天沼春樹  文芸・実験室

文芸・美術的実験室です。

再告知 空席若干有だそうです(^^;

2011年12月09日 16時28分07秒 | 文芸

『アンデルセン童話集』(西村書店)刊行記念

アンデルセン童話との出会い再び


天沼春樹(ドイツ文学者・作家)

■2011年12月15日(木)19:30~

「みにくいアヒルの子」「親指姫」「はだかの王さま」「人魚姫」――聖書についで世界中でもっとも翻訳され、いまなお愛されつづけるアンデルセン童話。
『アンデルセン童話全集 全3巻』(西村書店刊)は、国際アンデルセン賞画家賞など数々の受賞歴を誇る、「色彩の魔術師」ドゥシャン・カーライと、その妻カミラ・シュタンツロヴァーが、4年の歳月をかけて156編のアンデルセン童話に挿絵を描いた渾身の作品です。
また翻訳は、作家でドイツ文学研究者の天沼春樹さんによる、アンデルセンが当時子どもたちに語っていたように、わかりやすく親しみやすい口調をめざした新訳です。
全3巻の第1巻刊行を記念して、訳者の天沼春樹さんに、アンデルセンの魅力や知られざる一面、恋の話と作品への影響、アンデルセン作品の翻訳にあたっての苦労話など、さらに、カーライさんのイラストを用いながら、天沼さんと画家カーライさんとの交流、カーライさんの作品について、盛り沢山に語っていただきます。

◆講師紹介◆
天沼春樹(あまぬま はるき)
1953年、埼玉県生まれ。中央大学大学院博士課程修了。中央大学文学部兼任講師(ドイツ文学)、日本グリム協会副会長をつとめる。また、日本ツェッペリン協会会長として、日本における飛行船復活の活動に意欲を燃やしている。主な著書に『水に棲む猫』『猫町∞』(共にパロル舎)、「タイムマシンクラブシリーズ」(くもん出版)、訳書に『ヒンデンブルク炎上』(新潮社)、『緑の石食い虫』(西村書店)、『ドラゴンゲート』(柏書房)、「絵本グリムの森シリーズ」(パロル舎)、「宇宙英雄ローダンシリーズ」(早川書房)など。

☆会場・・・4階喫茶にて。入場料1,000円(ドリンク付)
☆定員・・・40名
☆受付・・・1階サービスカウンターにて。電話予約承ります。
ジュンク堂書店 池袋本店 TEL. 03-5956-6111 FAX.03-5956-6100


最近の講義資料から

2011年11月24日 00時29分17秒 | 文芸

一橋大学と成蹊大学で「ドイツ文化研究」の講義をつづけているが、先週からグリム兄弟の業績の項目に入っている。Marchen(童話)だけがグリム兄弟の仕事ではない。1812年にグリム童話「子供と家庭のメルヒェン集」を刊行したときには、彼らはまた25、26歳の若い学徒だった。その後、言語学や文献学、神話学をはじめゲルマ二スティークの基礎となるようなたくさんの業績を築いていった。

しかし、今回注目したのは近代知識人であったグリム、とくにヤ―コプ・グリムの「自由」の精神についてだった。彼の「自伝」や、とくに1848年のフランクフルト、国民議会の議員に選出され、ドイツの憲法草案にかかわったヤ―コプの発言をみていくと、かれのFreiheit(自由)にたいする進歩的な考えが、はっきりとうちだされていて、現代にも通ずる理想主義的発言となっている。

大学の自由・国民と国家における自由の精神について、力説したのだが、学生諸君の反応はいまひとつで、唯一、聴講生として出席していた社会人のかたが授業後にいろいろ問題提起してくださったのが印象的であった。

以下は、配布した資料の一部。ヤ―コプ・グリムの発言の抜粋だ。これは今でも心して耳をかたむける価値かあるとおもうのだが。

■ヤ―コプ・グリムの自由についての発言資料

「私も、その頃、マールブル大学に学ぶものたちを支配していた精神を称賛したい。当時のそれは総じて溌剌とした、とらわれのない精神だった。ヴァッハラー教授の歴史と文学史の率直な講義は、多くの学生に生き生きとした印象を与え、特に、先生が大講堂で毎週おこなった公開講義は、満場の大喝采を博したものだ。ところが、国家の大権が、その後、目に見えて学校と大学の監督に介入しはじめた。国家権力は、強制的試験を大量に課することで教育機関の監督は達せらると妄想し、教員を不安におびえさせている。私には、このようなきびしい考え方は、将来ゆるまるだろうと思われる。そのような監督が、まさに飛躍せんとしている人間の自由の翼を切りつめ、これからの人生にとって役に立つ、無邪気な、自由にふるまう能力-----それはあとになればもうもどってこない----を制限してしまうことは明らかだ。ふつうの才能ははかることができるかもしれないが、特殊な才能についてはそれがきわめてむずかしいし、天才はそれがまったく不可能だということは確かなのだから。

 たくさんの履修規則がもし厳格におこなわれるならば、みんな同じ姿をした型にはまった人しか生まれない。国家は、むずかしい重大問題に直面したとき、そのような人からは、なんの力もかりられないだろう」

                      ヤ―コプ・グリム『自叙伝』より

■ドイツ憲法への考え方

「私が提案させていただく光栄によくしていおりますので、憲法条項のためにただ一言述べておきたいのです。宗教的、倫理的概念はすでに聖書の中にあります。しかし、自由の概念はとても神聖で大切な概念です。ですから、わが基本法の最初にこの概念を置くことが絶対に必要であると思います。ご提案の第一条は第二条にまわして、その代わり次の内容の者を第一条に挿入されるように提案いたします。すなわち<すべてのドイツ人は自由である、ドイツの土地には隷属は要らない、自由を持たない外国の人も、この土地にとどまるかぎり自由である>というものです。私が要求いたしますのは、なお自由の力強い効果を発揮するために、自由の権利を保障することにあります」1848年フランクフルト国民議会でのヤ―コプ・グリムの演説。これにもとずく憲法草案を提出。209192で否決される。

この自由の精神が、ドイツ基本法に反映されたのは第二次大戦後の西ドイツの基本法からだった! グリムの提案は100年早かったのだ。そのうえ、「ドイツの国土においてはいかなる人種でも隷属は許されないという趣旨は、あのリンカーンの大統領就任の1860年やその後の南北戦争よりも10年もはやいのだ!! 来年は1812年のグリム童話初版から200年の記念の年だが、グリム童話の再評価とならんで、グリムの進歩的思想の再評価や業績をもっと一般に知らしめるべきではないかと、一ゲルマニストして、わたしなどはおもうのだ。


帰りつかない夢ばかりみている。

2011年11月08日 20時52分06秒 | 文芸

奇妙な夢をみた。長野かどこかの山の旅館での合宿が終わった。みんなはバスに乗りこんでいき、自分だけは自転車で東京まで帰えろうとしている。道はわかっているつもりで、いくつか町をとおりぬけていく。夜だ。どの街も暗く、人もすくない。道はわかるといっても本能的に漠然とした方角にむかうだけだ。見知らぬが、いつか見たような町の景色がいれかわり変化していく。東京まではまだ100キロ以上もありそうだ。こういう自転車で見知らぬ町を帰る夢はときおり見ているが、きまって見覚えある景色をさがしている。さて、大きな町にでてきて、夜だというのに人も車も通行が多くなる。交差点に大がらな外国人女性がたって、人の波を交通整理している。自転車のわたしになにかいっているが、わからない。わたしは、ここらで何か食べておこうと思いつく。みまわすと、ちかくにマクドナルドの看板が見える。ま、しかたない、と店のなかにはいってみると、マクドナルドは看板だけで、田舎のパン屋が座敷を休憩場にしているだけだった。汚いガラスケースに調理パンがドサドサならべてあって、店番の兄ちゃんが、どれにするか?ときいてきた。やむなく、いちばん小さいホットドッグをたのむ。畳敷きの休憩場のテーブルにはサービスなのか座布団の数だけ、ミカンが置いてあった。そこで夢が終った。帰りつかない夢ばかりみている。

 


der Alp

2011年11月05日 13時06分53秒 | 文芸

ひさびさに長く眠り、長い悪夢をみた。私は、大きな中華食堂にいる。客のテーブルにはおいしそうなラーメンがならんでいる。そのラーメンのだされかたが独特だった。客の眼のまえに、出汁をとるのか、肉として具材にするのか、とつぜん大きな動物の死体がドサリとさしだされるのだ。小型の馬のような獣が半分皮をはがれた状態で足元におかれる。客は、その獣の肢や首をポキポキ折って、給仕にもどすのだ。しばらくすると、その獣がどう調理されたのか、ふつうの中華そばの体裁でなにごともなく客のテーブルに運ばれてくるしくみのようだった。

私のまえにも、ドサリとその小型の馬の死骸がおかれた。私はぎよっとした。その死体だとおもった獣は、半死のていで生きていたのだ。胴から下の皮をはがれ、血がしたたっていて、脚の一部は骨が露出している。こいつをにぎって折れということらしい。さらに、おどろいたことに、獣の頭部が人間の女なのだ。髪の長い女性で、もちろん見知らぬひとだ。断末魔の苦しみをうったえながら、こちらをみあげて、はやく始末してくれ、殺してくれとさかんに言い立てていた。人面の獣を殺すなんて、さすがにわたしはためらった。もう料理などどうでもよいから、一刻もはやくこの店を立ち去りたかった。

すると、また奥から給仕が出てきて、私のわきに立った。無言の圧力をかけてじっとこちらを睨んでいる。やむなく、私は、その獣の脚をつかむと、上側に折り曲げた。ボキリといやな音がした。獣は悲鳴をあげている。まだ絶命には程遠い。これもしかたなく、人面馬の首すじに一撃をあたえると、首がポロリと折れて下に落ちた。「女」の首はうつぶせに床をなめたかっこうだ。だが、首はまだ息があるようで、シューッと空気がもれる音をだしつづけている。ふいに、その音がやんで、ようやく絶命したようで、私はすこし安堵していた。給仕は、「お客様はキャンセルなさるのかと思いました」と、ひとことだけ挨拶した。その直後に夢がおわり、私は中華蕎麦を食べずにすんだ。

そのあとで、もうひとつ平凡な夢を見ていたようだか、いまはそちらのほうは思い出せない。

※Der Alp(独) 男性名詞 悪夢。夢魔。


UMA or UMI? 

2011年10月30日 23時55分56秒 | 文芸
二週間まえから、夜間の帰宅中の林に沿った坂道で目の前をUMI(未確認昆虫)ともいうべき異形なバッタに横切られて唖然としている。体調は5センチメートルくらい。バッタのように長い脚をもっているが、三対ともクモのように同じ長さのようだった。奇妙なのは全身がまるで緑色の毛虫なのである。10メートルほど手前で発見し、接近しようと試みたころには道を横切って林やヤブに姿を消してしまう。夜目にもはっきりわかるほど大型で、ものすごく高速で移動していく。3メートル幅の道をあっというまにつっきっていく。一度は、坂をのぼってきた車のライトにおどろいてユーターンして隠れてしまった。昆虫の成虫のように甲殻ではなく、どちらかというとトゲトゲしたものがみっしり胴体からつきだしていて、緑の毛虫に足をつけたかんじである。超小型異星人の移動車両かな?なにかみまちがってるかな?と、いろいろ考えて、もう一度遭遇したら、はっきり観察してやるぞ!と思っているが、3回目の遭遇はまだない。
気温が下がってきたから昆虫なら活動期はしまいになってくるので、むりかもしれないが、釈然としない。羽はないようなのでバッタ類ともおもえないが、 世界にはまだ発見されていない異形の昆虫なんかはまだいそうな気がする。UMA (Unidentified Mysterious Animal未確認生物)ならぬ昆虫ではある。 ネットでUMAの画像を検索すると、奇妙な昆虫といっしょに女優のUMA Thurmanユマ・サーマンの写真が大量にひっかかってくるので笑ってしまった。ユマ・サーマンは大好きですけど。


烏瓜 

2011年10月30日 17時52分44秒 | 文芸

烏瓜の実、まだ熟さずに小さなスイカみたいな模様をのこして蔓にぶらさがっている。いまはそんな季節。思いがけない訪問者もある。夜になって明日着ていくつもりのワイシャツをハンガーからはずそうとしたら、その襟元に大きな蟷螂が乗っていた。洗濯物といっしょに家のなかにとりこまれたのだろう。緑色の大きな目とにらみあう。鎌をふりあげていないから敵意はないもよう。すばやくつまみあげて、窓をあけ、夜の闇のなかに投げてやる。庭先に落ちていったが、まあ両者ともこれでほっとしたかんじたろう。翌朝、家の前の路上で、みおぼえのある昨夜の彼に出会った。車につぷされてい死んでいる個体もときおりみかける。君は用心したまえ。そういって、いや、声もかけはしないが、とおりすぎた。わが家は、山の中の造成地にあるので、こういう虫たちとの出会いは頻繁だ。


Underworld?

2011年10月22日 14時19分17秒 | 文芸


日独友好150周年 功労賞授賞式 ドイツ大使公邸

2011年10月20日 00時15分54秒 | 文芸

こういうのは、あんまりアレですけど。いちおうドイツ大使から感謝状をいだきました。


告知!!講演情報です。

2011年10月18日 23時18分54秒 | 文芸

12月15日ジュンク堂講演情報が解禁されました。
http://www.junkudo.co.jp/tenpo/evtalk.html#20111215ikebukuro
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アンデルセンについての小講演です。

Nadja-chat noir 冒頭3

2011年10月10日 02時47分30秒 | 小説

Qui suis-je ? 5

 

その日、ぼくは 16区の市電をのりつぎ、サンジェルマン・デ・プレの伯父の家を訪ねる途中、母親とはぐれてしまった。伯父の家にいくには、一度メトロの5番にのらぬとならない。ひとりでメトロにのったことのないじぶんだったから、おおいに困った。このまま家にひきかえそうとしたときだった。例の黒猫のやつが、これみよがしにメトロへの地下階段を降りていくのか見えた。あいつめ、こんな街中まできていたのか、と思うと、もう追いかけずにはいられなかった。切符のことなんかかまわず、メトロのホームへ追いかけて行った。黒猫がホームの端にすわりこんでいるのが見えた。そのとき、暗いトンネルから轟音をあげてメトロの車両がすべりこんできた。その日、見たメトロの車両ときたら、きみは信じないかもしれないけれど、ぶこつな四角い箱なんかじゃなかったのだよ。  

それは、ほんとうに魚の形をした地下鉄の車両だった。たったの一輌。これがトラムなんかであったら、それこそパリ祭かカーニバルの余興の花電車の試運転であったろう。ところが、その魚の形をした地下鉄は、暗いトンネルからぬうっとホームにすべりこんできたのだ。まばらにホームにたっていた人々は、行先の方面がちがうのか、さして関心もしめさず、新聞を読んだり、あらぬ方角をほうっとみつめていたり、あるいは会話に夢中になっていて、この驚くべきメトロの出現を気にもとめていないようだった。ドアがシューっと音をたてて開いた。開くと同時に、魚河岸にでもいるような魚くさい空気がホームに流れ出てきた。黒猫のやつは、しごくあたりまえだとでもいうように、メトロにとびのっていく。あっと思って、ぼくもとびのろうとしたが、鼻先でドアがしまってしまった。メトロのドアはもう金輪際開くことはないというみたいに、無慈悲な音をたててしまったのだ。ぼくは、またしても黒猫をのがしてしまうのか。魚は、いやメトロは、鱗をひからせながら発車していき、たちまちトンネルに姿を消した。ありがたいことに、それから数秒後、こんどはいつものメトロの車両がホームにはいってきた。ぼくは、先頭車両にまで走り、運転士の真後ろに陣取って、前方の軌道に眼をこらした。魚型メトロはなんだかノロノロ、ヌラヌラ走っていくようだったから、ひょっとして追いつけるかもしれないと思ったのだ。

 案の定、一マイルほど走った頃に、前方の軌道に巨大な魚がすべっていくのが見え始めた。トンネルがカーブしているところでは一瞬見えなくなるが、魚との距離は確実に縮まっていた。このままでは追突するかもしれないほどに。地下鉄軌道を逃げていく魚だ。運転士はもう気付いているはずなのに、なにごともないように車輌を走らせていく。ぼくのすぐ後ろに立っている大人たちが、昼食に食べたヒラメのムニエルの批評を熱心にしているのが耳にはいった。「魚ってやつは、料理人次第ですな・・・」と、いう言葉が聞こえた。

 ぼくはライトに照らし出される前方の軌道に眼をこらしつづけた。「いた !」と、ぼくは心のなかでさけんだ。ところが、もう手のとどきそうなところまで、ぼくの乗るメトロが追いついたとき、逃げていく魚は、トンネルの薄闇のなかで文字どおり溶けていってしまった。あとかたもなく、鱗ひとつのこさず、乗っていた黒猫もろとも溶けていってしまったのだ。

 

http://img.search.com/thumb/c/ce/Coelacanth-bgiu.png/200px-Coelacanth-bgiu.png 画像

 


Nadja-chat noir 冒頭2

2011年10月10日 02時44分46秒 | 文芸

Qui suis-je ? 3

 

きみは夢でみたことと、ほんとうにあったことの区別がつかなくなってしまったこ経験はあるだろうか。もちろん脳の具合がひどく悪いといわれれば、それまでだが、ぼくにはいくつか、どうしてもどっちなのかわからなくなっている事件がある。

たとえば、わかれた恋人のルネが、目の前で銃で撃たれた記憶だ。ただし、ルネは生きている。夢であったからだ。誰に撃たれたのかはわからないままだった。ルネの新しい恋人だったのか、当時パリを占領していたドイツ軍の兵士であったのか。その両方であったのか。ぼくは、肋骨の下を撃ち抜かれて報道にくずれおちるルネの姿を見て「あっ」と声をあげた。悪夢だと思った。けれども、ルネが銃殺された夢をみてからしばらくして、ルネ自身から手紙がきた。シテ島をみおろせる、サン・クールの橋のうえで会いたいと書いてきた。ぼくは会いにいかなかった。返事も書かなかった。ルネは死んだじゃないかと、そのときはかたくなに思い込むようにしていたからだ。

ところが、それから数年してみて、しばらくぶりにルネのことを思い出したとき、おかしなことが起こった。ルネが死んだあと、ルネから手紙が来た夢を見たとぼくは思い込んでいるのだ。ルネが胸から血をながして舗道ののうえにくずおちる光景と、いつもの郵便配達が「ボン・ジュール、ムッシュ !」といって、わたしに茶色い封筒の手紙を手渡した朝の光景が、どちらが夢で、どちらが現実なのか区別がつかなくなっていた。ルネを射殺したのが誰だったのかは曖昧なままだ。

 

 Qui suis-je ? 4

 

それから、また昔の写真の話にもどるのだけれど、猫頭の友だちは、実は男の子ではなかったような気もするのだ。ブラックキャットの花を胸にかざるような男の子なんて、その頃いるわけもなかったから。

 

 


Nadja-chat noir 冒頭

2011年10月09日 23時54分24秒 | 文芸

         Préface

 

 

 

 

 

世の中には子ども時代にこだわるあまり人生を台無しにしてしまう人種がいる。厳格な父親への恐れと嫌悪とか、母親を聖母化してしまうとか、悪い友人たちの影響とか、大人になったらきれいさっぱり忘れてしまえばいいものを、そういう記憶につきまとわれて、現在の生活をだめにしてしまうのだ。かくいうぼくも、そんな人種のひとりなのだ。ぼくがひきずりまわされているのは、人ではない。一匹の黒い猫だ。ぼくは、その猫を、敬愛するアンドレ・ブルトンにならって、ナジャとなづけることにした。黒猫のナジャというわけだ。ブルトンのナジャはロシア系の娼婦であったらしいが、ぼくのナジャは猫であるだけに、いっそう不可解で始末が悪い。ひょっとしたら、彼女は人生という迷路の案内人のつもりなのかもしれない。その迷路がどこにもいきつかないものであることは、百も承知のうえで、ぼくは黒猫のナジャをおいかけている。 

 

 

これはほんとうにあったことだろうか。ぼくはほんとうに生きていたのだろうか。ぼくは、ぼくの写っている何枚もの色褪せた写真をながめては、ため息をつく。それがかつてのぼくであったなんて、確証はどこにもないのだ。ぼくはなにものか ? –ぼくがおいかけてきたのは、いったいなんであったのか。ぼくがこのように、すべてを曖昧にしか考えられなくなったのにはわけがある。そんな話をしてみようか。ことわっておくが、それは過去の物語じゃないんだ。いまこれからだって、じゅうぶんにくりかえされる話なのだ。

 

 

 Qui suis-je ? 1

 

 

こどもの頃の一枚のふるぼけた写真がある。四人の少年が写っている。一番ひだりにぼくが、そこぬけにあかるい顔で、ほほえんでいる。そのとなりがちびのルイで、その次が魚屋の息子のジャン・リュックだ。二人の名前はよくおぼえている。ふたりとも、ぼくのこども時代に、そろいもそろって自動車事故で死んでしまった。ぼくは現場も知らないし、ルイとジャンの葬儀がいつおこなわれたかも知らされなかった。ただ、夏の終わりに親からそれと聞かされただけ。大人たちは、新聞記事でも読んで聞かせるように、その年の夏休みにあった友だちの出来事を話していた。

それから、右端に写っている子。しかし、これは誰だったのだろう。たまたまいっしょにいたにしては、ぼくたち四人はいかにも親しげだ。

ぼくは、セピア色の写真を丹念に眺めてみる。すると、右端の少年の頭部だけが、いささかおかしいのに気がつくのだ。いささかというのでは言葉がたりない。なんと。その子の頭は一匹の猫そのものなのだから。白いきちんとした襟のシャツにネクタイをむすび、うすい色のビロード地のジャケットの胸ポケットにはなにやらしおれかけた花までさしてある。よくみたらブラックキャット草のようにみえる。ごていねいなことだ。

あわてて、目をこすって、もういちど写真を見ると、こんどはその少年をのぞいてぼくまで全員が猫の頭部に変わっている。おそろしくて、それ以来その写真は、机のひきだしにしまいこんだまま二度と見ていない。いまでも、ときどき写真館のショーウィンドウに飾られているポートレートのなかに、猫に変化した紳士のものをみかけることがある。おそらく、人は見て見ぬふりをしているとしか思えない。大げさに騒ぎ立てるようなことじゃないとでも思っているかのようだ。そのとおりなのだろうか。あの写真の裏に19335月とペンで走り書きしてあったことを覚えている。

 

 

 Qui suis-je ?  2

 

「わたしは何者であるか?」という問いにこたえるならば、わたしならば「どんな夢をみるか」ということにつきる。子ども時代、わたしは頻繁に町のうえを飛ぶ夢をみた。たいして高くはなく二階の窓にとどくくらいの低空を両手をのばして、時代おくれのピーターパンよろしく、あちこち飛び回っていた。目覚めると、両腕がひどく痛むときがあって、その夜はよほど力をこめて羽ばたいていたのだろう。飛行しながら、わたしはなにを見ていたのか。いや、見ているというよりは、たいていなにかを追跡しているのだ。地上をすばしこく逃げ回る生き物を・・・・・

 

 

http://www.oxygenee.com/images/Chat-Noir-1885-196KB.jpg

 

 

 

 


 見るためにうまれ

2011年09月23日 00時25分09秒 | 文芸

いま、ちょうど、H.C.アンデルセンの『塔の番人オ―レ』を訳しているところだ。まえから予感があったが、アンデルセンのこの作品は、ゲーテの『ファウスト』第2部の「リュンコイスの歌」からヒントを得たような気がする。

 『ファウスト』第二部から

Tiefe Nacht          深夜 

LYNKEUS DER TÜRMER: 塔の番人リュンコイス


Zum Sehen geboren,
      見るために生まれ
Zum Schauen bestellt,
     見はるを勤めとし
Dem Turme geschworen,
  塔の番人のちかいをたてたれば、
Gefällt mir die Welt.        
世界はまことにおもしろい
Ich blick' in die Ferne,
    遠くをながめ
Ich seh' in der Näh'
      近くをみつめ
Den Mond und die Sterne,
  月と星辰を
Den Wald und das Reh.
   森とノロジカを見る

Sc seh 'ich in allen             しからば万物のうちに
Die ewige Zier,
         永遠のかざりが見える
Und wie mir's gefallen,
    すべて我が意をえるごとく
Gefall' ich auch mir.
      我もおのれにみたされる
Ihr glücklichen Augen,
    幸せな両の眼よ
Was je ihr gesehn,
       汝が見しものは
Es sei wie es wolle,
      それが、どうであれ
Es war doch so schön!
    まことに美しきものだった!

  この塔の番人の心意気と、アンデルセンの塔の番人オ―レの語る自然の驚異の共感はよくにているのだ。こういう本歌取りみたいなのをみつけるのが楽しい。忙中閑あり。


     塔の番人のオ―レ (ただし冒頭部)

 

「人生あがったり、さがったり、さがったとおもえば、またあがる! おれなんか、もうこれ以上高くはあがれないぜ!」

 と、塔の番人のオ―レはいったものだ。「あがったり、さがったり、さがったとおもえば、またあがる。たいていの人間は経験せにゃならんのさ。ようするに、おれたちゃ、けっきょく、みんな塔の番人になって、人生や物事を上からとっくりみることになるんだ!」

 そんなふうに、オ―レは塔の上で言うのだった。オ―レはぼくの友だちだった。年よりの番人で、ちょっとおどけたな、話ずきの男だった。なんでもかんでも、よくしゃべるようにみえるが、根はまじめで、腹の底には大事なものをしっかりもっている。

 そう、この男は、もともといいとこの生まれだった。商工会議所役員のせがれらしいとか、そんなふうにいう人もいる。大学を出て、代用教員や教会の事務職をとりしきる役僧の助手などになったらしいが、それがなんの役にたったことか!

 オ―レは役僧の家に住みこんで、きままにふるまっていたらしい。まだ若くて、なかなのいい男だったそうだ。自分のブーツをツヤがよくでる靴ズミで磨きたかったが、役僧ときたら、ただのグリースしかくれなかった。そんなことで喧嘩になった。いっぽうは、ドケチと悪態をつき、他方はミエッパリとののしった。靴ヅミが、いがみあいの、黒い、つまり不幸な原因となって、ふたりはソデをわかったのだ。

 ところが、オ―レときたら、役僧に要求したことを、世間にものぞんだのだ。つまり、彼はツヤのでる上等な靴ヅミをもとめたのに、いつも与えられるのはただのグリースだったのだ。そんなものだから、世の中に背をむけ、世捨て人になってしまった。大都会で、世捨て人がパンをみつけられるのは、教会の塔の上くらいだった。それで、オ―レは塔に登って、人の来ない鐘楼でパイプをふかしていた。そして、上を見上げたり、下を見下ろしたりしながら、考えにふけっては、見たこと、見なかったこと、本で知ったこと、自分が心のなかでさとったことなどを、彼の流儀で話してくれた。

 ぼくは、よく読み物として、よい本をオ―レに貸してやった。どんな本をよく読むかで、その人がわかるものだ。イギリスの家庭教師小説は好みじゃなかった。また、すきま風とバラの茎からかもしだされたフランスの小説も嫌いだと、オ―レはいった。そう、オ―レは伝記や自然の驚異について書いてある本を読みたがった。

 ぼくは、すくなくとも1年に1度はオ―レを訪ねることにしていた。たいていは、年が変わって新年になったすぐあとでだ。年の変わり目に考えたことに関しての、あれやこれやの話をいくつも持っていた。

 二度訪ねたときのことを話すことにしたい。できるだけ、オ―レ自身の言葉を伝えようと思う。

 

           はじめての訪問

  ほくがオ―レに最後に貸した本のなかに、こまかい岩石、つまり砂利に関する本があった。その本が、とりわけ彼を喜ばせ、夢中にさせたようだった。

「いや、その砂利ってやつは、まさしく愉快な老人てとこだな!」と、オ―レはいった。「みんなは、そんなこと気づかないでとおりすぎちまうけどね! 砂利のころがっている野原や浜辺へいったけど、おれもまったくおんなじだったよ。いかい、みんなは、なんの気なしに敷石の上を歩きまわってるがね、あいつは、ずっと古い時代の遺物なんだよ! おれもそんなふうに歩いていたけど、いまでは、どの敷石にだって敬意をはらうね。この本には大いに感謝したいな。もうこれに夢中だね。古くさいかんがえやしきたりをとっぱらって、こういう本をもっと読みたいものだ。地球のものがたりは、さりゃあなんといつてもどんな小説より、いちばん不思議にみちてるからね!

 いちばん最初のところが読めないのは残念だ。おれたちが習わなかった言葉で書かれてるからね。つまり、地層を、こまかな岩石を、地球の年代記をそっくり読まなくてはいけない。第6部になって、初めて役をになう人間が登場するんだ。アダム氏とイブ夫人だ。読者のなかには、おでましがいくらかおそいんじゃないかという人も多いだろうね。だれもが、すぐに、それを読みだかる。おいらは、いっこうかまわないがね。

 ほんとに、この本は冒険にみちた小説だよ。ぼくたち全部が、そのなかにふくまれるといっていい。人間たは、ひとっところにじっとしているが、この地球は回転してるんだ。それでも、大洋がおれたちの上にあふれ、かぶさってくることはない。おれたちが歩いているのは地球のカラのような表面だ。そのカラがくずれたり、おれたちがそこに落っこちたりはしない。こんなふうに、歴史というものが数百万年もつづいて、たえず先に進んでいる。この砂利についての本に大感謝だね!こいつらが、もし口がきけたら、なにか語ってくれるだろうにな!

 おれみたいに、こんなに高いところにいて、ときおり無になってみるのも愉快じゃないだろうか。心をむなしくしてみると、おれたちゃ、たとえ靴ズミを持っていようと、アリ塚にはっているはかない命のアリでしかないとわかってくるよ。勲章をぶらさげているアリ、歩いたりすわったりするアリにすぎない。数百万年もたったこの石ころにくらべたら、おれたちゃ、まだとてつもなく幼いのさ。大晦日の晩に、おれはこの本をじっくり読んでいたものだから、≪アマゲル島へ飛んでいく魔王の行進≫を観察するの大晦日のいつもの楽しみを忘れちまったほどた! いや、あんたはそんなもん知らないだろうがね! 

 魔女がほうきにまたがって飛んでいく行進は、だれでも知っている。聖ヨハネ祭の晩、ドイツのブロッケン山へ行くのだ。わが国にも魔王の行進というものがある。それは、我が国ならてはの、現代的なものなのだ。大晦日の夜に、彼ら魔物が空を飛んでアマゲル島へ集まっていく。ヘボ詩人、女流詩人、演奏家に新聞記者、能なしのくせに世間では名のとおっている芸術家。そんなやからが、大晦日の夜に空を飛んでアマルゲ島にいくのだ。それそれが、絵筆やらガチョウの羽ペンにまだかっている。はがねのペンでは硬すぎて、そいつらを運べやしないのだ。まえにもいったが、大晦日の晩には、つつもそれがおがめるんだ。ほとんどのやつらの名前をいえるはずだ。だが、あいつらと、イザコザをおこしてもつまらない。やつらは、ガチョウの羽ペンにまたがって、アマゲル島にハイキングするのを人に知られたくはないのさ。おれには、漁師の女房になってる姪っ子がいてね。彼女のいうには、3つの評判のよろしい新聞にスキャンダルを投稿してやったというんだな。

姪っこ自身が、正体をうけて、連れられていったわけさ。ペンなんか持ってなかったから、自分でまたがっていけなかったんだ。姪っこがいうにはね。あいつの言ったことの半分はうそだった。だか、あとの半分だけでも十分だ。

 さて、むこうに着くと、彼らは魔王たちは歌うことから始める。それぞれが、自分の歌を作って、みんな、その歌をうたうわけだ。ま。それがいちばんだからな。だけど、みんなひとつ調子になっちまって、おんなじメロディなんだそうだ。それから、口先だけはたっしゃな連中が小さな徒党を組んで行進とあいなる。そいつらは、かわるがわるにチリンチリンと鳴るグロッケンシュピールみたいなもんだ。そのあとで、家の中で太鼓をたたくちびっこの太鼓たたきが出てくる寸法だ。-----そこで、姪っこは、名前をかくして書きまくる人たちと知り合いなったというわけさ。つまり、ここでは、ただのグリースがきちんとした靴ヅミを名のってるてことだ。そこには、下男をつれた死刑執行人てやつもいた、その下男のほうが頭のきれる男だった。でなかったら、ご主人様のことなんかだれも気にもとめなかったろう。さらには、人のいいゴミ取り人もいた。彼はゴミバケツをひっくりかえしては、『いいぞ、すごくいいぞ、最高だ!』と、ほめまくったものだ。

 この楽し騒ぎのまっ最中に、たぶんそうにちがいなかっろうがね、ゴミ捨て場から草の茎が一本あたまをもたげた。一本の木とも、巨大な花とも、大きな木のコともいうべきものが、いまや屋根のようにおおいかぶさった。それは、この尊敬すべき集会の≪なまけもの柱≫というやつだ。その柱には、お歴々が旧年中に世の中に送りだしたものが、みんなぶらさがっていた。それぞれから、火花みたいなものがほとばしっていた。そいつは、彼らがかりてきたり、利用したりした思想やらアイデアやらで、いまや、それがはがれて、大きな花火よろしくとびちったのだ。そこでは、≪お宝どこだ?≫という遊びをやらかしてんだな。小さな詩人たちは、≪心に火がつく≫という遊びに夢中だった。冗談ずきなやつが、ダジャレをとばす。その数やはんぱではなかった。ジョークがあっちでもこっちでもとどろいた。カラっぽの壺か、石炭ガラをつめこんだ壺をドアにたきつけでもしてるみたいにね。とっても、おもしろかったわ!と、姪っこは言っていた。ほんとうは、姪からもっとたくさん聞いたんだ。ひどく意地悪なことだったが、ゆかいなことばかりだった!だが、これ以上は話すまい。人は善良であるべきで、あらさがし屋になってはいけないからね!

 おれみたいに、あそこでの祭りをよく知っていたら、年越しの夜には魔王の行進を見たくなるのはわかるよな。ある年、姿が見えない連中がいるかと思うと、新しいやつが加わっていたりするんだ。だけど、今年は祭りの客たちを見逃してしまった。石コロの上をころがって、何百万年もころがって、ばらけた石たちが北国でガラガラ音をたててくずれ落ちるのを見た。それから、ノアの方舟がつくられるよりずっとまえに、石たちが氷のかたまりの上をすべっていき、海の底へ沈みこみ、ふたたび浅瀬へ出てくるのを見たんだ。浅瀬の石たちは、水から顔をだすと、『ここをシェラン島にしよう!』と、言っていた。

 その浅瀬が、みたこともないような種類の鳥たちの住処になり、おなじくおれたちが知らないような族長の住処になるのを見た。その後ずっとあとで、そんな石のいくつかに、オノでルーネ文字が刻まれるようになり、年代記にいられるようになった。だけど、おれは、そんなものからすっかりぬけだして、まったくのむになってしまった。そしたら、すばらしい流れ星が3つ4つ、輝きながら落ちていった。それで、おれの考えは、またべつの方向にむいたわけだ。              -------流れ星がどういうものかは、あんたは知ってるだろう。教養がおありの連中だって、たいていは知っちゃいないんだぜ!-------

  おれには、流れ星についちゃ、自分の考えがあるんだ。だから、これから話してやるよ。人はだれしも、なにかすばらしいことや、よいことをすれば、感謝と祝福があたえられるものなんだ。そういう感謝というものは、しばしば、言葉にはあらわれないが、まったくないがしろにはされないものだ!思うんだがね、大洋の光にとらえられ、ひそかに感じた、無言の感謝を、よき行いをした人の頭の上に運ぶのだな! 感謝を長い年月のあいだに送るべきなのがひとつの民族全体のときなどは、ちょうど感謝の花束のように、流れ星のように、その人のお墓に落ちてくる。だから、流れ星をひとつみつけると-------とくにお大晦日の夜なんかにね------この感謝の花束がだれにふさわしいのか考えてみると、楽しくてしかたない。

 こないだなんか、キラキラ光った流れ星が、南西の方角に落ちていった。あれは、それはたくさんの人びとの感謝のしるしだ! だれへの感謝だったろうな? フレンスブルクの峡湾の崖に落ちたにちがいないぞ、と考えた。あそこには、シュレッペグレルやレッセーの勇士たちとその戦友の墓地があって、その上にはデンマークの国旗が風にたなびいてるんだ。ひとつの流れ星は、国のまんなかに落ちた。ソレの町に、ホルベアの棺の上に、花束が落ちたのだ。たくさんの人たちからの今年の感謝のしるしだ。すばらしい喜劇への感謝のあらわれさ!

 流れ星がおれたちの墓の上に落ちるのを知ることは、偉大な考えだし、よろこばしき考えだと思わないか。おれの墓なんぞには落ちっこないな。太陽の光の一筋さえ、おれに感謝を運んではくれない。おれには感謝されることなど、なにひとつないからね。おれには、よくツヤのでる上等な靴ヅミは手に入らないんだ」と、オ―レはため息をついた。「この世で、おれがもらえるものは、ただの靴ヅミなんだ」

 

・・・・・このあとで、2回目の訪問の話につづくわけだが、あとは、「アンデルセン全集」第2巻で読んでくださいね。来年春の刊行予定てす。(^^;

 



幼年詩集から 

2011年09月16日 14時56分06秒 | 文芸

 

ねむのき ねむのき 風に ゆられ

ゆうべ見た夢 林のおくの

おおきな おおきな 胡桃の木

  

ねむのき ねむのき 風に ゆられ

夢のつづきを みているのかな

 

  『幼年詩集・八国山公園』


友だちのいる風景。あるいは風景の中のともだちの記憶。

2011年09月12日 19時38分54秒 | 文芸

  小学生の頃の友だちとは、今では音信不通で、だれひとりその消息を知らない。自分の育った町を出てしまったとはいえ、私鉄で30分も揺られれば、たちまち帰っていけるし、実際両親が住んでいるので、ちょくちょく訪ねていく。たまに町なかに出ることもあって、ひとりやふたりとは顔をあわせそうなものなのに、もう20年近く、旧い友だちと逢ったことがない。おたがい大人になってすっかり変貌してしまったせいかもしれない。どこかで、知らずにすれちがっているのかもしれない。それにしても、彼らが面影さえ残さずに大人になって故郷の町で暮らしているということがあるだろうか。なんだか、子供時代の友だちが、そっくりどこかへさらわれていってしまったような気もする。

  会うすべがないわけでもないだろうが、会って昔のことを語りあうとなると、こちらからはなにを話すべきか困ることになる。そうだ、あの頃にしても、私のまわりにいた子どもたちは、私にとっては風景の一部であって、熱心になにごとか話し合う親友ではなかった気がする。むこうから遊びに来てくれる同い年の少年は、数えるほどしかいおらず、その友だちも、私がなにを考えているかわからないふうな顔をして、次第に疎遠になっていった。

 あるとき、私のほうから熱心に遊びにゆくようになったユキちゃんという男の子がいた。たずねていくと、いつも二人で将棋をしてすごした。ユキちゃんの姉さんが、いつもミルクコーヒーを運んできてくれた。ユキちゃんは、将棋が好きでたまらないらしく、ときどき遊びにくる従兄弟たちとの勝負を細かく話してくれた。おとなしいユキちゃんが、そのときばかりは雄弁になるのである。

  中学校もユキちゃんと同じ学区だった。入学式のあとで、おたがいぎこちない学生服すがたで顔を合わせたが、ユキちゃんはなんだか、はにかんだような、まぶしそうな眼で、ちょっと笑っただけだった。「将棋」のことをのぞいては、私たちのあいだに話をすることがらがみつからないのに気づいたのもその頃のことだ。

 ユキちゃんの姿は、それからすうっと遠のいて、たくさんの学友たちのなかにまぎれこんでしまった。私はもうユキちゃんの姉さんがいれてくれたミルクコーヒーを飲むこともなくなった。

                               『友だちのいる風景』未発表ノート