八障連ブログ

八障連(八王子障害者団体連絡協議会)運営委員会より、情報提供を行っています。(「八障連について」カテゴリーを参照)

八障連通信353号をアップします。

2020年02月02日 | 八障連通信
八障連通信353号をアップします。


八障連通信353号【音声版】はこちらから


ここからは通信本文です。

【事務局通信 Vol.65 高齢事業者との懇談・勉強会に参加して】
八障連の運営委員会にて、利用者の高齢化について話題が出たことがありました。その中で、障害のみならず高齢者サービスの分野についても知っておかないとならないのでは...という課題がみえたため、昨年より高齢分野の事業所の方々と何かと接点を持たせていただいておりました。その中で今年 8 月は高齢者サービス事業所の一部の方々との話し合いや、9 月にケアマネージャーさんの勉強会に八障連の運営委員や、知的・身体・精神の事業所の職員さんにもご協力をいただいてコメンテーターとして参加させていただきました。高齢者サービスでの考え方やサービス内容、障害者サービスにおける考え方やサービス内容についてお互いに「違い」を改めて確認できた会となったように思います。また、その「違い」を具体的にして整理していくことは今後の「課題」ともなりました。
実際、障害者サービスの関係者からすると、高齢者サービスがどのようにサービスを提供されているのか、どのようにサービスを組み合わせて提供されているかなど、高齢者事業のことをあまり理解できていないと私は感じられました。「障害者サービスでできていたものが高齢者サービスではできない」ということになれば、当事者にとっては不利益な変更になってしまう。「制度が変わるから仕方ない」と割り切れる問題ではないと思われるので、何か対策等を考えていかなければならないと思いました。
高齢・障害者サービスをうまく構築して生活をされている方もいらっしゃるようですが、それはほんの一部で、だれもが同じようにサービスの移行後にも移行前と同様のサービスの提供を受けられているわけではないと思われます。重度の方のサー
ビス質や量、軽度であっても今まで使えていたサービスが無くなってしまうという問題は非常に大きな問題です。努力をして当事者が解決できることではないことがたくさんあります。そういったことについては、やはり当事者や関わりのある方々からの声が一番大事なこととなります。
八障連としては、高齢者サービス事業者の方々と、より良いサービスを構築していくために引き続き、情報交換をしていきたいと考えております。その中で、皆様からの声が必要となります。どんな小さな意見でも構いません。お聞かせいただければ、
発信できる場など考えていきたいと思います。
今回のような高齢サービスについてのみではなく、各障害分野に係わらず何かあれば八障連に問題提起をしていただけると、助かります。また、運営委員会に出席をしていただいてお話をお伺いすることも可能です。通常の業務がある中大変だと
は思いますが、お気軽に参加していただければと思います。(事務局/立川)


【お知らせ掲示板】
「市障害福祉課との懇談会」は、2019 年 1 月 14 日(火)18:30~20:30クリエイトホール第 2 学習室での開催となります。
≪テーマ≫
●知的障害者の地域生活について
知的障害者の方々を支える地域生活についての課題など、当事者のご家族の方にも出席いただいてお話をしていただきます。
●防災について(台風 19 号を振り返って)
被災された高尾青年寮の職員の方にもご出席いただいてお話をしていただきます。今後につながるような意見交換ができればと思います。防災課の方も出席予定です。
●福祉課より、家賃補助などを中心に情報提供などお話をしていただく予定です。
ご参加のほどよろしくお願いいたします。(運営委員会)

八障連運営委員会 2019 年 1 月 18 日(土) 10:00 ~ 12:00 東急スクエア 11F


【連載コラム 『日々のなかから、』 <学校訪問にて> Vol.47 八障連代表 杉浦 貢】
毎年秋から冬にかけての時期は、学校さんへの訪問依頼が増える頃合いであり、個人的にもなかなか忙しい季節になります。小学校、中学校、高校と、どんな学校に訪問しても必ず出る。不動不変の質問...『身体が不自由だと、いちばん大変なことはなんですか?』←この質問、訪問先の子どもさんの様子、教室の雰囲気によって、解答の中身を変えています。言いたいことはいつも同じ、『障害があろうとなかろうと、まわりの人に感謝』『日常の視点を変えて、周りの様子を見てみよう』ということなのです。私の答えは...主にこの三つのパターンにまとめられます。
パターン1 擬似体験の推奨
身体の不自由な人の生活を、言葉だけで説明するのは、かなり難しいのです。私のお話を聞いたあと、おうちに戻ったら、『今からしばらく、絶対に立ち上がってはいけない』というルールでゲームをしてみるのもいいかもしれませんね。立てない。歩けないという状態だとトイレにもいけません。お風呂に入るのも大変ですね。普段なら、なんでもなく生活している自分の家が、いきなり不便で不自由になりますね。目が見えない人の体験をするのにアイマスク、耳が聞こえない人の体験をするのに耳栓を使うのもいいかもしれません。身体が不自由な人たちは、何年もその状態で毎日ずっと過ごしていますから、生活が不便だとしてもそんなに危険なことはありませんが、みなさんが、お試しでやってみる時には短い時間だけに限るようにして、いつも自分以外の誰かに安全を確認してもらいながらにしてください。普段当たり前に生活していると体験できないことが、いろいろ分かって勉強になると思いますよ。
↑身体障害者の生活そのままを体験し、理解してもらうというのは難しいものですが、遊びの延長だとしても、自分の身をもって体験することは、その子の中にしばらく残ります。まずは難しいことを抜きにして、『こんなものかな』という雰囲気を知ってもらうだけでも、学びのきっかけとしては充分だと思います。おおむね言葉による説明がしっくりこないお子様向け。
パターン2 感受性に訴える
自分の脚で立って歩くというのは便利で、どこにでも行けるけれど、たくさん歩くと疲れてしまうし、転んで怪我をすればいたいですよね。私の電動車いすは、自分で動かなくていい便利なものだけど、壊れたら動けなくなります。どんなものにも、いいことと辛いことが両方あります。「辛いだけ、楽なだけのことが一個だけある」というのはなかなか無くて、悪いことがあれば必ずもう一個、いいことはあるし、いいことがあれば必ずもう一個、反対側に悪いことがくっついてくるものだと思っています。生活の中で大変なことはたくさんありますが、その分、助けてくれる人がいますから、大丈夫ですよ。
↑質問したお子さんの感受性に訴えるパターン。優しい子。大人しい子向けのお答え。
パターン3 比較してもらう。
勉強が得意スポーツが得意...できること得意なことがある時には、その反対に『できない』という人がいる。ということも覚えておいてください。みなさんは普通に立って歩いたり、目で見たり、耳で聞いたりできますが...それが『できない』という人たちも沢山います。『できる』ことがたくさんあるということは立派だけれど、できない人、誰かの助けを必要とする人もいます。
みなさんが、知らない国の知らない街に行けば、言葉も分からない。道も分からない。『できない』『分からない』ことがたくさんになりますね。でもその分、助けられますよね。 本を読むだけでは分からない言葉、地図を見るだけでは分からない道は、人に教わるしかありません。本当に大変なのは、できない、分からない。何か困ったことがある時に、誰にも助けてもらえないことかもしれませんね。私は毎日、たくさんの人に助けられて生活していますから、その分たくさん感謝していますよ。
↑お勉強がよくできる感じの、少し生意気なお子さん向け。これは障害当事者としての私の実感であり、個人の感想ですが...不便や不自由が多いこと、それそのものは大したことではありません。
本当に困るのは辛いこと悲しいこと、辛いことがある時に、その声が誰にも届かない、あるいは、理解されない、誰にも助けてもらえないことなんだと思います。


【連載コラム vol.21 『盲導犬同伴で、意外なところで足止め → 大きな矛盾!』ハーネス八王子 鈴木 由紀子】
大きな組織体の中で、部署ごとに違った対応をされると矛盾に戸惑うことがある。いまから約 1 カ月前に私が体験したことも、まさに、そんな場面である。11 月中旬のある日、その日一緒に活動していた 2 人の女性と、もちろん盲導犬アーサと一緒に、ランチに出かけた。場所は文京区目白台にある、東大目白台キャンパスの一郭にあるカフェ&レストラン「ビレッジ・マルシェ」。
そのキャンパスには外国人 800 人を収容できるインターナショナル・ビレッジが誕生し、何か珍しい料理に出会えるかもしれないと、ワクワクして出かけたのだが、カフェの奥にあるレストランの入口にたどり着くと、ほどなく一人の店員が出てきて「犬はケージに入れて持ち込めるものしか入れないんです。大型犬は入れません」と声をかけてきた。
私は「えっ、天下の東大の関連施設で、盲導犬入店拒避?これじゃ全然世の中の模範になれないな」と心の中で怒りつつ、極力冷静になったつもりで「盲導犬はペットとは違い、私が行動するのに必要なので同伴しています。法律で、お店の客室には入れることになっているはずですが」と切り返しました。すると「レストランには入っていただけませんが、カフェコーナーで召し上がったら、いかがでしょう」と店員さん。そして、その後のやり取りで、混雑が解消しても、レストランには入れない。また、カフェではレストランの料理は提供できないと言われた。あまり好条件ではなかったが、短時間の休憩中にほかの店に遠征する元気もなくて、結局、ほかの 2 人も巻き込んでカフェの隅に席を取り、エビカレー・セットを注文したのだ。しかし、不愉快な思いをしたあとの食事は全くおいしく感じられなかった。
実は、その建物は、筑波大学附属視覚特別支援学校(附属盲)のすぐ隣りに、2 カ月前にオープンしたばかりで、オープン時には招待チラシも附属盲に配られていた。それで実際に足を踏み入れたら「足止め」されたのは、何とも下せない事態である。
東京大学には視覚障害者をはじめ、何人かの障害者も学んでおり、バリアフリー支援室という部署がある。私たちはその日、附属盲資料室のお手伝いをしていたので、学校に戻ると、すぐに上記の経緯を伝え、相談メールを打ってもらった。 その日は土曜日でもあり、すぐに返事はなかったが、数日後に連絡が取れ、以下の返信が届いた。
・レストランは、「ランチの時間帯で非常に店内が混雑をしていたため、盲導犬使用者の方へは、大型犬でもあったため、カフェコーナーでしたらと説明した。しかし、「盲導犬に対する認識が欠けていた」という認識をあらたにし、今後は、通常のお客様と同様の対応をとるようにする、と。
さて、冒頭の説明に戻ろう。「―日本初!東京大学に「盲導犬歩行学分野」社会連携講座開設― 」という記事を見つけた。実は、東京大学大学院には「盲導犬歩行学分野」社会連携講座というのが最近開設されたのだ。そして、日本盲導犬協会という、盲
導犬の訓練施設の一つと共催の、講座開設キックオフ・シンポジウムというのが今月、この通信が発行される直後の 12 月 14 日に開催されることにもなっている。
これら二つの対照的な事実が示すことは、盲導犬は単なる研究の対象であり、実際に活動する盲導犬について、担当者は全く認識していないということである。シンポジウム当日は獣医療、動物行動学、ゲノム解析、情報工学、眼科医療学および社会学分野等、さまざまな角度から発表が行われると、格好いい紹介文が、関連のホームページに掲載されている。であるなら、それに加えて、盲導犬を受け入れる側の啓
発、そして、おひざ元の各関係部署のスタッフ教育にも尽力していただきたいと切に願うところである。

【連載コラム B 型肝炎闘病記 パオ 小濵 義久 闘病史 その 37】
年前の北海道ツーリング道中での食道静脈瘤破裂顛末記を書いた時に、詳しく書いたので今回は端折らせて戴くが、肝硬変患者に食道静脈瘤はつきものである。だから、半年から 1 年に 1 回位の内視鏡検査は欠かせない。その内視鏡検査を私はとても苦手としていた。血管造影検査に次いで嫌な検査だった。昔は胃カメラと呼ばれていた上部消化管内視鏡はドンドン改良され、ファイバースコープ(以下スコープ)の口径も細くなり、随分喉の通りが良くなって来た。最近はカプセル状のものまで出ている。
30 年も前のものはかなり太かった。飲み下すのにとても苦労をし、いつの間にか涙が滴り落ちる。スコープが喉元から胃の方へ落ちてくれれば良いものを、涙だけが滴り落ちる。悲しい訳でもなく、とても痛くてたまらないという訳でもないのに、目が潤んでしまう事態にいつも恥ずかしさすら感じていた。恋心を抱いていた美人の女医さんに告白したら振られて目頭が潤んでしまったというならロマンティックな話なのだが、検査室の中での機械との格闘で毎回涙が零れるのは誠に味気ない話である。
ファイバースコープを吐き出そうとする嘔吐反射が酷く、なかなか飲み込めずに四苦八苦していると女性の検査技師さんか看護師さんが側に来て、軽く肩に手を触れ
ながら「力を抜いて下さい」と声を掛けて下さる。そうすると何とも不思議、いつの間にかスコープは喉元を過ぎている。しかし、それで安心という訳ではない。検査中も時々嘔吐反射が出そうになる。それを必死にこらえ、腹式呼吸に注力する。注力するあまりいつの間にか力が入ってしまうという、鼬ごっこ。涙だけでなく、汗まで流している事もあった。
3 年前に癌治療で入院した時の担当医が内視鏡検査をやってくれた時に何事もなかったかのようにスコープがするすると喉元を過ぎ、検査中も穏やかに過ごせた。検査も早く終り、全てが順調に終わった。内心快哉の雄叫びを上げていた。
何事もなかったように内視鏡検査を終えることができたという事は私にとっては画期的な事であり、嬉しい出来事であり、大きな喜びでもあった。それからは殆ど何の苦労することもなく内視鏡検査ができている。ある種の認知行動療法が功を奏した一例となった。流石心理の方ですねって、こういう処で言って欲しかったな。でも此処に至るまで 20 年もかかっている。何たるコッタ!
肝硬変になってから、と言ってもいつなったかははっきりしない。B 型ウイルスが人に感染するほどの力がなくなっても、体内に存在する限り肝臓に悪影響を与え続け、肝臓組織の再生を邪魔し、線維化を促し、肝硬変に至らせる。連続的な変化であり、きっちりと境界線が設けられる性質のものではない。肝硬変になったから大きく何かが変わるという話ではなく、肝臓の機能がゆっくりと落ちて行き、最終的に機能不全状態(肝不全)になるというだけである。肝硬変の終期、末期はいろいろ併発する病状があり、大変なのだが、初期の頃は体調的にもそれまでと全く変わりがない。ただ、食道及び肛門の周りに静脈瘤が出来やすくなるので、静脈瘤が破裂しないように、瘤ができれば、早目に取り去るという事を心掛けるだけだ。
食道静脈の様子は年を経るごとに変化して行き、直線的である筈の血管の所々が少し膨らみ、血管そのものが薄くなったりしているのがカメラ画像からはっきりと分かった。2002 年 2 月の内視鏡検査で瘤が大きくなり、破裂する可能性も出てきたので、3 月に食道静脈瘤結紮術を受ける事になった。
小濱さんの食道には龍がいるんだって、ケッサクだね。いや、龍じゃなく瘤。傑作じゃなく、ケッサツ(結紮)だよ~。お後がよろしいようで。(次号に続く)



通信本文はここまで。

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