日々の便り

男女を問わず中高年者で、暇つぶしに、居住地の四季の移り変わりや、趣味等を語りあえたら・・と。

蒼い影(18)

2024年04月24日 03時28分20秒 | Weblog

 健太郎は、駅頭にたたずみ、久しぶりに見た奥羽の山並みは、時を経ても、その姿は変わることなく悠然と構えていた。 
 新緑の萌える木立の中に宝石をちりばめた様に、山桜が晩春の陽光に映えており、それは、人の世の基本である保守的な部分を象徴しているようにも思えた。 一方、不変の峰々から流れ来る川は、世の清濁を合わせた様に、時には激しく流れて川辺の岸を削り周辺の模様を変容させながらも、反面、静かに流れゆく様は、社会の進歩的な有り様を連想させてくれる。 
 小高い山並に囲まれ、一筋の広い川を挟んで静かにただずむ田舎町の自然な光景である。

 皆が、それぞれに思いを胸に描いて楽しく奥羽の旅から帰って早くも一ヶ月が過ぎ、平穏な暮らしに勤しんでいた。
 節子さんは、晴れて健太郎の妻となり大学病院の看護師に、理恵子は高校にと通い、秋子さんは胃癌手術後、自宅で療養していた。
  健太郎は、軽く農作業をする傍ら、街の生涯学習の講師として、従来と変わらぬ平凡ではあるが静かな生活の中にも幸せを感じていた。

 毎年6月中頃を過ぎると、鉢植えのサボテンの花が命を終えて閉じる頃。
 健太郎は日課の様に夕方になると、薬の副作用に悩む秋子さんを様子見に見舞いに訪ねていた。
 彼は妻の節子から秋子さんの手術後の病状について、肺や肝臓に転移する可能性が高いと聞かされていたので、一層、世間話の会話の裏で注意深く彼女の体調等を観察することを怠らなかった。
 秋子さんは、その都度、決まり切った様に、健太郎に対し、死を悟ったかの様に
 「あの世で、律子さん(健太郎の亡妻)にお逢いしたら、あなたが節子さんと結ばれたこと、理恵子があなたがた夫婦の養女となり、三人揃って羨ましいくらいに仲良く過ごしていることなどをお話して、わたし達は以前の様に仲良く、律子さんの案内で二人で手を繋いで比叡のお花畑をなんの心おきもなく永い旅に出るわ」
 「だから、理恵子が成人するまで、面倒を見てやって下さいね。最後のお願いょ」
と、その時に限って瞳が輝き、くどい様に話すので、彼は慰める言葉を失い、これまでに何度も話したことを繰り返して
 「節子からも、君に万が一のときには、理恵ちゃんを自分達の子供と思って可愛がり大事にしてよ。と、事ある度に耳が痛くなるほど言われているし・・。そんな後ろ向きなことを考えるな」
と、返事をしていたが、顔面の皮膚が黒ずんで頭髪が抜け落ち薄くなり頬も細り、病状が好ましくない方向に進行していると、素人目にもはっきりとみてとれた。

 そんな或る日。 彼女が世間話中に、突然、腹部を抱えて冷や汗を流して苦痛を訴えたので、彼は直感で尋常でないと判断して、直ちに診療所の老医師に連絡して指示を受け、腫瘍外科に勤める節子にも連絡して手続きさせて大学病院に緊急入院させた。
 病院では、老医師の息子正雄医師も腫瘍内科担当であるところから、幸いにも担当医に加わってくれ、一安心と秋子さんの妹さん共々喜んでいたのも束の間、入院後一週間を経過した頃、棚田で友人達と世間話していた健太郎に、節子から携帯で
 「容態が急変したので、理恵ちゃんを連れて、すぐに病院に来てほしい」
と連絡が入り、昨日、病院を訪れ見舞いしたときには普段と変わりないと、理恵ちゃんと安心していただけに、どうしたのだろうと半ば驚き、大急ぎで身支度をして車で学校に理恵ちゃんを迎えに行き、その足で病院に急いだ。
 理恵ちゃんも、母親の急変が理解できず無言でついてきたが、終始黙り込み彼の腕に手を絡ませていた。
 高校生とはいえ、まだ母親に甘えたい盛りの少女、青ざめたその顔を覗き見るのも痛々しく可哀相で、彼もやるせない気持ちで胸が一杯になった。

 息を切らせて個室の病室に入るや、担当の医師に青い消毒衣をつけた看護師が節子とともに、秋子さんのベットを囲み先生の指示に従い酸素マスクや脈拍計等を見ながら、せわしなく作業をしていた。 
 健太郎が許可をえて秋子さんの、血管の浮きでた青白い右手首を両手で軽く握り、顔を近ずけて「理恵ちゃんがきたよ!」と二・三回呼びかけると、それまで昏睡していた秋子さんが、ふと目をかすかに開いた。
 気力・視力も落ちているせいか、その瞳は心なしか彼には少し白濁している様に見えたが、語ることも無かった。
 それまで節子に寄りかかっておびえていた理恵ちゃんが、その姿を見て進んで彼の前に出て、母親の手を握り
  「母さん! 理恵だよ。 わかる!。ねぇ~、理恵の顔見えるの、返事して~!」
  「眠っちゃだめだよ~!」「手が冷たいが寒いの」
と、涙声で呼びかけると、秋子さんは目を閉じたまま、なにかを語りかけたいように唇をかすかに動かそうとしている様に見受けられたが、気力がつき果てたのか、そこで顔を右枕に崩れ落ちる様に伏せて、昏睡状態におちいった。

 理恵子は、驚いて節子の胸にもたれかかるように飛び込み、周囲をはばからず大声で嗚咽をあげて泣き出し、節子が両手で肩を抱えて理恵ちゃんの髪を優しくなでながら言葉をかけることもなく慰めていた。
 奇跡か或いは健太郎の幻覚か、二人のその姿が秋子さんの心眼に映ったのか、彼女は心が満たされたかのように軽く微笑んだ様に彼には見えた。、
 その直後。 主治医が聴診器を外して合掌したあと「皆さん、なにも苦しむことなく安らかに、旅たたれました」と、厳粛に告げて再度合掌したあと、看護師に指示をすると部屋を静かに出て行った。
 健太郎は、薄く開いている瞼を優しく撫でて閉じると席を離れた。
 節子が、あとを引き取るように、健太郎と理恵ちゃん、秋子さんの妹さんに対し
  「秋子さんの身つくろいをしますので、あなた理恵ちゃんと控えの部屋に移り、休んでいてくれませんか」
  「理恵ちゃんを、ちゃんと介抱していてくださいね。 お願いよ!」
と、その声は普段静かに話すときとは違って、職業的な少し冷たく響くように感じられたが、反面、彼女のどこにこんな強い精神力が潜んでいるのだろと、内心頼もしくも不思議に思いながら理恵ちゃんの手をとり病室を出た。

 理恵子も、泣き疲れたのか涙を流すこともなく、現実を悟り、落ち着いて暫くたったころ、節子が控え室に現れ、ゆっくりとした口調ながら何時もの優しい声で
 「理恵ちゃん、一人で歩ける?。大丈夫?。寂しいでしょうが、お母さんにお別れの御挨拶をして来ましょうね」
 「あなたも、理恵ちゃんを支えてきて、秋子さんに御挨拶をしてくださいね」
 「私たち、秋子さんには本当に御世話になりましたので、そのご恩に感謝の気持ちを一杯こめてね」
と言って、病室に案内してくれたので彼女についてゆき、秋子さんの傍らに合掌しながら近ずくと、節子が秋子さんの顔を覆うた白い布をとってくれた。
 秋子さんは、白装束で装い胸に手を合わせ、白や黄色の菊の花束に囲われた顔には、彼女が生前好んでいた薄い桃色の口紅が塗られ薄く化粧された綺麗な顔で、今にも目をあけて語りかけてくるようだった。
 健太郎は、故人があまりにも生前と同じ化粧をしていたので、おそらく節子が送り人に頼んで死に化粧をしたものと直感した。
 
 暫くして、現実を悟った理恵子が、目に涙をためながらも落ち着いた声で、母親に顔を近ずけて囁く様に
 「母さん 本当にお月様のところへ行ってしまつたのね。わたしを一人ぼっちにして・・」
 「ときどき、私のところに遊びにきてね。約束ょ」
と語りかけ、髪を名残り惜しそうに優しくなでていた。

 

   
 

コメント
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