秋の気候は変わりやすい。 渓谷沿いの奥深い山里ではその変化が激しい。
理恵ちゃんと織田君が、ポチを連れて宿から近い深い渓谷に架かる釣り橋の付近に散歩に行くと言うので、健太郎は「余り遅くならないうちに帰る様に」と注意して送り出した。
彼等が出かけたあと、節子さんが
「あなた 露天風呂に行かない。 今時分なら人もいないと思うし・・」
と誘うので、健太郎は
「うぅ~ん、でも釣り帰りの人がいるかもしれないよ」
「幾ら夫婦でも、僕は嫌だなぁ。大体、お腹に癌の手術痕もあるし、気がすすまないなぁ~」
と返事をして
「どうしても君が入りたいと言うなら、貸切り風呂があいているかどうか聞いてくるよ」
と言うと、彼女は
「切角、来たのですし、きっと夕闇の露天風呂はロマンチックと思うわ。ねぇ、入りましょうよ」
と切望するので、彼は「それなら女将に聞いてくるよ」と言って帳場に行き聞いたところ、女将さんは愛想よく「丁度、いま、あいたところだわ」と教えてくれたが、そのとき、女将さんが
「そう言えば先生。最近、再婚なされたとのことですね」
「亡くなられた奥さんは、温泉が好きで先生の釣りのお供をしては、よく来ておられましたが・・。新しい奥さんはどちらの方ですか」
と聞くので、そう言えば再婚以来初めて訪ねたことでもあり、また、渓流釣りにきたときお世話になることを考えると、ある程度話をしておいた方が都合が良いかなと思い、彼は再婚した経緯について
秋田の生まれで、 実は僕が高校の教師として独身で下宿していた家の娘さんだよ。
彼女の先輩が、わたしの近所で美容院を経営していて、私の一人生活を見かねて彼女を紹介してくれたのですが、正直、教え子でもあり、歳の開きもあるので最初は遠慮したのですが、互いに話し合ううちに、下宿当時、彼女の親御さんも、将来は、わたしを彼女の婿さんにと考えていたらしく、彼女もその気でいたところ、その後、転勤やらその他互いの人生に紆余曲折があり、彼女は東京に出て看護師になり、仕事に没頭して一人で過ごしていたいたところ、彼女の先輩が強く勧めてくれて、昨年の秋に結婚しましたわ。
ところが不幸なことに、その先輩が今年の春に癌で亡くなり、そのときの遺言で娘を養女にして育てて欲しいと希望したこと。それに、妻も先輩の子供さんでもあり、わたしたちの恩人でもあるので、是非そうしましょうと言うので、いまではわたしたちの大切な子供なのです
ついでに言えば、男の子は娘の先輩で、家庭教師をしてもらっていますが、娘とは非常に仲が良く、私の見るところ、どうやら今のところ、娘の片思いとしか思われませんが・・。と、布団の配置を考慮して説明しておいた。
健太郎が先に露店の岩風呂に入り、古ぼけた街灯のような薄明かりを通して冷えた月夜に、釣りに通う度に眺めていた夕闇に霞む山並みを懐かしく見ていたところ、いつの間にか入ってきた節子さんが、彼の左側に忍び寄る様に近付いてきて、髪の毛をタオルで巻き上げてつつんだあと、毎夜、彼女の癖である片足を彼の伸ばした足の上に重ねながら
「あなた 本当に良い湯加減だわねぇ」
「こうして、貴方と二人きりで温泉に入ることは、わたしの永い間の夢だったの。いま、こうしてあなたの腕にすがりついて、お湯にしたるなんて、本当に幸せで夢を見ている様だわ」
と、いかにも嬉しそうに呟いていたが、彼が湯を通して品良く見える乳房にそっと手を触れると、彼女は恥ずかしそうに「フフッ」と小さく声を発して、静かに私の手を乳房から離し
「だめよ 珍しくも無いでしょうに・・」
と微笑みながら囁き、左肩に頬を添えて
「ね~え 理恵ちゃんは本当に可愛いわね。本当にわたしが生んだようだわ」
と言うので、彼は
「いや~ぁ 湯の中でかすかに見える君の乳房も可愛いよ」
と返事をすると、彼女は「話を交ぜ返さないで」と言いながら、タオルを前に当てながら立ちあがり、渓谷の流れの音のする湯船の端に歩きだした。
彼は首まで湯につかって妻とはいえ初めて見る、ぼんやりと灯る明かりに映りだされた湯気に霞む、白い背筋が通った裸体の後ろ姿が、まるで油絵で見るビーナスの様に彼の目に映り、これが我が妻かと疑う様な上品な艶やかさを感じさせた。
色白の彼女が、長く湯にはいっていたためか、更衣室の蛍光灯の光に薄い桜色の肌をまぶしく照しながら浴衣を着て部屋に戻ると、理恵ちゃん達も早くに帰ったらしく
「わたし達も、体が冷えていたので、今、お風呂で暖めてきたのよ」
「お父さん達は長湯だわねぇ」「お二人で、具合でも悪くなったのかしらと心配していたのよ」
と、半ばあきれたように言いながらコーラを飲んでいた。
健太郎は悪戯っぽく
「あんたがたも、一緒に入ってきたのかねぇ?」
と、からかうと、理恵子は顔を赤らめて「まさかぁ~」とムキになって答えていた。
襖を挟んで、節子さんと理恵ちゃんが一緒に床を並べて寝ることにしたが、床の中で理恵ちゃんが小声で「釣り橋の途中で揺れが怖く、織田君にすがりついたら、織田君がわたしを抱きしめてくれたが、織田君の体温の暖かさがわたしの胸に伝わり感激して、思わずチョットとキスしてしまったわ」
と、そのときの興奮が収まらないのか、節子さんに囁いていた。
節子さんは「そう~なの」と言ったきり、それ以上聞こうともしなかった。
男性軍は昼間の疲れのためか、会話の声もなくすぐに眠ったようだが、節子さんは二人のそのときの情景を想像して、或いは二人は恋をしているのかなぁ。と、思いながら理恵子の成長振りが嬉しく思えた。
窓外の渓谷の音が心地よい子守唄のように聞こえ、今日一日が皆に幸せをもたらしてくれたことを神仏に感謝して眠りについた。