八障連通信302号ですが、アップしたと思い込んでおりましたが、アップされていませんでした。遅くなり申し訳ありません。
八障連通信302号のPDF版はこちらから。
これより八障連通信302号本文となります。
【事務局通信Vol.17】
新度を迎え、役員も新体制となり早くも8月となりました。この間、慣れない運営から予定変更など対応に追われておりました。7月に行われる予定でありました学習会ですが、準備時間が実際には作りにくいことから、9月に予定している福祉課懇談会準備を優先し、代わりに会員団体の紹介企画を行うことを決めました。しかしお願いした相手への連絡調整に不備があり、当日行えない状況となり、皆様には大変にご迷惑をおかけしました。また8月に交流会(八王子ワークセンターとの共同開催でリレートーク)を予定しておりましたが、調整の結果、準備等の期間も必要で来年1月くらいの開催を予定することとなりました。9月開催の福祉課との懇談会は議会の影響から、先方より10月開催の打診があり、10月15日18時より本庁舎で行う方向で調整中です。福祉課からは虐待防止条例や中核市移行後についてテーマにしたいと要望が出ています。八障連としても中核市移行後のアンケートを実施していますが、義務規定も含まれた市独自条例がどのように会員団体へ影響するのかなど注視していきたいと思います。また施設安定化補助事業(旧家賃補助)について、H27年度より5割補助となりましたが、今後の市の動向も気にかかるところです。障害者自立支援法になり、通所事業所の収入は一日の利用者数に応じるようになりました。安定して通所利用される方々もいらっしゃれば、障害等の影響から安定した通所が難しい方々もいらっしゃる現状もあります。これについては前回の福祉課との懇談会でもテーマとなりました。そうした安定した通所以外の方々を支援している事業所が安定して支援ができるような財政基盤も重要と思われます。今後とも障害種別を超えた情報共有、交流、そして行政、市民への発信をとおして誰もが住みよいまちづくりに貢献していければと思いますので、どうぞ宜しくお願いします。ぜひ、会議や催しの準備段階からの参加をお願いします。(文責/事務局 有賀)
【告知】
9月例会の隔月企画は「まゆだまさんからの報告」で調整中です。また、「市障害福祉課との懇談会」は10月15日18時を予定してます。よろしくお願いいたします。
【今後の予定】
八障連例会(隔月企画-まゆだまさん報告予定)
9月17日(木)18:00~20:00 クリエイト 第5学習室
市障害福祉課懇談会(予定)
10月15日(木)18:00~20:00 市役所802号会議室
八王子で共に支えあう仕組み作りを目指して
10月31日(土)14:00~16:30 東浅川保健福祉センター
【特別寄稿 同 行 援 護 に つ い て 八王子聴覚視覚障碍者サポートセンター 伊藤 薫】
今年度、八王子市では、視覚障害者の外出支援制度の同行援護の支給時間の基準が、30時間から40時間に拡大された。同行援護とは、2011年10月に、所謂「つなぎ法」において、自立支援給付の福祉サービスとして施行された視覚障害者の外出解除の制度である。八王子市では2012年度から支給が開始された。長い間、視覚障害の外出支援の有り方は、法の中でとても漠然としていて、利用者にとって必要な援助とも、実際に介助者が提供しているサービスともかけ離れたものだったが、この新しい制度がスタートしたことによって、かなり具体的に利便で、分かりやすいものとなった。
総合支援法の第5条の4には同行援護の制度について、「視覚障害により、移動に著しい困難を有する障害者等につき、外出時において、当該障害者等に同行し、移動に必要な情報を提供するとともに、移動の援護その他の厚生労働省令で定める便宜を供与することをいう。」とある。また、「移動の援護その他の厚生労働省令で定める便宜」の例としては次のように示されている。
①移動時及びそれに伴う外出先において必要な視覚的情報の支援(代筆・代読を含む。)
②移動時及びそれに伴う外出先において必要な移動の援護
③排泄・食事等の介護その他外出する際に必要となる援助
例えば①として考えられる例は、催しや勉強会などでもらう資料、病院の問診票、金融機関での振込用紙、聴聞などでの受付の署名などなどの読み上げや代筆がある。
②は、周囲の風景や街並みの情報、路面の変化や信号の変わり目など安全に関わる情報、階段・エスカレーターなどの移動手段の選択肢の情報、交通機関での時刻や車線選びの情報、移動中や目的地での周囲の人の様子(行列・動き・知り合いの有無や特定の人を探す時の援助など)と言った、行動の決定を助ける情報提供と援助が考えられる。
③は、
○食事ならば、飲食店選びの援助、メニューの情報、配膳された食事の器の位置関係や内容の説明、調味料の利用の援助など
○排せつならば、トイレの種類や清潔状況、室内での向き・ペーパーや水洗の位置、手洗いの水道が自動か手動かなどの情報提供
○観覧や見学ならば、事物や情景の説明、移動の援助、体験などの際の説明や援助、等々がある。
視覚障害がある場合に不便なこととして、外出と情報の不足と言われてきた。しかし、外出での不便さの本質は、すなわち情報の不足だったのである。例としてあげた情報提供や援助は、介助の場面では以前から、介助者は提供していたし、多くの利用者も必要と認識していたことであるが、支給決定の場面では伝わりにくい場合がしばしばあって、地域間格差に繋がりやすかった。法の条文に「移動に必要な情報を提供するとともに、移動の援護その他の便宜を供与すること」と記されたことで、公的にもサービス内容が明らかになり、認められたということになるのである。
白杖や盲導犬を利用して一人で外出したり、室内を移動している時、それは、行きなれている場所や何時も利用している場所であっても、出発点と目標地点を線で結んで移動しているという行動である。見える場合に絶えず更新され続けている情報=安全に関わることも含めた一目瞭然の周囲の状況の情報は制限されているのである。視覚障害者の自立の代表的な考え方は、古くから、白杖を使って外出し、目的地に到着することであった。措置制度の時代の頃までは、このような自立感も手伝って、介助者や身内の付添と行動する視覚障害者は自立していない、という考え方が当事者間にも根強くあったことは、残念ながら否めないところである。しかし、個人の生活の中でも、社会生活の中でも、それらの自立感と現実には、大きな開きがあったと言える。それが変わり始めたのは、支援費制度に変わった時であろう。措置制度時代、利用の範囲が多くの自治体で、役所・本人の通院などに限られていたり、派遣時間が9時から17時・平日のみなどと限られていたものが、基本的に制限が無くなった。まだまだ地域差があったが、利用の範囲が広がることで、外出解除(ガイドヘルプ)の本来の意味が、外出は移動ではなく目的の遂行までという考え方も含めて、実態として明らかになってきたのである。
同行援護の制度創設は、明らかになった介助の本質を、視覚障害者団体が調査結果を資料としてまとめて、2008年に社会保障審議会障害者部会に提出したことから動き出した。制度発足からもうすぐ4年になる中、全国的にはまだまだ制度として定着し切れていないこと、従業者となるための特化した研修の受講状況が伸びないために提供者が不足していることなど、課題は続いている。八王子では八視協等の活動の結果、今年度から支給時間が拡大され、長年の課題が1歩前進した。以前よりも、生活の中で、利用の計画を立てやすくなったはずである。利用者の介助ニーズを反映したこのサービスを利用し、各々が生活の質を高め、社会への参加を行っていくことで、制度の意義はさらに高まっていく。本来の自立支援給付の考え方に即した利用が促進され、価値あるサービスを次の時代の当事者へと渡していきたいものである。
【連載コラム 『日々のなかから、』 <より良い学びとは?> Vol.35 八障連代表 杉浦 貢】
私が普通学校に通っていたことは、このコラムにも何度か書かせていただいたことと思います。小学校の6年間、中学校の3年間…先天性の脳性マヒで、車イスを使ってはいたものの、言語障害も無く、特に知的な遅れも見られなかったことから《普通の子どもたちと同じように学ばせたい》という、両親の願いを一身に受けてのものだったと思います。
ところが《通わせたい》と願う親の心と、実際に通い続けた私の思いには、どうしてもズレが生じるもので…。
私が義務教育を受けていた頃は、普通校に入学する障害児はまだまだ少数派であり、世の中の理解を得るためには、たくさんの困難がありました。私自身、子どもの頃から口だけはよく回った方でしたので、友だちをからかって怒らせてしまう事もよくありました。
そんな時『お前、生意気だ。障害者はおとなしく障害者の学校に行け』…などと言われてしまったこともよくありました。
学年が上がるにつれてどんどん勉強も難しくなり、先生や同級生の話を聞くこと、話を聞きながらノートを取ることが、難しくなってきました。耳に意識を集中すると手が停まり、手を動かそうとすれば耳が疎(おろそ)かになる。耳と動作の連動、協調といった作業が今でもかなり苦手です。
また当時は、ゆとり教育以前…詰め込み教育、管理教育といわれた時代でしたから、授業時間いっぱいまで使った学習、どんどん速くなっていく授業のスピードについていけなくなっていました。あげくの果てに担任の先生からも、『お前、養護学校に編入した方がいいんじゃないか。あっちならもう少し、楽に勉強できるぞ』と言われてしまう始末。私としては《両親が入れと言うから入ったのに、苦しくて辛(つら)いことばかりだ。おまけに誰からも歓迎されていない》と思い込むようになっていきました。親切な友だちや、優しい先生もいたのですが、当時の私はそうした善意や好意も、信じることができませんでした。また、診断や判定を受けた訳ではないのですが、自分には知的な遅れもあるのではないかと自覚するようにもなりました。
周(まわ)りの友だちが一度で聞いて理解している先生の指示や話をなかなか理解できず、同じ質問を繰り返して話を停(と)めてしまう事も、何度もありました。静かな場所で時間をかけて、噛(か)んで含めるように説明されて、『ああ、あのときの話はこういうことだったのか』と、ようやく腑(ふ)に落ちるのです。大人になってからも、自分の福祉制度やサービスの仕組みを理解するのに、かなり時間がかかりました。要するに頭の回転が鈍(にぶ)いのです。本を読んだり文章を書いたりするのは好きですが、数式を解(と)いたり数の概念を理解する…いわゆる理系の思考が苦手です。また文章も、読み書きが好きではあっても、それが決して得意だとは、自分では思えません。
最近になって人から文章を頼まれることが多くなり、『好きこそものの上手、というやつだね』と褒(ほ)めてくださる方もいらっしゃいましたけど…、自分ではあくまで《ヘタの横好き》だと思っています。なんだか話が横道にそれてしまいましたが、要するに『学習し、経験を積むべき時期に、必ずしも自分自身の責任に寄らない理由で、充分な学びが得られなかった』という過去は、今でも私を苛(さいな)んでいます。
『障害児を普通学校へ』という取り組みは素晴らしいものですし、その理念には共鳴もしますが、それを実践するにあたっては、現場の教師や同じ教室で学ぶ『障害の無い子どもたち』への説明と理解の促進、そして何より『普通校で学ぶ障害児自身の、自発的な理解と納得』が必要だと思うのです。高邁(こうまい)な理念と理想だけで物事がよい方に進むと思いこむのは、とても危ない事ですよね。さて、次回は、養護学校在学当時の事についてお話ししたいと思います。
八障連通信302号本文はここまで。
八障連通信302号のPDF版はこちらから。
これより八障連通信302号本文となります。
【事務局通信Vol.17】
新度を迎え、役員も新体制となり早くも8月となりました。この間、慣れない運営から予定変更など対応に追われておりました。7月に行われる予定でありました学習会ですが、準備時間が実際には作りにくいことから、9月に予定している福祉課懇談会準備を優先し、代わりに会員団体の紹介企画を行うことを決めました。しかしお願いした相手への連絡調整に不備があり、当日行えない状況となり、皆様には大変にご迷惑をおかけしました。また8月に交流会(八王子ワークセンターとの共同開催でリレートーク)を予定しておりましたが、調整の結果、準備等の期間も必要で来年1月くらいの開催を予定することとなりました。9月開催の福祉課との懇談会は議会の影響から、先方より10月開催の打診があり、10月15日18時より本庁舎で行う方向で調整中です。福祉課からは虐待防止条例や中核市移行後についてテーマにしたいと要望が出ています。八障連としても中核市移行後のアンケートを実施していますが、義務規定も含まれた市独自条例がどのように会員団体へ影響するのかなど注視していきたいと思います。また施設安定化補助事業(旧家賃補助)について、H27年度より5割補助となりましたが、今後の市の動向も気にかかるところです。障害者自立支援法になり、通所事業所の収入は一日の利用者数に応じるようになりました。安定して通所利用される方々もいらっしゃれば、障害等の影響から安定した通所が難しい方々もいらっしゃる現状もあります。これについては前回の福祉課との懇談会でもテーマとなりました。そうした安定した通所以外の方々を支援している事業所が安定して支援ができるような財政基盤も重要と思われます。今後とも障害種別を超えた情報共有、交流、そして行政、市民への発信をとおして誰もが住みよいまちづくりに貢献していければと思いますので、どうぞ宜しくお願いします。ぜひ、会議や催しの準備段階からの参加をお願いします。(文責/事務局 有賀)
【告知】
9月例会の隔月企画は「まゆだまさんからの報告」で調整中です。また、「市障害福祉課との懇談会」は10月15日18時を予定してます。よろしくお願いいたします。
【今後の予定】
八障連例会(隔月企画-まゆだまさん報告予定)
9月17日(木)18:00~20:00 クリエイト 第5学習室
市障害福祉課懇談会(予定)
10月15日(木)18:00~20:00 市役所802号会議室
八王子で共に支えあう仕組み作りを目指して
10月31日(土)14:00~16:30 東浅川保健福祉センター
【特別寄稿 同 行 援 護 に つ い て 八王子聴覚視覚障碍者サポートセンター 伊藤 薫】
今年度、八王子市では、視覚障害者の外出支援制度の同行援護の支給時間の基準が、30時間から40時間に拡大された。同行援護とは、2011年10月に、所謂「つなぎ法」において、自立支援給付の福祉サービスとして施行された視覚障害者の外出解除の制度である。八王子市では2012年度から支給が開始された。長い間、視覚障害の外出支援の有り方は、法の中でとても漠然としていて、利用者にとって必要な援助とも、実際に介助者が提供しているサービスともかけ離れたものだったが、この新しい制度がスタートしたことによって、かなり具体的に利便で、分かりやすいものとなった。
総合支援法の第5条の4には同行援護の制度について、「視覚障害により、移動に著しい困難を有する障害者等につき、外出時において、当該障害者等に同行し、移動に必要な情報を提供するとともに、移動の援護その他の厚生労働省令で定める便宜を供与することをいう。」とある。また、「移動の援護その他の厚生労働省令で定める便宜」の例としては次のように示されている。
①移動時及びそれに伴う外出先において必要な視覚的情報の支援(代筆・代読を含む。)
②移動時及びそれに伴う外出先において必要な移動の援護
③排泄・食事等の介護その他外出する際に必要となる援助
例えば①として考えられる例は、催しや勉強会などでもらう資料、病院の問診票、金融機関での振込用紙、聴聞などでの受付の署名などなどの読み上げや代筆がある。
②は、周囲の風景や街並みの情報、路面の変化や信号の変わり目など安全に関わる情報、階段・エスカレーターなどの移動手段の選択肢の情報、交通機関での時刻や車線選びの情報、移動中や目的地での周囲の人の様子(行列・動き・知り合いの有無や特定の人を探す時の援助など)と言った、行動の決定を助ける情報提供と援助が考えられる。
③は、
○食事ならば、飲食店選びの援助、メニューの情報、配膳された食事の器の位置関係や内容の説明、調味料の利用の援助など
○排せつならば、トイレの種類や清潔状況、室内での向き・ペーパーや水洗の位置、手洗いの水道が自動か手動かなどの情報提供
○観覧や見学ならば、事物や情景の説明、移動の援助、体験などの際の説明や援助、等々がある。
視覚障害がある場合に不便なこととして、外出と情報の不足と言われてきた。しかし、外出での不便さの本質は、すなわち情報の不足だったのである。例としてあげた情報提供や援助は、介助の場面では以前から、介助者は提供していたし、多くの利用者も必要と認識していたことであるが、支給決定の場面では伝わりにくい場合がしばしばあって、地域間格差に繋がりやすかった。法の条文に「移動に必要な情報を提供するとともに、移動の援護その他の便宜を供与すること」と記されたことで、公的にもサービス内容が明らかになり、認められたということになるのである。
白杖や盲導犬を利用して一人で外出したり、室内を移動している時、それは、行きなれている場所や何時も利用している場所であっても、出発点と目標地点を線で結んで移動しているという行動である。見える場合に絶えず更新され続けている情報=安全に関わることも含めた一目瞭然の周囲の状況の情報は制限されているのである。視覚障害者の自立の代表的な考え方は、古くから、白杖を使って外出し、目的地に到着することであった。措置制度の時代の頃までは、このような自立感も手伝って、介助者や身内の付添と行動する視覚障害者は自立していない、という考え方が当事者間にも根強くあったことは、残念ながら否めないところである。しかし、個人の生活の中でも、社会生活の中でも、それらの自立感と現実には、大きな開きがあったと言える。それが変わり始めたのは、支援費制度に変わった時であろう。措置制度時代、利用の範囲が多くの自治体で、役所・本人の通院などに限られていたり、派遣時間が9時から17時・平日のみなどと限られていたものが、基本的に制限が無くなった。まだまだ地域差があったが、利用の範囲が広がることで、外出解除(ガイドヘルプ)の本来の意味が、外出は移動ではなく目的の遂行までという考え方も含めて、実態として明らかになってきたのである。
同行援護の制度創設は、明らかになった介助の本質を、視覚障害者団体が調査結果を資料としてまとめて、2008年に社会保障審議会障害者部会に提出したことから動き出した。制度発足からもうすぐ4年になる中、全国的にはまだまだ制度として定着し切れていないこと、従業者となるための特化した研修の受講状況が伸びないために提供者が不足していることなど、課題は続いている。八王子では八視協等の活動の結果、今年度から支給時間が拡大され、長年の課題が1歩前進した。以前よりも、生活の中で、利用の計画を立てやすくなったはずである。利用者の介助ニーズを反映したこのサービスを利用し、各々が生活の質を高め、社会への参加を行っていくことで、制度の意義はさらに高まっていく。本来の自立支援給付の考え方に即した利用が促進され、価値あるサービスを次の時代の当事者へと渡していきたいものである。
【連載コラム 『日々のなかから、』 <より良い学びとは?> Vol.35 八障連代表 杉浦 貢】
私が普通学校に通っていたことは、このコラムにも何度か書かせていただいたことと思います。小学校の6年間、中学校の3年間…先天性の脳性マヒで、車イスを使ってはいたものの、言語障害も無く、特に知的な遅れも見られなかったことから《普通の子どもたちと同じように学ばせたい》という、両親の願いを一身に受けてのものだったと思います。
ところが《通わせたい》と願う親の心と、実際に通い続けた私の思いには、どうしてもズレが生じるもので…。
私が義務教育を受けていた頃は、普通校に入学する障害児はまだまだ少数派であり、世の中の理解を得るためには、たくさんの困難がありました。私自身、子どもの頃から口だけはよく回った方でしたので、友だちをからかって怒らせてしまう事もよくありました。
そんな時『お前、生意気だ。障害者はおとなしく障害者の学校に行け』…などと言われてしまったこともよくありました。
学年が上がるにつれてどんどん勉強も難しくなり、先生や同級生の話を聞くこと、話を聞きながらノートを取ることが、難しくなってきました。耳に意識を集中すると手が停まり、手を動かそうとすれば耳が疎(おろそ)かになる。耳と動作の連動、協調といった作業が今でもかなり苦手です。
また当時は、ゆとり教育以前…詰め込み教育、管理教育といわれた時代でしたから、授業時間いっぱいまで使った学習、どんどん速くなっていく授業のスピードについていけなくなっていました。あげくの果てに担任の先生からも、『お前、養護学校に編入した方がいいんじゃないか。あっちならもう少し、楽に勉強できるぞ』と言われてしまう始末。私としては《両親が入れと言うから入ったのに、苦しくて辛(つら)いことばかりだ。おまけに誰からも歓迎されていない》と思い込むようになっていきました。親切な友だちや、優しい先生もいたのですが、当時の私はそうした善意や好意も、信じることができませんでした。また、診断や判定を受けた訳ではないのですが、自分には知的な遅れもあるのではないかと自覚するようにもなりました。
周(まわ)りの友だちが一度で聞いて理解している先生の指示や話をなかなか理解できず、同じ質問を繰り返して話を停(と)めてしまう事も、何度もありました。静かな場所で時間をかけて、噛(か)んで含めるように説明されて、『ああ、あのときの話はこういうことだったのか』と、ようやく腑(ふ)に落ちるのです。大人になってからも、自分の福祉制度やサービスの仕組みを理解するのに、かなり時間がかかりました。要するに頭の回転が鈍(にぶ)いのです。本を読んだり文章を書いたりするのは好きですが、数式を解(と)いたり数の概念を理解する…いわゆる理系の思考が苦手です。また文章も、読み書きが好きではあっても、それが決して得意だとは、自分では思えません。
最近になって人から文章を頼まれることが多くなり、『好きこそものの上手、というやつだね』と褒(ほ)めてくださる方もいらっしゃいましたけど…、自分ではあくまで《ヘタの横好き》だと思っています。なんだか話が横道にそれてしまいましたが、要するに『学習し、経験を積むべき時期に、必ずしも自分自身の責任に寄らない理由で、充分な学びが得られなかった』という過去は、今でも私を苛(さいな)んでいます。
『障害児を普通学校へ』という取り組みは素晴らしいものですし、その理念には共鳴もしますが、それを実践するにあたっては、現場の教師や同じ教室で学ぶ『障害の無い子どもたち』への説明と理解の促進、そして何より『普通校で学ぶ障害児自身の、自発的な理解と納得』が必要だと思うのです。高邁(こうまい)な理念と理想だけで物事がよい方に進むと思いこむのは、とても危ない事ですよね。さて、次回は、養護学校在学当時の事についてお話ししたいと思います。
八障連通信302号本文はここまで。