八障連ブログ

八障連(八王子障害者団体連絡協議会)運営委員会より、情報提供を行っています。(「八障連について」カテゴリーを参照)

八障連通信348号をアップします。

2019年08月17日 | 八障連通信

八障連通信348号【音声版】はこちらから。


ここからは通信本文です。

【事務局通信 Vol.60 ハンセン病家族訴訟で原告「勝訴」!】
以前に八障連通信でもご紹介し、署名をお願いしたことがあるハンセン病家族訴訟についてご紹介します。
報道等でご存知かと思いますが 2019 年 6 月 28 日に言い渡された熊本地裁の判決で ハンセン病隔離政策が病歴者本人のみならずその家族らに対しても違法な人権侵害であったことを認めました。
ハンセン病者については、らい予防法違憲国家賠償訴訟が 13 名の原告により行われ、1998 年 7 月にらい予防法及びそれに基づく隔離政策は人権侵害であると熊本地裁で判断され、国も控訴の理由がなく施策の過ちを認めて立法府、
司法、行政が謝罪を行い、賠償を行っています。しかし、ハンセン病に対する誤解、隔離政策などの施策が偏見を増長させて権利侵害を被ったのは当事者のみならず、その家族も同様であることから第一次提訴では 59 名の原告が、第 2 次提訴では 509 名の原告が訴えている経緯があります。
今回の判決で弁護団から次の声明文が出されている。『家族らは、誤った強制隔離政策が実行されていた当時はもちろんのこと、同政策が廃止された後も、その多くが病歴者と切り離され続け、誰にも打ち明けることができず、孤立させられていたために、被害の実態を自ら明らかにし難かった。しかし、国の隔離政策により作出され助長されたハンセン病に対する差別偏見は、患者本人だけでなく、家族らも確実にその渦中に陥れてきたのであり、家族らは、偏見差別をおそれるあまり秘密を抱えて生きることをも強いられ、まさに人生の有り様を変えられてしまう「人生被害」を受けてきた。本訴訟は、当初59名の原告で始まった第1次提訴後、裁判の存在を知った多くの家族から声が上がり、わずか数カ月で500名を超える原告による第2次提訴となった。この原告数こそ、家族被害の深刻さと現在性、ひいては社会内におけるハンセン病問題が全面解決に至っていないことを如実に示すものである。』(抜粋)
話は変わりますが、昭和初期に活躍した作家に北条民雄という方がいます。彼はハンセン病を発症し、隔離政策により東京府北多摩郡東村山村の全生園(当時)に隔離されます。その後に執筆活動を開始。川端康成に師事するなどし、全生園での生活を描いた「いのちの初夜」で文學賞を受賞しています。その他にも「癩家族」、「癩院受胎」など執筆しましたが、腸結核により 23 歳の若さで他界されています。 北条民雄というのは小説家としての名であり、本名は七條 晃司(しちじょう てるじ)です。本名は没後も長らく明かされませんでした。理由はハンセン病に対する誤解と偏見です。家族が頑なに伏せていたのを説得されて公表に至っています。こんなところにも差別偏見の根強さが当事者のみならず家族への影響としても垣間見られます。
北条民雄が活躍した時代から戦争が拡大して太平洋戦争へと時代が移り、障害者を取り巻く状況は更に厳しいものになります。国や戦争の役に立たないものは排除される思想が国中に溢れている時代ですから、どれだけの人権侵害と命が奪われたか計り知れません。
現在の障害者差別禁止条例や障害者差別解消法などから合理的配慮が謳われている時代からは想像できません。先人たちの知恵として、自身の幸福を願うのであれば、自身をとりまく環境の安定・健全さをまず整えることが肝要であるという考え方があります。時代背景により、人々の価値観も変化してしまいます。世界人権宣言でもすべての人々に平等にある人権が謳われているように、命はすべてにおいて平等であるという考え方を守るためにも、今回のような差別、偏見への取り組みは大切なものであると思えます。(事務局:有賀)

【お知らせ掲示板】
八障連運営委員会 7 月で調整中 18:30~20:30 クリエイトホール

【砂永美んさん号外情報】
本の出版クラウドファンドは、100万円を超える額をご支援頂きました! 本の名前は、『企業と障がい福祉の SDGS 5人の働き方改革』(定価2,000円 7月中旬発売です)。
この本は、書店販売はありません。理由は、障害者施設から、発送することにより障害者の仕事を増やせ、料金も払えるからです。アマゾンに、載(の)せるのは簡単ですが、あえてこの方法にしました。皆様には 振り込みの手間が生じますがその分、この本の意味する 障害者仕事改革に実際に貢献できます。
全て ありがとうショップ binbin889@hotmail.com、または、このYouTube https://youtu.be/5G_PmYRfblg から注文ください。
【5人の紹介】
5名の方のお名前 起業内容 事業の詳細
株式会社 Jastter 大槻由美取締役 ビジネスマナー研修の会社立ち上げコンビニオーナー 渋谷区3店舗経営日本初障害者の超短時間雇用に取り組み。
MCSハートフル株式会社 今野雅彦 取締役埼玉県で、2010年より特例子会社、A型設立。
3名の障害者が、親会社の清掃業務、PC、印刷業務に従事。
株式会社 リンクライン 神原薫 取締役神奈川県で、日本初、石鹸製造で、障害者雇用の特例子会社スタート現在10期目。
就労B型もスタート。7年目で1億円超えの秘密公開。
株式会社 ミンナのミカタ兼子文晴 栃木県で、2013年企業。障害者B型、A型設立。
自身もパニック障害で、苦しむ当事者でありながら凄い営業力で、全国の障害者施設のデータ入力アウトソーシング事業を手がける。
学校法人 福島学園福島裕美子 理事長岡山県で、児童保育園から高齢者のデイケア為、理学療法士育成の専門学校を経営。
47歳からの起業。おかげさまで 既に1500冊以上受注が来ています。この本の売り上げは、7月6日オープンのオタクミュージアムジャパン 月島の準備と運営資金に使います。
2) なんと、『オタクミュージアムジャパン』が、中央区月島お好み焼き、モンジャストリートにオープン。特別先行、前売りチケット 発売中。 https://readyfor.jp/projects/25290 詳しい説明は。クラウドファンドみてください。30人分限定販売です。売り切り目標。クラウドファンドのみの発売です。1650円から買えます 。シェアだけでも嬉しいです。実は、『企業と障がい福祉の SDGS 5人の働き方改革』の出版の大きな目的の一つは、資金集めでした。障害者、癌サバイバー、高齢者が 働く観光体験型ミュージアムを2020年オリンピック前に作りたい、という目標実現の為には東京の家賃が課題でした。ホップ、ステップ、ジャンプ。友達と、運営資金集めのステップでした。 ところが、超前倒しのスタートです。三ヶ月ででききちゃた結婚みたいな気持
ちです!
実は、この計画が実現に一気に近づいたのは、岩堀さんと出会えたおかげです。2019年4月に、『企業と障がい福祉の SDGS 5人の働き方改革』の著者の一人である大槻由美さんのご紹介でした。彼女は、薬剤師でもあり薬局経営者で、数名の精神障害を持つ方々を雇用しています。
私の『オタクランド』を伝えて、ひとつ返事で薬局の二階で始めてみては、どうですか?と、ポンと肩をたたいてくれました。投薬で苦しむ精神 障害者の正しい理解者です。物件さがしから、障害者関連というだけで、不動産屋さんから敬遠されたりもするのにその物件を提供してくださったのです。一番大事なハート゛面の物件がクリアでき、しかも、東京オリンピック前に小さく実現できる一歩の大きなご協力ご支援に感謝とお礼と”大きな有難う”、伝えます。
今回、本を購入いただいた方には、そのオタクミュージアムの無料招待券650円)が一枚無料で入っています。
3) 8月10日 岡山県倉敷健康プラザ 私講演会 、映画上映です。8月10日 土曜 倉敷市保険福祉会館 午後1時から。福嶋学園の理事長 福嶋裕美子さん、果実工房の平野社長、発達障害についての理解を深め、今後の障害者の雇用や学習について参加希望、チラシ置いていただける近所の方ご連絡ください。
全国のみなさまの協力の賜物です。どうもありがとうございます。
: www.arigatoshop.jp 一般社団法人 ありがとうショップ
砂長美ん Facebook sunanaga bin 検索https://m.youtube.com/watch?v=YgLawavYcPY
国会議員会館の販売5年目です!毎月約20万円 障害者の所得に貢献151ー0053 東京都渋谷区代々木3-1-16 090-8454-2409


【編集部より】
八障連通信348号をお届けいたします。前号で砂長美んさんの「春のお便りパート2」のお便りを紹介しましたが、早くも次のレポートが来ました。砂長様、さっそくの寄稿誠にありがとうございます。「スーパー号外情報」を特集記事として掲載させていただきました。『企業と障がい福祉の SDGS 5人の働き方改革』の出版の成功を祈願してやみません。また会員の皆様方におきましても、この本をぜひご購入いただき、目を通してみてはいかがでしょうか。そしてオタクミュージアムの無料招待券(1650円)をゲットしてみませんか(M)

【連載コラム B 型肝炎闘病記 パオ 小濵 義久 闘病史 その 33】
の 32 で書いた手術後の点滴で起きた速脈のことだが、点滴の滴下スピードが速いと感じた後に起こっている。3 回も続いて起こるというのも不思議だ。速いと感じたのは事実なのだが、術後の不安定な状態で起こった幻視のようなものかもしれず、その事から派生した心理的な動揺が速脈を招いたとも考えられなくはない。手元に眼鏡がなく、よく見えていなかった可能性もある。それとも、そんな心理的な問題とは関係なく、術後の不安定な状態がもたらした帰結だったのかもしれない。そうであれば、松田 Dr の言った通り、大きな危機があり、それを乗り切ったとも考えられる。
今回の手術では、手術当日に 4 単位、翌日に 3 単位、翌々日に 2 単位の凍結血漿を使っている。1 単位は一人分の献血から分離された血漿の量であり、つまり合計 9 人の方に支えられて無事手術が成功したという事になる。肝臓は血流の多い臓器だから、手術には結構出血が伴う。9 人の方の献血がなければ、出血多量で死亡していたことは間違いない。何処のどなたかは分からないが、感謝でいっぱいである。
手術後も凍結血漿の点滴が行われたのは、肝臓など傷口からの出血がじわじわと続いていたからだろう。肝硬変になると、いろいろ不具合が出てくるのだが、そのひとつに血小板が少なくなるというのがある。血小板が少なくなるとどうなるかというと、出血した時に血の止まりが悪くなるのである。血小板が止血作用の中核となる大きな役割を果たしているのだ。傷口からの出血が止まらなくて亡くなったということも昔には非常にまれにあったらしい。
肝臓は大きな臓器だが、全体が一塊になっているのではなく、8 つの塊(亜区域と呼ばれている)から構成されており、時計回りに S(Segment)1~8 とナンバーリングされている。今回、S7 という一番右脇腹側にある部分に小さな腫瘍が発見され、安全を期して S7 を全部摘出することになった。切除の仕方は腫瘍の大きさ・場所、肝臓の状態によって変わってくる。今後の再発に備えて、面倒な事が起こりかねない胆嚢もついでに摘出することになった。摘出されたものを家族は見せられたようだが、気持ちの良いものではなかったようである。
肝臓組織の線維化が進んでゴツゴツしており、美味のひとつである馬肉のレバーのようには美しくはなかったらしい。暫くはレバーが食べられなかったと随分後から知った。
肝臓の手術部位から出血した血液、浸出液、消化液、膿汁、空気などを体外に排出する為にドレーンが挿入され、ベッドサイドの袋に溜まった排液の性状の観察から内部の様子を推測することになる。手術後 2,3日目も凍結血漿が点滴されていたのは、ドレーンから出た血液が袋に溜まっていたからだろう。そういうこともあってか、手術後 3 日間は安静を強いられている。流動食が始まったのも 4 日目からだ。5 日間も絶食状態だったので、流動食でも美味しく感じられた。食べることの楽しみは何物にも代えられない。
手帳に歩行開始についての記載がないのだが、出血が治まってから病室内の歩行が許可されたはずである。6 日目に一般病室に転室しており、7 日目に玄
関周りの庭にて 30分くらい過ごしている。この日に半分抜糸、次の日に完全抜糸が行われた。ドレーンが 8 日目に 3 cm短くなり、9 日目に 5 cm短くなり、10 日目に全部抜かれた。排液の量と質がドンドンよくなって行ったのだ。順調。最後に抜かれたドレーンの長さは 10 cmほどだった。♪「ローレン、ローレン、ローレン....、ピシッ!ピシッ!....、ドーーレーーン!」(次号
に続く)


通信本文はここまで。

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