロケーションは、思いつきで決めた目的地としては大いに合格点だった。
可愛らしい砂浜に沿うようにして続く松林も、実に風情があって良い。
出勤ラッシュ直前のまだまだ閑かだった京都駅を出発してから、すでに昼時になっていたのだが、駅弁を買い込んで車内で食事を済ませていた桐詠は、そのまま辺りを散策することにした。
とはいえ、散策というほど広くない海岸は、端から端までをゆっくり歩いたとしても、それほど時間はかからなそうに思えた。
バス停は海に向かって海岸右側に位置していたので、ひとまずその反対側までを空中の塵にも邪魔されず、手の届きそうなくらいにはっきりと見える讃岐を右手に見ながら歩いた。
そうして浜の左半分に入ってほどなくした辺り、波打ち際をすぐそばに感じられそうな、一本の松の木陰に腰を下ろすことにした。
――今日は、桜ではなくて松なのかもしれない。
朝、上賀茂神社の横で思い出した『夕方の松』の記憶が、まるでこの松林まで運んできてくれたかのようだった。
これまで岡山の地を訪れたことはなかったはずなのだが、どういうわけか今こうして砂浜でしゃがみ見ている讃岐の風景が、どこか遠い記憶として残っている気になるのは、日本人の原風景というものだろうか。
古の人たちも、きっとこうして四国讃岐へ渡る前、同じ風景を見ていたのだろう。
その日本人としての記憶が、DNAレベルで脈々と受け継がれているのだろう。
などと、生物学を専攻していた人間とはとんと思えない文学的な発想を抱きながら、
凪いだ海からのわずかな潮風を感じていた。
そうこうしているうちに、ネイティブ日本人の汎用的なノスタルジーは、桐詠限定のオリジナルなノスタルジーを引き込んできた。
この数週間で起きた出来事。
数李との死別、教師との決別、目的の消失。
一言で片付けるならば無常ということになるのだろう。
もちろん理屈では分かっている。
永遠に続くものなどこの世にはない。
そんなことは分かっている。
しかし彼が今考えていることは、そういうことではない。
現実に起こったこと、現象としての出来事に対する理屈探しではない。
それらの現象が起点となって生起しそうになっている、生得的な記憶のようなものである。
生得的、内在的
遺伝子での記憶の継承だろうか
DNAによる風景の伝承だろうか
いや、やはり非科学的だ
でも、今の私の記憶でないものがある
今回の出来事はそれを掘り起こすために用意されていたものなのか
数李との突然の別れからこのかた、努めて自分の心に向き合わずに過ごしてきた桐詠だったが、眩いほどの細波に翻弄されたように、閉ざされていた蓋を開こうとしていた。
生得的な記憶を取り戻すための旅
それを取り戻す目的とは、いったい何なのか
それを取り戻したら、果たしてどうなるというのか
――分からない。
無理矢理にこじ開けようとするには、どことなしに濃厚で重苦しい蓋のように思えた。
そんなものかもしれない。
閃きやきっかけというものは、他力本願的な要素が、多分に必要になったりするものかもしれない。
焦れば焦るほど遠ざかるものかもしれない。
時間だけには困ることのない桐詠は、この海岸での妄想に決着をつけて、あとはもう何も考えずに只管打坐(しかんだざ)に徹した。
どのくらいの時間が過ぎただろうか。
いよいよ空腹を感じて食事にでもしようかと、すっかり固まってしまった体をほぐすように、やおら捻りながら立ち上がった。
すると、ずっと背後で待ち続けていたかのような、海岸に近い場所にあるというよりも、もはや海岸の中にあると言ったほうが良いくらいの小さなお社が目に入った。
『渋川八幡宮』
上賀茂神社とも実家前の神社とも、まったく異なるサイズ。
これなら神様も、コンパクトに仕事を済ますことができそうなサイズだ。
こういう神社であれば、彼は躊躇なく鳥居をくぐることができる。
――夕方の松。
桐詠は目を疑った。
夕日の似合う一株の松の老木がすぐそこで枝を伸ばしているではないか。
人は誰しも、よく似た他人が三人はいるということを聞いたことがあるが、それは万物共通のことなのかもしれないと思わせるような、あまりに相似した松だった。
黒松独特の色合いといい、胴回りといい、年なりといい、そして何よりその腰の折れ具合といい、実にそっくりだった。
ふつと足を向けることのなくなっていた夕日エリアの神社から、いつの間にかひっそりと引越しを済ませたかのような双子の松が、「腰でも掛けていかんかね」と言わんばかりに桐詠を待っていた。
すっかり空間を錯覚してしまいそうになりながら、懐かしさとともに横に立つ。
慈しみの思いで両手を置けば、心の奥に松の声さえ届いてきそうに思えた。
ふと、腰折れ松との再会が二つの意味を持っているような気がした。
『夕方の松』と讃岐を前にして立つここ渋川の松、その二本の松との時間を超えた邂逅のように思われたのだ。
そして、二十年の時を経、場所を移し、あらためて詠じた。
決して腰折れ歌とはならぬようにと慎重に。
昔見し 松は老木に なりにけり (むかしみし まつはおいきに なりにけり)
わが年経たる 程も知られて (わがとしへたる ほどもしられて)
あの時の『夕方の松』の折れた腰での詠誦が二十年後の予行演習だったかのような、まるで今日ここで詠まれるのを待っていたかのような、この歌の成就を思わせた。
それは、確かに以前ここでこの歌を詠んだ記憶があると思わずにはいられない、無形の根拠によってもたらされている。
今よりもはるかに歳を重ねた自分が詠んだ記憶である。
傍らには誰かの気配を感じていたことさえ信じられる記憶である。
(つづく)
馴染み深い名前のついた宇野駅へは、岡山駅からおよそ五十分の列車旅だった。
そこからバスに乗り換えて三十分ほどのところにあるという、渋川海岸へと向かう。
今朝決めたばかりの本日の目的地だ。
海岸横にある七階建てのオフホワイトのホテル前のバス停で降りると、もうそこは海岸の目の前だった。
それほど奥行きも幅もないきれいな砂浜が続く、シーズン遠い閑かな海だった。
青というよりも緑に近い穏やかな瀬戸内海を挟んで、讃岐までが目睫(もくしょう)の間(かん)というロケーションは、思いつきで決めた目的地としては大いに合格点だった。
可愛らしい砂浜に沿うようにして続く松林も、実に風情があって良い。
出勤ラッシュ直前のまだまだ閑かだった京都駅を出発してから、すでに昼時になっていたのだが、駅弁を買い込んで車内で食事を済ませていた桐詠は、そのまま辺りを散策することにした。
とはいえ、散策というほど広くない海岸は、端から端までをゆっくり歩いたとしても、それほど時間はかからなそうに思えた。
バス停は海に向かって海岸右側に位置していたので、ひとまずその反対側までを空中の塵にも邪魔されず、手の届きそうなくらいにはっきりと見える讃岐を右手に見ながら歩いた。
そうして浜の左半分に入ってほどなくした辺り、波打ち際をすぐそばに感じられそうな、一本の松の木陰に腰を下ろすことにした。
――今日は、桜ではなくて松なのかもしれない。
朝、上賀茂神社の横で思い出した『夕方の松』の記憶が、まるでこの松林まで運んできてくれたかのようだった。
これまで岡山の地を訪れたことはなかったはずなのだが、どういうわけか今こうして砂浜でしゃがみ見ている讃岐の風景が、どこか遠い記憶として残っている気になるのは、日本人の原風景というものだろうか。
古の人たちも、きっとこうして四国讃岐へ渡る前、同じ風景を見ていたのだろう。
その日本人としての記憶が、DNAレベルで脈々と受け継がれているのだろう。
などと、生物学を専攻していた人間とはとんと思えない文学的な発想を抱きながら、
凪いだ海からのわずかな潮風を感じていた。
そうこうしているうちに、ネイティブ日本人の汎用的なノスタルジーは、桐詠限定のオリジナルなノスタルジーを引き込んできた。
この数週間で起きた出来事。
数李との死別、教師との決別、目的の消失。
一言で片付けるならば無常ということになるのだろう。
もちろん理屈では分かっている。
永遠に続くものなどこの世にはない。
そんなことは分かっている。
しかし彼が今考えていることは、そういうことではない。
現実に起こったこと、現象としての出来事に対する理屈探しではない。
それらの現象が起点となって生起しそうになっている、生得的な記憶のようなものである。
生得的、内在的
遺伝子での記憶の継承だろうか
DNAによる風景の伝承だろうか
いや、やはり非科学的だ
でも、今の私の記憶でないものがある
今回の出来事はそれを掘り起こすために用意されていたものなのか
数李との突然の別れからこのかた、努めて自分の心に向き合わずに過ごしてきた桐詠だったが、眩いほどの細波に翻弄されたように、閉ざされていた蓋を開こうとしていた。
生得的な記憶を取り戻すための旅
それを取り戻す目的とは、いったい何なのか
それを取り戻したら、果たしてどうなるというのか
――分からない。
無理矢理にこじ開けようとするには、どことなしに濃厚で重苦しい蓋のように思えた。
そんなものかもしれない。
閃きやきっかけというものは、他力本願的な要素が、多分に必要になったりするものかもしれない。
焦れば焦るほど遠ざかるものかもしれない。
時間だけには困ることのない桐詠は、この海岸での妄想に決着をつけて、あとはもう何も考えずに只管打坐(しかんだざ)に徹した。
どのくらいの時間が過ぎただろうか。
いよいよ空腹を感じて食事にでもしようかと、すっかり固まってしまった体をほぐすように、やおら捻りながら立ち上がった。
すると、ずっと背後で待ち続けていたかのような、海岸に近い場所にあるというよりも、もはや海岸の中にあると言ったほうが良いくらいの小さなお社が目に入った。
『渋川八幡宮』
上賀茂神社とも実家前の神社とも、まったく異なるサイズ。
これなら神様も、コンパクトに仕事を済ますことができそうなサイズだ。
こういう神社であれば、彼は躊躇なく鳥居をくぐることができる。
――夕方の松。
桐詠は目を疑った。
夕日の似合う一株の松の老木がすぐそこで枝を伸ばしているではないか。
人は誰しも、よく似た他人が三人はいるということを聞いたことがあるが、それは万物共通のことなのかもしれないと思わせるような、あまりに相似した松だった。
黒松独特の色合いといい、胴回りといい、年なりといい、そして何よりその腰の折れ具合といい、実にそっくりだった。
ふつと足を向けることのなくなっていた夕日エリアの神社から、いつの間にかひっそりと引越しを済ませたかのような双子の松が、「腰でも掛けていかんかね」と言わんばかりに桐詠を待っていた。
すっかり空間を錯覚してしまいそうになりながら、懐かしさとともに横に立つ。
慈しみの思いで両手を置けば、心の奥に松の声さえ届いてきそうに思えた。
ふと、腰折れ松との再会が二つの意味を持っているような気がした。
『夕方の松』と讃岐を前にして立つここ渋川の松、その二本の松との時間を超えた邂逅のように思われたのだ。
そして、二十年の時を経、場所を移し、あらためて詠じた。
決して腰折れ歌とはならぬようにと慎重に。
昔見し 松は老木に なりにけり (むかしみし まつはおいきに なりにけり)
わが年経たる 程も知られて (わがとしへたる ほどもしられて)
あの時の『夕方の松』の折れた腰での詠誦が二十年後の予行演習だったかのような、まるで今日ここで詠まれるのを待っていたかのような、この歌の成就を思わせた。
それは、確かに以前ここでこの歌を詠んだ記憶があると思わずにはいられない、無形の根拠によってもたらされている。
今よりもはるかに歳を重ねた自分が詠んだ記憶である。
傍らには誰かの気配を感じていたことさえ信じられる記憶である。
(つづく)