広峰神社の神門に近づくと多くの石造物に混じって「宝篋印塔」が祀られていのが見えた。神社に宝篋印塔はあまり似つかわしくないと思うのは、私達のような明治以降の人々で、江戸時代以前では当たり前のことだった。明治政府が幕藩体制から天皇を中心とした集権国家にするために、幕府との関係が強い既成仏教界との関わりを改めるべく、神仏の分離政策を進めた。それが、日本の隅々まで浸透していた神仏習合の考え方を否定することになった。その政策による廃仏運動は、古い由緒をもつ多くの神社から、仏教系の宝物が失われるという悲劇を起こした。(歴史に思いをはせる8)
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30秒の心象風景4359・文化財の宝篋印塔~広峰神社~
http://youtu.be/ggJFQT_SuAQ
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30秒の心象風景4359・文化財の宝篋印塔~広峰神社~
http://youtu.be/ggJFQT_SuAQ