八障連ブログ

八障連(八王子障害者団体連絡協議会)運営委員会より、情報提供を行っています。(「八障連について」カテゴリーを参照)

八障連通信336号をアップします。

2019年01月20日 | 八障連通信
八障連通信336号をアップします。



八障連通信336号【PDF版】はこちらから


八障連通信336号【音声版】はこちらから
・事務局通信49号

・砂永美んさんからのお知らせ
・お知らせ掲示板
・2018八障連総会を終えて
・連載コラム 『日々のなかから、』 <熱中症にご注意を...> Vol.42 八障連代表 杉浦 貢
・連載コラム B 型肝炎闘病記 パオ 小濵 義久 闘病史 その 22




ここからは通信本文です。


【事務局通信49号】
先日 1,010 人近い方が障害者年金打ち切りかという内容のニュースを読みました。これは
昨年4月から都道府県単位で行われていた年金申請の審査業務が一元化された後に行われた審査で障害程度が低いという理由だそうです。経過措置で一年後に再審査という状況とのことですが、障害当事者にとって年金が支給されなくなるのは不安極まりないことかと思います。障害者の
企業就労は算定雇用率の拡大や支援サービスも増えて、就労している障害者数も増えているようです。雇用定着などの課題もあり、今年度から定着支援に向けた施策も展開されています。企業就労している障害者の方々でフルタイムで働けて十分な給与を得られている場合は良いのですが、多くの場合は障害基礎年金などと就労で得たお給与でなんとか生活をされているケースもあります。そうした方が企業就労が定着して数年経つと障害年金を切られてしまう事例が聞かれます。経済的な不安はお仕事を続けていく上では大きなダメージとなります。就労前訓練を重ねて、やっとの思いで定着した就労も、こうした不安材料で体調を崩して離職につながったり、生活が行き詰まってしまう場合もあるのではないでしょうか。障害者の方々の働く権利を推進していく施策の方向性をも停滞させてしまうような現象のようにも思えます。
話は変わりますが、NPO 法人八王子ワークセンターの定期総会へ参加してきました。事業計画として農福連携があげられていました。これは八障連でも市議懇談会で多摩草むらの会さんが、縦割り行政の弊害が「福祉事業所が農業に従事すること」を阻んでいると問題提起をなされました。農福連携については国も超党派の国会議員でも関心が高い動きとなっています。少子高齢化の社会で担い手がないことはどの分野でも言われています。そうした状況で障害者の方々が社会へ貢献し、頼れる存在として社会の人々へ利益を提供すること。農福連携にはその可能性があるように考えます。ともあれ、施策や制
度がうまくかみ合って、障害者の方々がより希望をもって暮らせるような仕組みが大事なのだと感じました。
おかげ様で八障連の定期総会が無事に終了しましたが、より一層皆様のお力をいただき、来年度に向けて進めていければと思います。(文責:有賀)


【編集部より、砂永美んさんからのお知らせ】

八障連福祉フォーラム 2018 で講師をしていただいた、いつも元気な砂長美んさんから以下のメールをいただきましたので紹介いたします。(紙面の関係で全部を掲載できませんでした。ゴメンナサイ/編集部)

こんにちは すななが美んです。いつもどうもありがとうございます。嬉しいニュースのお知らせとお願い 1 個あります。
◆新しく株式会社 リンクラインの広報担当就任。コムテックの特例子会社で、小田原市で障がい者の方々と石鹸を作っている施設です。早速、議員バッジの形の石鹸を国会議員会館で発売開始。大人気です。(欲しい方 見たい方は facebook ページを)
◆≪お願い≫
約 600 個 7 月賞味期限切れのお菓子の売れ残りあります。私の発注ミスで、大量のロスが出てしまいました。すでにfacebook など SNS で 300 個位は 、ご好意で皆様に購入いただきました。私も毎日、2 個食べています。もし、家でイベントや会社で 食べるよ~。(^ー^)という方がいらっしゃいましたらメール 電話ください。<原価で、利益なしの価格です>
価格 ☆ 名刺 2 枚サイズの大きなクッキ 150 円 1 個 小さいクッキー 9 枚入り 500 円 箱入り
◆連絡先はこちらから⇒ ・www.arigatoshop.jp ・www.tokyomakeup.com 東京都渋谷区代々木 3-1-16 090-8454-2409 砂長美ん


【お知らせ掲示板】
八障連運営委員会 6 月 28 日(木) 18:30~20:30 クリエイト
ウリスムソリ招待演奏会 6 月 30 日(土) 10:00~13:00 東急スクエアビル 12 階


【2018八障連定期総会を終えて】
2018 年 5 月 19 日、どうにか新年度の総会を終えることができました。代表の任を仰せつかってからもうそろそろかなりの年月が経ちますが、やは
り総会の当日というのは緊張するものです。『前年度、自分たちは何をしてきたか』、『新年度に何をするのか』という問いを、直接目の前に突きつけられている気がするからです。
総会の議事については事前にお配りした議案書を、総会当日の様子については通信の他記事や議事録参照していただくとして、ここでは個人的な感想...というか抱負のようなものについて書かせていただこうかと思います。これは代表として、さまざまな場面でお話しさせていただくたびに申し上げている
ことなのですが...。
福祉や医療の制度がまだまだ未整備で、あくまでも地域に暮らす一市民として、平和に、静かに暮らしていきたいと願っている障害者の権利が侵害され、その尊厳が著(いちじる)しく貶(おとし)められたり、社会参加が大きく妨げられてきた時代において、万事に『戦って、勝ち取る』という姿勢を示すことは欠くべからざる大事であったことでしょう。
何も無かったところから、必要なものを、求め訴える。あるいは...奪われたものを取り返すためには、常に攻撃的であることが望ましかったのでしょう。必死の思いで地域に自分たちの居場所を作り、活動してきた諸先輩には深い敬意を抱くと共に、今もなお感謝の思いを感じ続けています。先人たちの活躍があればこそ、今の私たちの毎日があるのですから。
しかし、単に過去を大切にするというだけでは、時代の流れに追いつけません。過去の歴史を大切に思う一方、あえて過去と決別し、時代の流れに合わせ変わっていかねばならない部分も、確実に存在すると私は考えます。
知的障害、発達障害、精神障害 身体障害...八障連は様々な障害を持つ当事者とその支援者によって維持されてきた集まりですが、八王子の地域で困難を抱えて生活しているのは、医学的にハンデを背負った障害者だけではありません。何かの折りに触れ、事あるごとに思い出すのが『この世の中で生きづらさ、暮らしにくさを感じている全ての人が、障害者と見なされるべきではないか』という前代表の言葉です。障害者団体とはいえ『障害者だけの利益を求めればよい』という時代は、今や終わろうとしていると感じます。身障手帳の有無や、サービス受給者証の有無は関係ありません。 今後の社会に必要とされているのは、全てを包括するインクルーシブな考え方であり、価値観の壁を乗り越えようとするバリアオーバーの考え方であると思っています。
しかしこれは『我が事丸ごと』のように、何でもかんでも一緒くたにしたごった煮の考え方とも趣(おもむき)を異にします。ます財政難ありきで、誰でも彼でも寄せ集めてしまおうというのではなく、どのような課題においてもまずは『誰が一番困っているのか』『課題とされるものの本質はなんなのか』という視点は、常に忘れぬようにしていきたいですね。
総会の場において、いまだにバリアフリー化が遅れ、障害者対応が未熟な小規模の診療所や開業医院の改善を、八障連で要求すべきであるとのご意見を賜(たまわ)りました。そのような視点こそ、今までの八障連が見過ごしてきた点だと思います。そして何よりも、この課題が解決できれば、バリアフリー化の恩恵を受けるのは医療を必要とする八王子市民全て...ということになります。 是非とも、福祉課や市議との懇談会で、テーマに上げていきたいと思います



【連載コラム 『日々のなかから、』 <熱中症にご注意を...> Vol.42 八障連代表 杉浦 貢】
5月の連休が終わった後、熱中症になりかけました。自分では、喉(のど)の渇(かわ)きも暑さも感じず...朝目覚めてずいぶん時間が経つのに眠気がなか
なか途切れず、視界がボンヤリする。なんだか身体の動きも鈍いなあ...という程度の自覚しかありませんでした。しばらくして、我が家にヘルパーが来る時間になり...彼はすぐ私の異変に気がついてくれました。『杉浦さん!身体が火照(ほて)ってますよ。顔も赤いです。お水飲みましょ。エアコン付けましょ!』 血相を変えるヘルパーくんを滑稽な気分で見ながら、何をそんなに大げさな、と、差し出されたコップに口を付けると...まさに乾いた砂が水を吸うように、コップの水が私の喉を潤(うるお)していきました。ここに至って私はようやく『自分は喉が渇いていたのだ。』ということに気がつきました。知識としては知っていたつもりでしたか...まさか自分が熱中症になりかけるとは夢にも思わず...自分以外の誰かが気づいてくれなければ本当に危なかったと思います。そこで今回は熱中症についてのお話です。支援者の方が、利用者の方をケアする場合も、支援に入る方ご自身が、ご自分をケアする場合もあるかと思います。ぜひ覚えておいてください。 私がそうであったように熱中症は「気づく」ことで防げます。「私は大丈夫」ではなく、「みんなで気をつける」ことで熱中症をゼロにしましょう。
○熱中症の症状
熱中症は、高温多湿な環境に、私たちの身体が適応できないことで生じるさまざまな症状の総称です。以下のような症状が出たら、熱中症にかかっている危険性があります。
○めまいや顔のほてり
暑さで体温が上昇すると、体にこもった熱を外に逃がして体温を下げようと、皮ふの血管が広がります。すると全身を流れる血液の量が減り、血圧が下がり、脳への血流が減少します。こうした血流や血圧の変化が生じることで、顔面から血の気が失せ、めまいや立ちくらみ、一時的な失神といった熱失神の症状へとつながります。呼吸の回数も増え、脈は速く弱くなり、唇のしびれなども見受けられます。
めまいや失神だけが起こることは少なく、全身の倦怠感(だるさ)や吐き気・嘔吐、頭痛などを伴うこともあります。
熱失神では、脳への血流が損なわれるために、一時的に気を失い、突然バタンと倒れるようなケースがよく見られます。クーラーの効いた屋内や涼しい日陰で休ませ、衣服を緩めて風通しをよくし、体を冷やして、適切に水分を補給すれば、多くの場合は改善します。しばらく様子を見て、症状が改善しないような場合には、医療機関を受診するのがよいでしょう。夏場の屋外や熱のこもる室内での活動の際には、こまめに休息と水分補給を行って、熱失神をは
じめとする熱中症の予防をこころがけましょう。
○筋肉痛や筋肉のけいれん
手足の筋肉がぴくぴくとけいれんしたり、足がつったり(こむら返り)、手足のしびれを感じたりしたら、熱けいれんかもしれません。筋肉が硬くなったり(筋肉の硬直)、痛みを伴ったり、筋肉痛の症状が見られたりすることもあります。全身のけいれんとは異なり、部分的に生じるのが特徴です。また通常は意識もはっきりしています。熱中症といっても、熱けいれんのような初期症状の段階では、必ず高体温になるわけではないことも知っておきましょう。
こまめな水分補給は大切ですが、水分だけを補給することがかえって熱中症による熱けいれんを引き起こす原因にもなりかねません。熱けいれんを予防するためにも、汗をかきやすい状況ではスポーツドリンクや、0.1~0.2%の濃度の食塩水(1lの水に対して 1~2gの食塩を加えたもの)でこまめな水分と塩分の補給を行いましょう。塩分補給には、塩分を含む飴・タブレットや梅干しなどもおすすめです。 対処を誤れば生命にも関わりますから、みなさま、どうぞく
れぐれもご注意を。


【連載コラム B 型肝炎闘病記 パオ 小濵 義久 闘病史 その 22】
2 ヶ月ほど休載させて戴いたが、原稿を書くための資料不足であやふやな記憶と手帳の忘備録だけでは書き続けることができなくなり、虎の門病院に保管されていた私の過去の検査データ(35 年分)が手元に揃(そろ)うまで暫(しばら)く待っていたからである。病状が悪く、執筆できない状態なのかと心配して下さった方もおられた?いなかったってか。お呼びじゃない。こりゃまた失礼~~なんて植木等の姿が頭の中を巡っている。
985 年 12 月 12 日の外来検査では、GOT、GPT がそれぞれ 18、15 とすこぶる良い値を示した。竹内演劇研究所での激しい活動にも拘わらず、肝炎を発症して以来初めての正常値だった。実に 4 年振りの事である。かと言って肝炎が治った訳ではないところが、ウイルス性肝炎の始末の悪い処だ。肝臓の炎症が収まっただけの話で、ウイルスが消えた訳ではなく、火山で言えば所謂(いわゆる)「休火山」のような状態でしかない。それでもウイルスの量は最盛期の 20 分の一位に減っていた。より悪化する速度が遅くなることは確かだし、人へ感染させる力も弱くなっていた。
ウイルス性肝炎というのは、ウイルスが消えない限り慢性肝炎状態が持続し、徐々に進行して肝硬変、肝癌、肝不全へと至る道程を歩む事になる。ステロイド離脱療法を受けた時の私の途中経過は特異的だったし、一旦はウイルスが消え治療が成功したかに見えたにも拘らず、再びウイルスが出現したというのもその当時は異例だったようだ。熊田 Drが開発したステロイド離脱療法は当時はまだ治療として厚生省から認可されたものではなく、治験段階にあった。
私は治験患者としてステロイド離脱療法を受けたのだ。私の症例は確か 187 番だったか、特異例として単体で研究報告書に書かれていた。その報告書を貰(もら)ったような気がするのだが、何処を探しても見当たらず手元には残っていない。
1986 年 2 月に GOT、GPT がそれぞれ 26、22だったものが、4 月には62、58 となり、6 月には178、188 と急激な悪化をみた。6 月 25 日の外来で入院手続きをして帰るように言われ、入院指示書が手渡された。次回外来の予約票が手元にない事が心許なく、とても寂しく感じられたのが昨日のように思い出
される。
1985 年 6 月から 12 月一杯まで失業保険が支給されており、保健所でのグループワークと専門学校での非常勤講師の仕事を 1 日半しながら糊口(ここう)をしのぎつつ、竹内演劇研究所に通っていた。1986 年になると失業保険が切れて、収入が極端に悪くなった。しかし、暫(しばら)くすると数ヶ所の保健所から声がかかり、4 月からは専門学校での授業が 6 コマに増え、ウイークデイの日中は毎日仕事で埋まっていった。どれもが日銭稼ぎの日雇い労働であり、休めば収入はなくなるので、入院については専門学校が夏休みに入ってからにして貰(もら)った。7 月 30 日から 9 日間の入院で全ての検査を行った。肝生検の結果、肝臓の組織は殆ど肝硬変になりかかっていることが分かった。ジャジャジャジャーン。



通信本文はここまで。

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