八障連ブログ

八障連(八王子障害者団体連絡協議会)運営委員会より、情報提供を行っています。(「八障連について」カテゴリーを参照)

八障連通信309号をアップします。

2016年03月15日 | 八障連通信
八障連通信309号です。今回は会員団体近況報告で東浅川保健福祉センターと大横保健福祉センターでレストランと売店を運営されている「NPO法人あさかわ」より「レストランあさかわ」所長の野村さんにお越しいただき、お話をお伺いしました。

コラムも絶賛掲載中です。

八障連通信309号【PDF版】はこちら。




ここより、通信本文となります。


【事務局通信 Vol.22】
2月18日に会員団体活動報告があり、今回は「NPO法人あさかわ レストランあさかわ」から所長の野村さんにお越しいただき、あさかわの現状をご報告いただきました。体調不良や用事等で参加者が少なく、野村さんには大変に申し訳ない限りでしたが、新しく大横保健福祉センターに出店した売店業務などの奮闘をお聞きすることができました。そもそも現在の東浅川保健福祉センターは総合福祉センターの名称で誕生し、その設立に要望活動を行うなど深く関係したのが八障連の始まりであり、レストランあさかわもその時に誕生しました。その後にクリエイトホール、あったかホール、南大沢保健福祉センター等の福祉団体による公共施設への喫茶開設を要望し実現してきた流れが出来ました。そういった意味ではレストランあさかわは八障連の原点と言えるような存在と思えます。現状のレストランあさかわの活動詳細については、八障連通信の特集記事にお任せしますが、広く市民が集う公共施設での運営は自然と市民の皆さまとの交流が生まれます。大横保健福祉センターの売店をはじめ、レストランあさかわで働く当事者の皆さんが日々、元気に接客をして、来館者が喉を潤す自動販売機に商品の補充をしている姿は多くの市民の皆様の目に映ってきたことと思います。八王子市では全国に先駆けて一般市では初となる障害者差別禁止条例が施行されました。また本年4月より障害者差別解消法が施行されます。公共施設へ障害者団体が運営する喫茶等を配備し、市民との交流を産み出す機会を設けた八王子市はかけがえのない財産を市民にもたらしたと言えます。この財産が広く差別を解消し、更なる人権の理解が促進することを切に願います。市のホームページにも掲載されていますが、市議会においてレストランあさかわの皆さまが奏でるハンドベルの演奏会が開催され、文化薫るひと時を市民の方々と共に過ごされたとお聞きしました。レストランあさかわ従業員の皆さまをはじめ、陰で支えてくださる市長、市職員の皆様方、東浅川保健福祉センター、大横保健福祉センター、各公共施設の職員の皆さまの先見あるご理解に心から感謝申し上げます。(事務局 有賀)


【今後のスケジュール】
✦ 2016年3月12日(土)に第4回知的学習会を開催します。一人暮らしをされている当事者の方をゲストに迎えます。ぜひご参加ください。
✦ 2016年3月19日(土)の福祉フォーラムにおいて、「風は生きよという」の上映会&トークライブを開催します。参加をよろしくお願いいたします。
✦ あっという間に2015年度も終わりですね。八障連も今年度の反省と、来年度の方針の議論に入ります。ぜひ討論の輪にご参加ください。

八障連主催第4回知的学習
3月12日(土) 14:00~16:00 クリエイトホール
八障連運営委員会
3月17日(木)18:00~20:00 クリエイトホール試食室
福祉フォーラム 「風は生きよという」上映会
&トークライブ
3月19日(土)14:00~17:00 八王子労政会館



【特定非営利活動法人あさかわ からの活動レポート 特定非営利活動法人あさかわ所長 野村】
NPO法人あさかわは、利用者それぞれが持ち前の明るさと優しさで明るく・元気に協力しながら食堂・売店で働いています。またその中で、生活・職業訓練の一環として、音楽療法士の野村所長が「ぽこ あ ぽこハンドベルアンサンブル」を3年前に作り、仕事の前にチーム名の由来になっているように「少しずつ」ハンドベルの練習をし、色々なコンサートに出演。昨年は、障害者団体として初めて八王子市議場コンサートに出演しました!演奏はかなりレベルが高いものでコンサートを聴いた方々から「感動した!」「また聴きたい!」等の意見をいただき、コンサート出演オファーも来ている状況です。
当法人の歴史は1986年(昭和61年)八王子市総合福祉センター(現在の東浅川保健福祉センター)の設立が計画され、八王子障害者団体連絡協議会がセンターの利用者(市民)のための食堂を設置し運営を障害者団体が行い、障害者の通所施設として機能させていくという構想を市の障害者福祉課と共に交渉し市との協議が頻繁に繰り返され合意に至る。1990年(平成2年)八王子市より通所施設開設の認可を受け1991年(平成3年)4月より心身障害者通所授産施設として活動を開始。その後、母体である八王子障害者団体連絡協議会から独立し、平成23年4月に法人化し就労継続支援B型となり現在に至ります。東浅川保健福祉センター内でレストラン・売店、また昨年度公募があり選考の結果、新装した大横保健福祉センターで2015年6月から売店を運営しています。
通所者は現在21歳から62歳までと幅広く、10時から16時まで(昼休憩1時間)1日のほとんどが立ち仕事ですが、明るく元気にレストラン・売店で働いています。美味しい料理と明るい接客が好評で常連のお客様も多いです。また「はちおうじヘルシーメニュー登録店」にもなっているため、センターの健康講座でそのヘルシーメニュー料理の提供やお客様からの要望があった「カレーラーメン」や「ヘルシースープカレー」を開発し商品化しています。メニューの定番のラーメンは、色々なガラからスープを毎日作成し「とても美味しい!」と評判になっています。このような様々な努力から八王子の中では工賃が高い施設となっているようです。
しかし、良い事ばかりではなく、消費税が8%になり、仕入れの値上げに伴う食堂・売店の価格改定(値上げ)によるお客様の減少や東浅川保健福祉センター隣の沖電気の跡地に来年大型ショッピングモールの完成、消費税が10%と今後の来客数の減少が大きな課題となっています。また、大横保健福祉センターは、改装前までは主に高齢者がメインの施設で売店等が一切なかったので、新しく売店が入りしかもその運営を障害者施設がしているという事で「差別的な目」で見られる事がありましたが、法人としては、そのような差別は毅然と対応していました。(この件は半年後、八障連の夛田氏に大横の現状を報告する機会があり、その差別を話すと、すぐに障害福祉課と大横の館長に話しが行き、法人内だけの話ではなく、今後はセンターとしても対応をしていくという事が決定しました。)
当法人は、これから今までと異なり状況が大きく変化していきますが、館を利用する市民の方々へのサービス精神を忘れず、明るく楽しい食堂・売店運営やハンドベルのコンサートで、さらなる感動をしていただけるよう、利用者・職員、保護者と協力しながら法人運営していきたいと思います。ありがとうございました。




【連載コラム 『日々のなかから?、』〈オレオレ詐欺〉Vol.39 八障連代表 杉浦】
お久しぶりです。杉浦です。
 最近、このコラムでは堅苦しい話しが多くなってしまい、読んでくださるみなさんに笑っていただけるような機会が少ないなと感じましたので、今回は少し笑えるお話を。
 数年前のある日のこと。実家の母から電話で連絡がありました。
《さっきねえ、アンタの名前でお金用意するように電話があったけど…違うよねえ》
「本気で困ったら連絡するかもしれないけど…今は平気だよ。どうしたの?」と私。《ああ良かった…実はね…》
 そうです。私の名前を名乗る別人から母へ、現金を要求する電話がかかってきたというのです。母曰く『貢だけど…会社でヘマをしたから300万ほど立て替えて欲しい』という内容の電話だったそうです。
 私は会社勤めもしていませんし、障害年金と福祉の手当てで暮らしています。すぐにニセモノだと感づいた母は「ウチの息子は働いてません!」と電話口で大喝一声(=大きな声の短い語で怒鳴りつけること)して、ニセモノを一瞬で退散させたそうですが、その直後、もしかしたら本当に自分の息子が、どこかで、となたかにご迷惑をおかけしているかもしれないと思い立ち、本物に確認の電話を入れたのだそうです。詐欺師を撃退した母親が、実の息子をそれほど信用していないというのも、私としては複雑な気分なのですが…。
 それにしても、こういう怪しげな電話をかけてくる人間というのは、どこでどうやって私の名前や、我が家の家族構成などを知り得るのでしょうね。やはり、週刊誌等でよく読むように、買い物をした店などでやりとりする顧客の名簿を裏で売り買いするような、違法業者が暗躍していたりするのでしょうか。なんとも空恐ろしい話ですが…いかに個人情報を調べても、私が、年金暮らしで無職の身体障害者であることまでは突き止められなかった訳ですね。詐欺師が詰めの甘い相手で助かりました。
 詐欺師が私のことをもう少し詳しく調べていれば…
「電動車いすで、セレブなご家庭の血統書付きのワンちゃんを轢(ひ)いてしまった」とか、「電動車いすで、高級骨董品店の店先に突っ込んで品物を破壊した」などと…
もう少しもっともらしいことを言って母親をその気にさせることも、出来たかもしれませんが。
 そして今年の正月、実家に帰省した私は…年明け早々、自分の子どもの名前を名乗った別人からの電話を受けた高齢の親御さんが、けっこうな金額を相手の口座に振り込んだというニュースをテレビで見ていました。傍らで同じニュースを見ていた母が…
 「子どものことになると、ワケがわからなくなるのかねえ…歳取ってるとはいえ、少し落ち着けば、自分の子どもの声でないことくらい…判りそうなもんだけどね」と、あくまで他人事の口調で呟きました。
「なんだよ…母ちゃんだっておかしな電話がかかってきた時、大慌てで俺に電話かけてきたことがあったよね…気持ちに余裕のない時こそ、そういう詐欺にも騙されやすくなるもんなんだよ。被害者を馬鹿にするようなことは言うもんじゃないだろ」と私が言えば…
「あれ…?そんな事あったっけ」と母。 自分が危うく詐欺に遭いかけたことさえすっかり忘れているこの人は、ある意味詐欺師以上の大物と言えるのかもしれません。


【連載コラム B型肝炎闘病記 パオ 小濱 義久】
闘病史 2015速報顛末記 
2015年12月14日に始まった入院は、治療が順調に進み、26日には退院となった。短くて済んだのは、癌の大きさ(1.3㎝)や身体へのダメージなどを考慮し、手術ではなく、ラジオ波焼灼術を行うという事になったからだ。ラジオ波とは電磁波の一種で、約450MHzの高周波のことで、腫瘍の中に直径1.5㎜の電極針を挿入し、ラジオ波電流を流すことにより、先端の電極周囲に発生した熱(約100℃)によって腫瘍を死滅させる治療法である。術後のMRIで直径4㎝位の球体状に壊死した痕跡が確認でき、治療が成功したことが分かった。
癌細胞を死滅させるのは良いのだが、正常部位にもそれなりのダメージを与える。そのため、毎日朝晩の抗生剤の点滴が1週間ほど欠かせないが、術後6時間程の絶対安静を経ると段階的に行動範囲も拡大されるので、とても楽な治療である。手術とは天と地の差以上のものがある。人によっては治療中に痛みを強く感じる人もいるらしいが、私の場合はそれ程でもなく、担当医から「小さんは痛みに強いですね」と感心された。
18日の朝9時からラジオ波治療を受け、夕方には安静を解除され、夕食はベッドサイドで食べられた。
あまりにも忙しく動き廻っている看護師に気を使い、夜に詰所まで行ったら、許可されているのはまだトイレ移動だけですからと怒られてしまった(そのようには言われてないっつーうのと、喉元まで出かけた言葉を飲み込み病室へ、とほほ)。
15日朝の血液検査で最高値を示した癌マーカーは25日には見事に下降線を辿っていたし、ラジオ波のダメージで19日朝の血液検査ではかなり悪くなっていた肝機能値も25日にはそこそこに良くなっていた。そんなこんなで、25日の午後に退院の許可が出た。    
あまりに体調が良いので、28日は高尾山に登ろうかと考えていたのだが、「小さん、少なくとも年内は大人しくしていて下さいね」と担当医に注意された。結局、恒例の年末・年始の高尾山トレッキングは1月9日まで我慢することにした。そこまで待てば、25日の血液検査ではまだ悪かった肝機能値が正常値にまで下がってくれているのではと期待してのことである。GPTがまだ64もあったのが少し気掛かりだったのだ。



通信本文はここまで。

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