「先生?みんな、何しているのかな?」
「なんだか、急に忙しなくなったね」
「うん、どんどん片付け始めてる」
「でも、なんだか、少し楽しそうにも見えるね?」
「ほんと、なんだか愉快にお話しながら片しているね」
タイチーマークのように、ベネチアの街を二分して流れる大運河。
女の子と先生は、カナルグランデに面したレストランでディナーです。
夕闇がゆっくりとパープルへと移ろいゆきます。
心なしか前を流れる運河の水が、その量を増やしたように見えます。
「美味しい。こんなピザ、食べたことない」
「そう?そんなに違うかい?」
「うん、全然違う」
「どれどれ本場のピザというのは、どういうものなのかな?」
「どう?」
「ん!こ、これは、なんたることーーー」
「あはは、先生、大げさ」
「えへへ、ちょっと芝居染みていたね」
「うん、三文芝居」
「三文芝居とは、ひどいな」
「じゃあ、猿芝居?」
「それは、もっとひどい」
「ふふふ。でも、ほっぺが落ちてしまうでしょう?」
「ああ、本当にほっぺが落ちそうな美味しさだ」
「ね、すごいよね?」
「これは本場でしか食べられないね、たしかに」
ふたりの注文は、マルゲリータ。
世界共通のピザの女王です。
トマトソースの上に、バジルとモッツアレラだけのシンプルな組み合わせ。
それなのに、どうしてこんなに違うのでしょう。
同じ材料、同じレシピ、同じ調理方法。
なのに、どうして、こうも違うものができるのでしょう。
「先生、入り口近くのテーブルと絨毯が片付いちゃったよ?」
「本当だ。店仕舞いするには、まだ早い時間だと思うのだけどなあ」
「そうだよね。まだ夜が始まったばかりなのにね」
「他のお客さんたちも、同じことを言っているみたいだよ?」
「そうなの?」
「英語を話している人たちなら、なんとか聞き取れるからね」
「なんて言ってるの?」
「アクアアルタ、か」
「アクアアルタ?」
「うん、ベネチアで起きる洪水のことだね」
「洪水?そんな大変なことが起きるの?それなのに、お店の人たちは楽しそうなの?」
「慣れたもんなんだって」
「慣れてる?」
「そう、昔はこんなに頻繁ではなかったのだけれど、地盤沈下と大潮、アドリア海の上を吹く季節風が重なって水位が上昇するみたいだよ」
「それに慣れているってこと?」
「そう言ってるみたいって、隣のお客さんが言ってる」
「そうなんだ?でも、テーブルも絨毯も片しているのだから、このお店の中にも水が入って来るんだよね?」
「そうみたい。それもいつものことみたいだよ。今回はどのくらいまで上がるのかなって、そんな呑気なことを言っているみたい」
「ほんと、のんき」
「だね。いつも、そのくらい心の余裕を持っていられたら、すてきだね」
「たしかにそうだね。このくらい、なんてことないよっていられるのは幸せなことかもね」
「明日、何が起こるかなんて誰にも分からないのだから、明日アクアアルタが来ることが分かっているだけ、幸せなことと考えられるのだろうね」
「そうだね」
愉快に明日に備えるウェイターたち。
料理を運んでくるウェイターたち。
お店の人たちは、誰もが等しく笑顔です。
時間に追われず、自分の流れで生きている人たちの笑顔です。
つられるように、女の子と先生も、ふたりの流れの笑顔です。
(つづく)
「なんだか、急に忙しなくなったね」
「うん、どんどん片付け始めてる」
「でも、なんだか、少し楽しそうにも見えるね?」
「ほんと、なんだか愉快にお話しながら片しているね」
タイチーマークのように、ベネチアの街を二分して流れる大運河。
女の子と先生は、カナルグランデに面したレストランでディナーです。
夕闇がゆっくりとパープルへと移ろいゆきます。
心なしか前を流れる運河の水が、その量を増やしたように見えます。
「美味しい。こんなピザ、食べたことない」
「そう?そんなに違うかい?」
「うん、全然違う」
「どれどれ本場のピザというのは、どういうものなのかな?」
「どう?」
「ん!こ、これは、なんたることーーー」
「あはは、先生、大げさ」
「えへへ、ちょっと芝居染みていたね」
「うん、三文芝居」
「三文芝居とは、ひどいな」
「じゃあ、猿芝居?」
「それは、もっとひどい」
「ふふふ。でも、ほっぺが落ちてしまうでしょう?」
「ああ、本当にほっぺが落ちそうな美味しさだ」
「ね、すごいよね?」
「これは本場でしか食べられないね、たしかに」
ふたりの注文は、マルゲリータ。
世界共通のピザの女王です。
トマトソースの上に、バジルとモッツアレラだけのシンプルな組み合わせ。
それなのに、どうしてこんなに違うのでしょう。
同じ材料、同じレシピ、同じ調理方法。
なのに、どうして、こうも違うものができるのでしょう。
「先生、入り口近くのテーブルと絨毯が片付いちゃったよ?」
「本当だ。店仕舞いするには、まだ早い時間だと思うのだけどなあ」
「そうだよね。まだ夜が始まったばかりなのにね」
「他のお客さんたちも、同じことを言っているみたいだよ?」
「そうなの?」
「英語を話している人たちなら、なんとか聞き取れるからね」
「なんて言ってるの?」
「アクアアルタ、か」
「アクアアルタ?」
「うん、ベネチアで起きる洪水のことだね」
「洪水?そんな大変なことが起きるの?それなのに、お店の人たちは楽しそうなの?」
「慣れたもんなんだって」
「慣れてる?」
「そう、昔はこんなに頻繁ではなかったのだけれど、地盤沈下と大潮、アドリア海の上を吹く季節風が重なって水位が上昇するみたいだよ」
「それに慣れているってこと?」
「そう言ってるみたいって、隣のお客さんが言ってる」
「そうなんだ?でも、テーブルも絨毯も片しているのだから、このお店の中にも水が入って来るんだよね?」
「そうみたい。それもいつものことみたいだよ。今回はどのくらいまで上がるのかなって、そんな呑気なことを言っているみたい」
「ほんと、のんき」
「だね。いつも、そのくらい心の余裕を持っていられたら、すてきだね」
「たしかにそうだね。このくらい、なんてことないよっていられるのは幸せなことかもね」
「明日、何が起こるかなんて誰にも分からないのだから、明日アクアアルタが来ることが分かっているだけ、幸せなことと考えられるのだろうね」
「そうだね」
愉快に明日に備えるウェイターたち。
料理を運んでくるウェイターたち。
お店の人たちは、誰もが等しく笑顔です。
時間に追われず、自分の流れで生きている人たちの笑顔です。
つられるように、女の子と先生も、ふたりの流れの笑顔です。
(つづく)