八障連ブログ

八障連(八王子障害者団体連絡協議会)運営委員会より、情報提供を行っています。(「八障連について」カテゴリーを参照)

八障連通信394号をアップします。

2023年06月29日 | 八障連通信


ここからは通信本文です。


事務局通信 Vol.87
6月17日に定期総会を無事に終えることができました。2023年度は新型コロナウイルスが5類相当になり、停滞していた活動も少しずつ戻りつつあるように思います。とはいえ、感染源は相変わらず存在しており、ところどころで感染の拡大がみられます。十二分に感染に気を付けていただき日常をリカバリしていただければと思います。
さて、2023年度は八王子市の障害者計画、障害福祉計画の見直しの時期となります。総会でもご報告いたしましたが、見直しを行う策定委員会へ八障連から身体、知的、精神と会員団体へ呼びかけて当事者の方々を推薦し着任に至りました。経過について市のホームページでは以下の説明があります。『障害のある方とその家族に、地域住民とともに支えあいながら住み慣れ
た地域で活き活きと暮らしていただくため、このほど障害者基本法第11条に基づいて障害者のための施策に関する基本的な事項を定める「市町村障害者計画」及び障害者自立支援法第88条に基づいて生活支援に関する具体的な目標値を定める「市町村障害福祉計画」、児童福祉法第33条に基づく障害児通所支援等に関する具体的な目標値を定める「市町村障害児福祉計画」として、平成30年度から平成32年度までを計画期間とする「八王子市障害者計画」、「第5期八王子市障害福祉計画」及び「障害児福祉計画」を策定しました。』障害者計画で理念的な向かうべき理想像を示し、それだけでは具現化がなかなか進まない現状を踏まえて具体的な数値目標を掲げる障害福祉計画を策定します。
策定委員会に先駆けて市では当事者の方々への無作為のアンケート調査も行っており、その結果概要も資料としてありますので、本号通信へ同封いたします。12月頃には市民へのパブリックコメントを実施する予定です。既に始動している策定委員会ですが、皆様の意見を届けたく、本号通信にアンケートも同封いたしました。参加されている会員団体、当事者の方々とも連携しながら広く意見を届けられるようにしていければと思います。
7月に本計画についての学習会を開催できればと検討しております。詳細について決まりましたらお知らせいたします。
尚、八王子市障害者地域自立支援協議会全体会ではこの計画のモニタリングを行うことが規定されています。併せて、皆様のご意見を随時受け付けておりますので、何かありましたら事務局までご連絡ください。(事務局:有賀)

連載コラム  Vol.72 『誰のバリアもフリーに』  八障連代表 杉浦 貢
私が、養護学校(現:特別支援学校)の高等部を卒業し、社会に出始めた1990年代初頭の頃というのは…それまで、一部の大規模駅、一部の高利率路線のみに限られていたエレベーター、エスカレーターの設置、建物施設のバリアフリー化、誰でもトイレの設置、バス車両のノンステップ化などの動きが、広く多くの地域に及び…それ以前まではスルーされてきた中小規模の駅やバス
停などが整備改善されていくという流れの、その過渡期に当たる時期でありました。
バス、鉄道などの各交通事業者は…時代ととも緩やかに変化しつつあるとは言えど、まだまだ『大量の乗客を、遅延なく時間通りに運ぶ』ということに躍起になっていた過渡期の最中でありました。
個別の乗客に対する対応…中でも移動に困難を抱えた障害者などへの対応は二の次、三の次にされるありさまでした。
たとえば、私のような車いす利用者への接遇対応などは、職員の通常業務には含まれず、あくまで個々の職員の『善意』や『厚意』によって提供されるもの…とされていました。
つまり…駅員さんやバスの運転士さんは、毎日、大勢のお客さんを相手にしなきゃいけないから、とても忙しいんだけど、どうにか間が空いたら、車いすのお客にも対応するから、我慢して待ってて欲しい。
…というようなスタンスだったのでした。また、駅施設にエレベーター、エスカレーターを新設する際には…『大半の乗客は階段のみの利用で間に合っている。一部の乗客(車いす、歩行困難者)のためだけに駅施設を改修する余裕はない』という見解を、交通事業者は当たり前のように述べておりました。
ところが、そこから時が経って、令和の御世となってみれば…駅施設のエレベーター、エスカレーターは、移動困難者だけでなく、誰でもが使うものとなり、駅員、バス運転士などが 、まずどのような利用者に対しても『おもてなし』の気持ちで顧客に接することが当たり前になっておりました。
まー、これはあまり愚痴っぽい語りにはしたくないのですが…駅などで、たくさんの人が一度にエレベーターを使うために、車いすの私がなかなかエレベーターを使えなかったり、パッと見に普通のトイレで用が足りそうに見える人が、当たり前に《誰でもトイレ》を使っていたりすることも、もはや日常になっているわけです。
なにも私は、そうしたお客さんそれぞれに文句が言いたい訳ではないのです。外出に際して困り事があるなら…便利な設備、便利なサービスはどんどん使ってくれればいいし、便利なものは誰が使っても構わないと思うのです。
今日の私が高らかに《やはりそうなったぞ!》と快哉を叫びたいのは…
『交通機関の設備改善、サービスの改善は一部の客に向けた物』『一部の客のみに手間をかけるのは資金と時間の無駄』と私たちに言ってきた人たちに対して…です。
本当に、世の中の交通機関…バリアフリーの様子は、30年前や20年前に、障害当事者の諸先輩方が言っていた通りになりました。
つまり…『バリアフリーは障害者だけのもので無くなる。どの人にとってのパリアもフリーになる』ということです。
便利なものはみんなが使いたいはず。便利なものはみんなが使っているじゃないか。ある環境が不便や不自由のある状態で止まっているのは、決してその状態で満ち足りているのではない。不便で不自由な状態しか選べないような、貧しい状態だからである。
快適性や利便性を求めるのは障害者のみに限らない。楽をしたい、怠けたい心は誰の中にもある自然なもの。バリアフリーだとか、ユニバーサルだとかを考える時、いつも私はそう思うのです。


新運営委員 ご挨拶
NPO法人筋無力症患者会 理事長 恒川礼子です。このたび、八障連に参加させていただくことになりました。難病は、2014年、持続可能な社会保障制度の確立を図るための改革の推進に関する法律として「難病の患者に対する医療等に関する法律」(難病法)が成立し、2015年1月1日に施行されました。それを受けて障害者総合支援法でも、障害の範囲に新たに難病等が含
まれることになり、難病のある人も障害者総合支援法による福祉サービスの対象になりました。しかしながら、難病はまだまだ理解されにくく、周知も支援も進んでいません。八王子市障害者自立支援協議会や計画策定委員会などに参加させていただき、勉強させていただいています。難病に対する認知、理解は進んでおらず、八王子市の難病患者の実体を掴み切れていない
のが現状です。八障連に参加させていただき、少しでも皆さんのお役に立つことができればと考えています。どうぞよろしくお願い申し上げます。
【重症筋無力症とは】
重症筋無力症は、厚生労働省が指定する特定疾患であ
る難病の1つです。
腕や足など動かそうと思った時、脳からの電気信号が、神経と筋肉の接ぎ目(神経筋接合部)の信号伝達を攻撃または妨害する自己抗体 (自分で作り出す抗体)ができてしまい、運動の指令の情報伝達が阻害される自己免疫疾患です。 筋肉側に信号がうまく伝わらなくなるので、疲れやすく、筋力低下、眼瞼下垂、 複視などの眼の症状をおこしやすいことが特徴です。
自己免疫疾患なので、完治は難しいですが、個人差はありますが、適切な治療を受けることにより、社会生活を送ることができます。

【NPO法人筋無力症患者会】
重症筋無力症患者とその家族、及び、重症筋無力症の疑いのある患者とその家族が、交流を図り、情報を共有し、一緒に励まし合いながら、病気の正確で有益な情報を得て充実した日常を過ごし、当事者である患者が、分け隔て無く社会生活を送ることが出来るように共に考える会です。
当会では、先天性筋無力症候群、Lambert-Eaton型筋無力症候群(LEMS)など、筋無力に近しい疾患も同様にサポートし、一緒に活動しております。


八障連に参加させて頂き、ありがとうございます。
NPO法人 難病ネットワーク(Nnet)代表の恒川信一です。

「難病ネットワーク(Nnet)」の紹介
難病ネットワークは、難病法が施行された翌年の2016年に設立しました。
会の名称に「難病」と付いていますが、Nnetの定義する難病は、国の指定難病だけでなく、治り難い・治療法が解明されていない疾患全部を対象としています。
Nnetは、色々な違いがあっても、自立し充実した人生を送れる社会の実現を目指して活動している団体です。
現在は、Facebookの承認制サイト上で主な活動を行っていいます。
難病をキーワードに、難病患者、家族、病院、医師、看護師、福祉関係者、就労関係者、企業、学校、教育関係者、労働者、一般市民などすべてを繋ぎ、力を合わせ次のようなVision・Mission・Valueを掲げ、活動を行っています。
(ミッション:社会に対して「なすべきこと」)
難病者、家族が抱える悩み・問題点の理解・解決へ導く
難病という名の疾患の理解と啓発を行う。
色々な人達が知恵を出し合い、共通する社会基盤の向上を目的とする。
正しく有益な情報を発信する。


Vision(ビジョン:目指す「あるべき姿」)
難病であっても
充実した生涯が送ることができる。
社会参加できる共生社会をめざす。


Value(バリュー:具体的に「やるべきこと」)
● 患者自ら学び、賢く生きる
患者自身がヘルスリテラシーを学び、医療者、行政などと賢く付き合うことが重要です。Nnetでは、当事者に役立つ知識、情報を幅広く発信しています。

2023年8月にリリース予定:難病のことならこのページを検索すれば、すべてわかる難病総合検索サイトを構築中です。
これから、皆さんと力を合わせ、より良い社会となるように頑張ります。よろしくお願いいたします。


連載コラム   B型肝炎闘病記  パオ 小濵 義久
闘病史 その76
青天の霹靂というか、吃驚仰天というか、キツネにつままれたような表情をお二人ともしていらっしゃった。おしっこの我慢も限界に来たので、「トイレに行きたい」と言うと、「早く本を出版して下さい。小濵さんと話をしてなんかすごい元気をもらったし、出版されたら本は是非買って読みます。」とも言って下さった。さて、彼らはその後どうしていらっしゃるだろうか?元気になられたか?もう私の存在も本の事も忘れていらっしゃるかもしれない。やっと約束が果たせる時が近づいて来たが、そもそも本が出版されることはあるのだろうか?
手術後の回復は順調で、年末が迫る26日に退院となった。その足で普段世話になっている喫茶店「馬天使」へ挨拶がてら顔を出した後は家で安静にしていた。年が明けた2日は毎年恒例の親戚の顔合わせに出かけた。入院のことは言ってなかったので、普段通り顔を出して癌のことや手術のことは黙っていた。
夕飯時はおせち料理に日本酒。お正月用に少し美味しい地酒を用意してくれていた。初めて知る銘柄だったが、正月にふさわしい美味しい純米酒で乾杯。1ヶ月振りのお酒は身体の隅々まで染み入るようで、手足の指先まで喜び震えているようだった。「それは酔っているだけでしょ!」ってか。
5日にはうずうずしてきて、テニスコートへ出かけてしまった。私の姿を見て、みなびっくりしていた。もう戻って来ないのではと考えていた人もいただろうから、驚きもひとしおだったかもしれない。親しくしていた人は「もうテニスしても大丈夫なの?」と心配して下さった。大丈夫かどうかは身体が一番知っていることだ。身体と相談しながら、3時間ばかりプレーした。気持ち良かったことと言ったらなかった。テニスも1ヶ月振りだ。
そして高尾山には10日に登り、時々しか行かない薬王院へも廻って初詣でをした。神も仏も信じないのだが、たまにはどの宗派であれ、手を合わすこともある。これもその時々の気持ち次第、身体の動きに任せている。ハイキングも快適で、とても気持ち良かった。なにより汗をかくというのが好きなんなぁだと我ながらつくづく思った。仕事で汗をかくということは全くないから余計かもしれない。仕事では冷や汗ばかり、脳内は汗だらけかもしれないのだが、、。
25日は虎の門病院の外来だった。普段は3ヶ月に1度の割合なのだが、手術後の経過観察も兼ねて早い外来となった。血液検査の結果に問題はなく、術後の経過は良好だった。「テホノビル」という新しい薬の冊子を私に差し出しながら、ウイルスさえ消えれば癌にはならなくなるのだがと熊田Drが小さく口にした言葉に応えて、癌治療後の絶妙なタイミングだったからか「やってみましょうか。」という言葉が思わず口をついて出た。自分の言葉を聞いて、「エーッ、そうだっけか?」と内心では言い返してもいた。
2000年に「ラミブジン」というB型肝炎に対する初めての経口抗ウイルス剤が認可され、核酸アナログ製剤が日本でも使えるようになった。恐らく熊田Drからは治験の段階で冊子を渡され、強く薦めはしないがこういうのが出たよと情報はもらっていたような気がする。ステロイド離脱療法、インターフェロン療法も有効に働かず、1991年から注射をし続けている強力ミノファーゲンC(以下強ミノ)はウイルスを消滅させるような力を持たず、言わば対症療法的な二次的手段にすぎないのだが、新薬に飛びつく気持ちにはなれなかった。
一度使い始めると長期にわたって継続しなければならないということがどこか引っかかったし、私の身体は乗り気の姿勢を示さず、強ミノを打ち続けていれば良いと判断した。その後、ウイルスの耐性変異体ができる人もいることが分かり、選択しなかったことにホッとした感じもした。抗生物質乱用による耐性菌問題が一部では大きな問題ともなっていた。その耐性変異体株を抑制するために2004年に「アデホビル」、2006年には変異株出現率の低い「エンテカビル」、2016年には「テノホビル」が認可された。

通信本文はここまで。



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