八障連ブログ

八障連(八王子障害者団体連絡協議会)運営委員会より、情報提供を行っています。(「八障連について」カテゴリーを参照)

八障連通信347号をアップします。

2019年08月16日 | 八障連通信

八障連通信347号【音声版】はこちらから


ここからは通信本文です。
【事務局通信 Vol.59 障害のある方の所得補償について考える】
民党の「知的障がい者の明日を考える議員連盟」(木村義雄会長)が障害者の所得保障、親亡き後の生活(住まい)の確保を検討することを決めたとの記事を読みました。同じく障害者の所得を補償しようとする動きとして 障がい者の自立のために所得向上をめざす超党派の議員連盟(障がい者所得倍増議員連盟)
があります。2024 年を目途にお札を刷新することが公表され、1 万円札には渋沢栄一氏の肖像が印刷される予定とのことです。渋沢氏と言えば銀行、保健、家運、造船、製糸など500以上の会社を育てた方ですが、一橋大、日本女子大、日本赤十字社、聖路加病院の設立、中央慈善協会(現全国社会福祉協議会)初代会長など、尽力した実績もある方で、日本福祉の草分け的人物として取り上げられている記事を読みました。一方、第一銀行頭取として当時統治下であった朝鮮半島での活動が経済的侵略の象徴として批判を呼んでいる面もあり、個人の実績や歴史の評価は様々なご意見があるかと思います。 何を伝えたいかというと、経済的な成功者あるいは開拓者が利益だけではなく、その使い道として社会事業にも関心を抱き活動を広げているのは古来からある傾向に思います。思うに経済基盤の確立、自立は他者へ目を向けるためにも不可欠なものであり、心理的にも社会生活上でも余裕が生まれます。
戦後、GHQ が施策遂行にてこずったのは地方の農村だったと何かの本で読みました。都会の人々は衣食住を奪われたため、すぐに屈したが自給自足ができる農村では、その効力が薄かったというものです。国際紛争などをみても、経済封鎖などの兵糧攻めは古今東西基本的な戦略になっており、人類の支配略奪の歴史にもつながっています。それゆえに現在の貨幣経済の世にあっては尚のこと、経済的なゆとりは人々の健康で文化的な生活に不可欠とも言えます。そ
れは障害のある方も同じ生活者ですから当然同様と思います。そういった意味では障害のある方の所得補償はどうあるべきかというのは大きな問題と言えます。実際にどうしていけばよいのか、一般企業の障害者就労や就労継続支援 B
型事業所がお給与を上げていくべきなのか、年金のような社会保障が充実していくべきなのか、様々な問題があり、はっきりとした答えは私にはまだ見いだせていません。しかし経済的基盤が必要なことははっきりしています。
経済的な安定と社会保障をどう両立させていくべきかはとても難しい問題です。日本は未曽有の少子高齢化を向かえており、人材不足はどの分野でも耳にする状況となりました。世界的には東西冷戦が終結してグローバル化が進んだ一方、その反動としてか民族主義的な偏頗な排斥的な考えが増長し続けており、そこにはモラルハザードや文化的差異もあるためにより複雑な相をていしています。しかし、多様性を認めないと立ち行かない状況は確実に進んでいます。私たちの地域においても自分たちの分野や旧態依然のやり方に囚われていると立ち行かない状況を感じていらっしゃる方は多いのではないでしょうか。大事なものは守りつつも、縦割りに穴をあけて多文化、他分野の横の連携を模索されている方々の活動を範としつつ、より広げていける活動ができればと思います。
先日、障害当事者の連携などの活動をされている団体の方から活動のマンパワー不足の問題についてお話をいただきました。八障連もその課題に直面している渦中ですが、市内にはそうした障害の方の支援を新たに始めているグルー
プが存在します。既存の老舗コミュニティだけではなく、新しい活動が生まれていますので、個々に終結するのではなく、そうした新しい動きを応援し、連携できるようなムーブメント(古い表現ですかね)を広げていく活動を一緒に出来ればと思います。(事務局 有賀)

【お知らせ掲示板】
八障連運営委員会 6 月 20 日(木) 18:30~20:30 クリエイトホール試食コーナー

【2019年度定期総会を終えて】
おかげさまで今年度の総会も、無事に終えることができました。
ご多忙の中、ご参加くださった皆さま。ありがとうございました。毎年毎年、同じような感想を書いている気がしますが...やはり『総会』というと気分も引き締まり、緊張してしまっていました。あの張り詰めた感覚には、何度場数を踏んでもなかなか「慣れる」というところまでには至っておりません。我ながら不器用な気の持ちようではありますが...総会の場は前年度、どんな活動をしてきたのか、新年度に何をするのか、を皆さんに確認していただき、ご報告する場ですから、変に慣れが出て気が緩むよりはまだマシなのかな。と思っております。張り詰めていた割には、議事があっさり進み、おかしいな?と感じ
ていたら、肝心要のものが無い。ということに、総会の途中で気が付きました。
そうです。八王子地域腎友会 岩崎さんの姿とお声が無かったのです。岩崎さんは総会の場にいつも駆けつけてくださり、貴重なご意見を述べてくださっていた...八障連にとっても得難い方でありました。昨年の総会でも、八王子市内の小規模診療所のバリアフリー化が進んでおらず、風邪や腹痛など...障害や病状と直接関係のない体調の変化で診療を受けたい場合にも、専門知識の無さや設備の不足を理由にして難病者や障害者が診療を断られる事例があるとのご報告をいただき、八障連としても何らかの行動を起こすべきとのご意見を頂戴しました。
岩崎さんがご逝去なされた、ということを、春先に回ってきた運営委員会の連絡メールで知ったときにはスマホの画面を眺めて深いため息をついたものでした。また、賛助会員として八障連を支えてくださっていた大信さんもご逝去なされたということを、同じく連絡メールで確認しておりました。ご両名とも、八障連の現在を気にかけ、行く末を案じてくださっていました。通信の紙面の上ではありますが、ここに謹んでお悔やみを申し上げると共に、ご冥福をお祈りいたします。
八障連とは、様々な人の思いのもとに運営されていくべき団体であると私は考えます。もちろんそれは第一に、八王子のまちに暮らし、地域に根ざして生きる人々のためのものであるべきですが...。八王子の土地を愛し、まちを愛し、そこに暮らす人を愛しながら旅立っていった人たち...おそらくは、空の上から見守ってくれているであろう人たちの分まで、今ある八王子をさらに良いものにしていく役割を托されているのかもしれない...なーんて事を書いたらば、いささかセンチメンタルが過ぎるでしょうか? 改めて、自分が背負ったものの大切さに思い至った総会の日でありました。
最後になりましたが、加盟団体の皆さま、今年度もとも変わらぬご支援ご協力、どうぞよろしくお願いいたします。(八障連代表 杉浦 貢)

【編集部より】
八障連通信 347 号をお届けいたします。347 号は本来 5 月の発行予定でしたが、総会準備等で発行できなかったことをお詫びいたします。/さて今号は「定期総会を終えて」を特集記事とさせていただきました。また砂長美んさんからの「春のお便りパート 2」を寄稿いただきましたので全文掲載しました。砂長様、2019 年度も近況報告の寄稿期待しております。/2019 年度の開始に当たり、編集部も気持ちを新たにして通信の充実化に努めて参ります。引き続き投稿募集しております。どうぞよろしくお願いいたします。(編集部)

【砂永美んさん春のお便りパート2】
んにちは 、砂長美んです。お元気ですか?
私の前回の出版した本、「障がい福祉の学ぶ暮らす働くを変えた 5 人のビジネス」、重版も出来ました。ありがとうござます!登場施設の理事長 ゆたかカレッジの長谷川社長のメッセージをシェアします。興味ない分野の方には 、あまりピンと来ない内容かも知れません。ただ、人間の尊い人生を大人達が 、「ウチの子、障がい者だから、、、勝手に ユルイ人生で、良いでしょ ~」と決めつけてしまうのは 、個人的に、今の時代違うと思います。と、なっちゃうのは、大切な 15 歳から20歳くらいの時の教育の matter(事)が変われば、その後の人の人生に多く影響出ると思いました。以下 ↓が 長谷川社長よりのメッセージです。協力者も募集しているそうです。
特別支援学校卒業時に障害者就労継続 B 型事業所を勧められた方は、是非ゆたかカレッジへ!(https://yutaka-college.com) そこから 4 年間の充実した学びや、仲間と共に豊かな経験を積み重ねることで、必ず一般就労が可能になります。一般就労の力がないのではなく、一般就労の力を育てる時間がたりなかっただけなのです。
ゆたかカレッジの卒業生を見ると、療育手帳が A2(重度)であれば、4 年間学べば就労継続 A 型に行けます。B1(中度)であれば一般就労か特例子会社での就労、B2(軽度)であれば、誰もが名前を知っているような有名な会社への就職が可能です。みんなそれぞれ「伸びしろ」をいっぱい秘めているのに、それを伸ばす時間、開花させるための時間がたりなかっただけなのです。知的障がい者は、発達が緩やかだからこそ、社会に出る前の教育も、むしろ健常者よりも時間をかけて丁寧に行う必要があるのです。すべてではありませんが、一般に、一度 B 型事業所に入ってしまうと、そこから抜け出して就職するにはかなりの困難を伴います。何故なら、B 型事業所は「利用者主体」という名のもとに、本人に対しほとんど負荷をかけない世界なので、本人が「楽」で居心地がいいのです。周囲の利用者さんたちとともに、そこに安住してしまうと、敢えて、社会の荒波に飛び込もうとするリスクを負うような選択はしなくなるのです。私の見立てでは、現在 2.2%の障害者法定雇用率は、今後 10 年間で 6%位まで上がります。企業は、飴と鞭の政策により、雇用率を満たすために、会社の戦力になってくれる働ける障がい者を今よりもっともっと求めます。その対象は、これからの時代は知的障がい者です。身体障がい者は、8 割が高齢者だからです。
将来に限りない可能性を秘めた若者たちに、是非学びの機会を提供してあげてほしいと願います。
~ひとりでも多くの子どもたちに「学び」の選択肢を用意するために、1 年でも早くオープンしたい~来年度以降のゆたかカレッジの誘致に向けて、クローズのフェイスブックグループを作成しました。地元の皆さん、ふるってご参加をお願いいたします。よろしければ私の方にご一報くださいませ。グループからご招待させていただきます。
【ゆたかカレッジ渋谷・世田谷エリア誘致プロジェクト】・【ゆたかカレッジ荒川・台東・足立エリア誘致プロジェクト】・【ゆたかカレッジ豊島・練馬エリア誘致プロジェクト】・【ゆたかカレッジ多摩地域誘致プロジェクト】・【ゆたかカレッジ千葉県誘致プロジェクト】・【ゆたかカレッジ埼玉県誘致プロジェクト】前回のメルマガでも 、告知のクラウドファンド、現在挑戦中!。企業と障害者の sgds 的働き方改革。
(https://readyfor.jp/projects/hataraku) 77 万円超える、ご支援ありがとうござます! あと 1 週間で終了です。本に名前を入れたり 会社の広告も掲載出来ます。又は名前なしの匿名でも大丈夫です。今回の本は特例子会社で、障害者雇用する会社の特集 1 ヶ月で、5 人インタビューした内容も リンクに入っています。ぜひちょっと サイトを見てください。私の周りには、もっともっと、みんなが生活しやすく、社会を良くする活動をしている人達が、多いので、いつも元気にしてくれます。これからも、誰かから言われたから やるのでは無く、先陣切り、前向きに 動き出します。私の目標は、長谷川社長のカレッジを卒業した学生 等を雇って、日本初の障害者、ガンサバイバー、高齢者で運営する、日本文化観光ミュージアムを作って、双方が楽しく、安定した仕事を作る事です。ご協力よろしくお願いします。 皆さまの近況もお知らせください!
一般社団法人 ありがとうショップ砂長美ん www.arigatoshop.jp
151ー0053 東京都渋谷区代々木 3-1-16 090-8454-2409
Facebook sunanaga bin 検索はこちらから →https://m.youtube.com/watch?v=YgLawavYcPY
国会議員会館の販売 5 年目です!毎月約 20 万円 障害者の所得に貢献してま~す。

【連載コラム B 型肝炎闘病記 パオ 小濵 義久 闘病史 その 32】
術は 4 時間位かかったようである。注射が打たれるやいなやあっという間に闇の世界に突き落とされた私が意識をとり戻したのは、手術室の隣にある回復室だった。看護師さんに肩を叩いて起こされ、「もう手術は終わりましたよ」と声を掛けられた。看護師さんの顔が目の前にあったが、目の焦点も合わず、瞼
も重く、美貌を確かめる気力もなかった。
やがて 1 時間ほど経って、意識がはっきりしてきたところで、病室へ移動となった。詰所に一番近い 4 人部屋ほどの大きさの病室に 2 人分のベッドが置いてあったが、患者は私だけだった。一般にイメージする集中治療室のよう
な処ではなく、普通の病室を転用した感じだった。窓が全くなく、病室というより倉庫のような感じがした。特に消灯時間になると廊下に明るい灯りが漏れないようにという配慮からか、所々の高速道路に設置されているナトリウムラ
ンプと同じような色合いのオレンジ色のあかりが一晩中灯されていた。その色が倉庫のような趣をいっそう醸し出しており、あまり心地良くなかった。
手術中は夢をみることも、痛みを感じることもなく、注射を打たれた後から叩き起こされるまで、一瞬でワープした感じだった。まさに無の時間であり、時間そのものが消失した感じだった。叩き起こされた瞬間、「ヘーェ、手術って
こんなに簡単なんだ」と感じた。案ずるより産むがやすしってことか。医者の数時間の格闘など勿論念頭にはない。
しかし、まだ全てが終わった訳じゃない。切った張ったが無事に成功したに過ぎないのだ。まだ麻酔がとても効いており、茫漠とした半ば夢うつつといった状態でもあった。手術後は硬膜外麻酔といって脊髄の外側の硬膜外腔に、麻酔時に留置された管から 24時間点滴で麻酔薬を入れ続けるお蔭で、25 cm位の手術跡に痛みを感じることは一切なかった。点滴スタンドからは麻酔薬のほか、抗生剤などの輸液パックが幾つも吊るされており、バイタルチェックと点滴の確認にしょっちゅう看護師が出入りするし、何より血圧を測る時にはその度に起こされ、その夜は全く眠れたものじゃなかった。窓がないので夜が明けたという実感はなかったが、廊下の様子から朝を迎えたかなと思われた頃ひどい頭痛に襲われ始めた。普段頭痛を感じることが殆どないので、この強烈な頭痛には参った。傷口の痛みを抑えている麻酔薬は頭痛には全く効果がなかった。鎮痛剤を追加して貰って少し楽になったが、その後 4 日間頭痛に悩まされること
になった。
点滴の交換時には名前の確認のために起こされた。点滴の滴下スピードが速いと速脈になり、心臓に負担が掛かって具合の悪い事が起きかねないので、普段から点滴をする時はいつも滴下スピードを確認するようにしている。看護師によっては新人もいたり、おっちょこちょいもいるからだ。そして、この憂慮していた事態が起ったのだ。
点滴の交換が終わって看護師が去った後、チャンバー(滴下スピードを調整する点滴チューブの途中の膨らんだ処)を見ていると、微妙に速いことに気付いた。普段なら自分で調整するのだが、今回はそんな訳にはいかなかった。そのうち、心臓の動悸が速まり、大きく脈打ってきた。やばいと感じ、直ぐナースコールを押し、点滴が速いと訴えた。看護師がすぐ飛んで来て調整してくれたが、医師も走って来た。これが 3 回も続いたのにはたまげた。虎の門病院には合計 12 回入院しているが、こんなことは後にも先にもない。
明らかに滴下速度の問題だと思うのだが、1週間位たった頃松田 Dr より「小濱さん、危なかったですね」と言われた。エーッ、「ヒヤリハットじゃん」とも言い返せず、黙っていた。ヒアリが梶が谷(虎の門病院分院)で見つかったっ
て? Hiari at Kajigaya!!


通信本文はここまで。

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