八障連通信334号をアップします。
八障連通信334号【PDF版】はこちらから。
【事務局通信 Vol.47】(mp3はこちらから)
【お知らせ掲示板】(mp3はこちらから)
【福祉フォーラム開催される】(mp3はこちらから)
【《投稿》当事者の「意思決定支援」を考える NPO法人 結の会(脇田 泰行)】(mp3はこちらから)
【連載コラム vol.16 『運転手さんが頼もしい!!』 ハーネス八王子 鈴木 由紀子】
【会費納入のご案内】(mp3はこちらから)
ここからは通信本文です。
【事務局通信 Vol.47】
ついこの間に元旦を迎えたと思っていましたが、既に春が訪れて新年度を迎えております。杉花粉がもう少しで終わりま
すが、今年は既にヒノキ花粉は前年度の 43 倍になるようですので皆様ご自愛ください。
さて、30 年度は医療、介護、障害者と同時に報酬改定等の制度改正がありました。少子高齢化の波がいよいよ顕著になってきた現状の中で、「我が事・丸ごと」の地域づくりとして、共生社会の実現を国は打ち出しました。社会保障費は増えるばかりですが、税収は冷え込む一方という現状。予
算も人材も少なくなることから、地域の連携による自助、共助への期待と人手がないことへの包括的なサービス提供による対策が見込まれています。
障害福祉サービスでは地域での生活を支援するサービスが創設されました。また、企業へ就労をしている障害当事者の方を支援する就労定着への支援も強化されました。通所サービスでも、より工賃額や企業就労への評価が給付単価として整理された感があります。また共生型サービスが新設されました。60 歳以上の障害当事者の方への介護保険サービスを円滑に提供することを目的に、介護保険サービスを福祉サービス事業所が提供できる仕組みです。逆に介
護保険サービス事業所も障害福祉サービスを行えます。既に市内でも共生型サービスについて勉強会など行われています。介護保険に切り替わることで今ままで使えていたサービスが使えなくなる問題については、八障連でも取り上げて市や市議との懇談会で共有しました。実際に 4 月から改正された法律のもとスタートしていますが、法律で謳(うた)われている「実績」を達成している事業所には給付単価として評価されますが、達成していない事業所にはこれまで以上に財政的に厳しい形でもあります。どのような形でサービスを利用する障害当事者の方々へ影響していくのか、状況を確認していきたいと思います。
八障連も以前からの課題ですが、人手不足が否めません。5 月の定期総会を前にして顧問の方々を含めて運営委員会で来年度の事業なども検討しているところです。場合によっては今までの活動を縮小するようなこともあるかもしれません。皆様におかれましても事業所は現場の忙しさ、障害者団体では後継者など人材不足がどこでもささやかれている現状ではありますが、是非、八障連の活動にも「人的」も含めたご協力をお願いできればと思います。種々お世話になりますが、2018 年度もよりよい街づくりに向けてスタートをしていきたいと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。(文責:有賀)
【お知らせ掲示板】
✦八障連の総会は 5 月 19 日(土)を予定しております。また2018 年度の「総会議案書」は、次号に同封予定です。(運営委員会)
八障連運営委員会 4 月 19 日(木) 18:30~20:30 クリエイト
八障連総会 5 月 19 日(土) 10:00~11:30 八王子労政会館
【福祉フォーラム開催される】
毎年恒例の福祉フォーラムを、3 月 17 日に労政会館にて開催させていただきました。ここ 3 年ほどのフォーラムは、映画上映とトークライブの二本立ての形式を取らせていただいていますが、今回は第一部にて『DX(ディスレクシア)な日々 美んちゃんの場合』を上映し、第二部にて映画に主演されている砂長美んさんにトークを行っていただきました。 (八障連代表 杉浦 貢)
映画『美んちゃんの場合』は、発達障害・学習障害の一種で、読み書きにつまずきや学習の困難をきたすディス レ クシア(Dyslexia=難読症)を抱えて成人した・砂長美ん(砂長宏子)美さんの日常を追ったドキュメンタリーです。
外見や知覚、聴覚には問題がないため周囲が障害を認識しづらく、発達障害そのものが一般的に知られる以前に子ども時代を送った美んさんは、
周囲からバカにされ、勤め先もすぐにクビになるなど偏見や無理解に苦しみながら生きて来られたそうです。しかし、自分がディスレクシアだというこ
とを知り、同じ症状で苦しむ仲間がいることを知った美んさんは、ご自身の生き方を模索して現在に至るわけですが...。杉浦がそこに見たのは、決し
て《障害を乗り越えよう》であるとか、《世の偏見を突き破ろう》というのではなく、ただただシンプルに自分の生きる道を探し続けて来ただけの、あたり
まえの一人の女性の姿でした。書類や報告書作り、本を読むことが大の苦手。子どものころから、他の人のように上手く字が書けない、スラスラと読めない、今聞いた人の名前がすぐ出てこない。テストの問題を解こうにも、問題は分かっても読み書きに時間がかかったり、文字を間違えたり、というのは、かなり厳しい日々だったのではないでしょうか。《戦う、立ち向かう》といった荒々しい感情よりも《自分の居場所は(社会の中の)どこにあるんだろう》《どうやってご飯を食べていこうか》という不安感のほうが、遥(はるか)かに大きかったのではないかと思えました。それにつけても驚かされたのは、欧米と
日本との障害認知の違いでした。日本での大学受験を諦(あきら)め、ロンドンの美術大学に入った美んさんは、ここで“ディスレクシア”の可能性が高いと指摘されるわけですが...イギリスでは、学びたい人なら試験なしに入学できるうえ、欧米の場合はディスレクシアの割合が非常に高く、人口に比して 10%以上いるのではないかと言われているそうです。そのため各国とも早くからディスレクシアに対する対応や教育の支援などが行われており、イギリスではディスレクシアの方は試験の時間が他の人よりも 2 倍の時間が与えられています。また論文の量は半分以下。学校のテストは 2 倍時間があるので、発達障害の人であっても普通に学べるということでした。対して日本の場合は漢字があるので、文字から意味を読み取れるため、ディスレクシアが判明する時期が欧米に比べて遅いそうなのです。
だいたい小学校の4~6年生から漢字が書けないということが分かってきて、診断されるのが遅かったりします。発達障害自体は 2002 年の調査で6.3%いるということが分かっており、ディスレクシアを含む LD(学習障害)は4%と言われていますが、8%位の人が学習障害を抱(かか)えているという説もあるそうです。単純に『欧米に比べて日本はイカンよな』という話でもないですが...日本という国は障害者に限らず、とにかく少数派とよばれる人々には生きづらい国ですから。美んさんが実の家族にさえもなかなか理解してもらえない中で、同じ障害を持つ仲間と出会い、気持ちを分かち合うとこができた事は、本当に幸福なことだと思います。私自身、障害者として思うことは『本当の《バリア》とは医学的な診断に基づく心身の不利にあるのではなく、心身の不利が大きな理由となって《人との絆を築きにくい》ということだ』と思うのです。
自分の居場所を見つけることができた人は、本当の意味で強くなることができ、かつ優しくなる事ができます。二部のトークでも美んさんは、自分の功績を誇るでもなく飾るでもなく、『どこの地域の誰それがこんな物を作っているから応援してあげて』、『次はこんな事をしたい』と、つねに人のために何が出来るかを考え熱を持って語っておられたのが印象に残りました。
【《投稿》当事者の「意思決定支援」を考える NPO法人 結の会(脇田 泰行)】
「結の会」で日々起こる様々なできごとの中で、本人の「意思決定」にどう対応したらよいのか考える場面が多々あるので、日弁連主催の「高齢者・障害者権利擁護の集い」(2/2)「意思決定支援―本人主体の権利擁護を目指して」の集会に参加してみました。
八王子駅前「オリンパスホール」の会場には 700 人以上の参加があり、弁護士を中心に「福祉関係者」など多くの方がいました。私は「本人主体の意思決定支援」という言葉の中身に弁護士が、どの様な問題意識や課題を持っているのか興味がありました。「本人主体」「意思決定支援」という言葉は抽象的でイメージしにくいのですが、実際のところ主催者側は具体的な現場でどう対応しているのかー当日の発言や資料集の中から、私なりに考えさせられたことを引用を交えて書いてみます。
この「意思決定支援」の言葉が生れた背景には、ヨーロッパでの脱施設化(集団生活の強制ではなく)の流れがあり、その中で使われ始めたとのことです。
日本では、障害者基本法や障害者総合支援法の中に「意思決定の支援に配慮」という文言がみられますが、「そもそも、意思決定支援の定義すら明確でなく、関係者間のあいまいなイメージが共有されているにすぎない」と語られていました。本人主体の意思決定とは何か。本人の意思をどうとらえるのか、が具体的な場面で以下にあるように様々な論議が起こっているようです。
*意思確認が意思誘導になりかねない。
*本人の言葉をそのまま本人の自己決定と捉(とら)えていないか、本人の自己責任にしていないか、支援のしやすさを優先していないか、支援の根拠づけになっていないか。
*サービスありきになっていないか。後付けの根拠資料として使われていないか。
*本人の意思が表明できるような環境整備が必要。意思決定が関わる人の価値観に左右される。支援チームの力量が問われる。
*本人主体の意思決定を目指すと、とてもコストとリスクが高くなる、意思決定には時間がかかり気長にがまんして待てるか、多くの時間とエネルギーが必要になる。
*愚行権(この言葉を始めて知った!)「支援者の価値観からは不合理と思われる決定でも、他者の権利侵害とならない限りその選択を尊重するように努めること」という権利。
こうした背景には、日本の文化は他者に非常に厳しい社会、ひとつ失敗すると全部否定される。ゼロリスク志向が強い。同調圧力が強い社会、人の顔色を見ながら決め、お任せになりがちで「安全安心」を選択したほうが楽となる。
基調講演者の上山氏は、「インクルーシブアプローチ」という言葉を使い、既存のサービスをどう選ぶかだけでは 限界があるのではないか。「日本は福祉資源が貧しい」と言う。私は、インクルーシブアプローチ(共生の社会)という視点と取り組みを持たないまま、当事者に意思決定を求めてしまう、その限界と矛盾が生じてはいないだろうかと思いました。重い課題です。またシンポジウムの発言者の、迷いながら試行錯誤し「自分に返ってくる問題」として捉(とら)えている姿に、とても励(はげ)まされ共感しました。最期に主催者側から、様々な立場の人との連携・ネットワークづくりの呼びかけがありました。 (「八王子保育教育を考える会」発行の「共に生きる」通信より転載)
【連載コラム vol.16 『運転手さんが頼もしい!!』 ハーネス八王子 鈴木 由紀子】
「現在」と「四半世紀前」などと長い期間で比べてみると、障害のある私たちも、まちに出かけ、さまざまな活動に加わりやすくなりました。それを可能にしている大きな要因は、バスや電車などの公共交通機関の運営会社がいろいろな形で設備やソフト面のサービスをして私たちを支(ささ)えてくださっているからです。
企業としてのその姿勢は「社会貢献」という言葉以上のものだと思って、何らかの形で感謝の気持ちを伝えなくてはいけないと思っています。
目が見えない私が八王子市内を移動するのに、日常的に頼りにするのはバスです。どのようにして乗りたいバスに首尾よくアクセスするかなど、不便な点が多々あり、イライラ・ハラハラしながら利用していた時期もありました。そのため私たちは、当事者団体である八視協(八王子視覚障害者福祉協会)の会員で話し合って、バス会社に理解と協力をお願いする活動を展開しました。京王バスや西東京バス主要なバス会社の担当者に、見えない人がバスを利用する際に困っている事柄を伝え、改善をお願いしてきました。バス会社もそれに応えるべく、いろいろな改善策を講じてくださいました。しかし現実問題として、設備の改善には費用がかかることも多々あり、その配慮に感謝の気持ちも、きちんと伝えなくてはいけないと日頃感じています。
例えば、どこかのバス停で乗りたいバスを待っているとき、文字による表示が見えない私には、声によるバスの行き先案内が必要です。そのバス停で一緒に待っている方に助けていただけることもありますが、皆さんそれぞれ行き先は違いますから、いつもその状況を期待することはできません。昔、運転手さんが肉声で案内する形がとられていたころは、マイクに口を近づけすぎて声が割れて案内が聴(き)き取れないとか、急いで早口で案内するので言葉を聴(き)き違えたりして、乗りたいバスを逃してしまったということさえありました。しかし現在では、聴(き)き取 り やすい自動音声によるアナウンスが、バスの中にも、外にも製備され、お蔭で私たちも安心してバスを待つことができるようになりました。
視覚に障害があると、バス停に複数台のバスが連なって来たときの対応にも苦労します。そのとき乗りたいバスが正規のバス停に止まれば首尾よく乗れますが、道路が混んでいて、乗りたいバスが 1 台分とか 2 台分後ろにあったら、見えない人はその状況に気付くこともできず、全くお手上げ状態になります。
この点については、もし正規のバス停で視覚障害者が待っていることに運転手さんが気付いたらいったん止まり、行き先を告げていただけるようにお願いしました。もしかしたら、それは交通渋滞の一因にもなりかねませんが、都心と違って運行間隔の長いこのまちでは、是非考慮していただきたい事柄なのです。バス会社の方々もそのことを理解し、乗務員向けの定期研修でその問題を取り上げて、運転手さんに周知していただけることになりました。
最近、バスの中での運転手さんたちの細かい配慮ぶりが際立っています。あるとき私がアーサと一緒に混んだバスに乗り込んだら「盲導犬の足やしっぽを
踏まないようにお願いします」と車内の乗客にマイクで呼びかけてくれました。そのあとバスを降りるとき「どうも、ありがとうございました」と私がお礼を言うと「はい、気をつけて帰ってくださいね」と運転手さんも返してくださって、心も軽くアーサと歩いた記憶があります。
別の日、やはりバスが連なっていたために、いつもと違う場所で降りなくてはならなかったときも「いま降りるところは○○店の前ですよ」と詳しい場所を伝えてくれたので、そのあとスムーズに行動することができました。また、あるときは、かなり年輩の方がバスに乗りたいのに、ステップが上がれなくて困っている様子でした。すると運転手さんがバスを降り、外を回って乗車口に行き、その方を座席までサポートしておられました。それこそ、私たちのまちの
バスは誰に対しても、やさしいのだと知らされた出来事でした。
どんな法律や制度や条例も、それらを運用するのは一人ひとりの市民の力。障害があると不便なこともたくさんあるけれど、私たちのそばにいるたくさんの人が「目」と「手」と「声」をかけて支えてくれるので大丈夫!!、そんな気持ちで過ごしています。
【会費納入のご案内】
会費振込先:郵便局 加入者名:八王子障害者団体連絡協議会 口座番号:00130‐0‐184316
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【事務局通信 Vol.47】
ついこの間に元旦を迎えたと思っていましたが、既に春が訪れて新年度を迎えております。杉花粉がもう少しで終わりま
すが、今年は既にヒノキ花粉は前年度の 43 倍になるようですので皆様ご自愛ください。
さて、30 年度は医療、介護、障害者と同時に報酬改定等の制度改正がありました。少子高齢化の波がいよいよ顕著になってきた現状の中で、「我が事・丸ごと」の地域づくりとして、共生社会の実現を国は打ち出しました。社会保障費は増えるばかりですが、税収は冷え込む一方という現状。予
算も人材も少なくなることから、地域の連携による自助、共助への期待と人手がないことへの包括的なサービス提供による対策が見込まれています。
障害福祉サービスでは地域での生活を支援するサービスが創設されました。また、企業へ就労をしている障害当事者の方を支援する就労定着への支援も強化されました。通所サービスでも、より工賃額や企業就労への評価が給付単価として整理された感があります。また共生型サービスが新設されました。60 歳以上の障害当事者の方への介護保険サービスを円滑に提供することを目的に、介護保険サービスを福祉サービス事業所が提供できる仕組みです。逆に介
護保険サービス事業所も障害福祉サービスを行えます。既に市内でも共生型サービスについて勉強会など行われています。介護保険に切り替わることで今ままで使えていたサービスが使えなくなる問題については、八障連でも取り上げて市や市議との懇談会で共有しました。実際に 4 月から改正された法律のもとスタートしていますが、法律で謳(うた)われている「実績」を達成している事業所には給付単価として評価されますが、達成していない事業所にはこれまで以上に財政的に厳しい形でもあります。どのような形でサービスを利用する障害当事者の方々へ影響していくのか、状況を確認していきたいと思います。
八障連も以前からの課題ですが、人手不足が否めません。5 月の定期総会を前にして顧問の方々を含めて運営委員会で来年度の事業なども検討しているところです。場合によっては今までの活動を縮小するようなこともあるかもしれません。皆様におかれましても事業所は現場の忙しさ、障害者団体では後継者など人材不足がどこでもささやかれている現状ではありますが、是非、八障連の活動にも「人的」も含めたご協力をお願いできればと思います。種々お世話になりますが、2018 年度もよりよい街づくりに向けてスタートをしていきたいと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。(文責:有賀)
【お知らせ掲示板】
✦八障連の総会は 5 月 19 日(土)を予定しております。また2018 年度の「総会議案書」は、次号に同封予定です。(運営委員会)
八障連運営委員会 4 月 19 日(木) 18:30~20:30 クリエイト
八障連総会 5 月 19 日(土) 10:00~11:30 八王子労政会館
【福祉フォーラム開催される】
毎年恒例の福祉フォーラムを、3 月 17 日に労政会館にて開催させていただきました。ここ 3 年ほどのフォーラムは、映画上映とトークライブの二本立ての形式を取らせていただいていますが、今回は第一部にて『DX(ディスレクシア)な日々 美んちゃんの場合』を上映し、第二部にて映画に主演されている砂長美んさんにトークを行っていただきました。 (八障連代表 杉浦 貢)
映画『美んちゃんの場合』は、発達障害・学習障害の一種で、読み書きにつまずきや学習の困難をきたすディス レ クシア(Dyslexia=難読症)を抱えて成人した・砂長美ん(砂長宏子)美さんの日常を追ったドキュメンタリーです。
外見や知覚、聴覚には問題がないため周囲が障害を認識しづらく、発達障害そのものが一般的に知られる以前に子ども時代を送った美んさんは、
周囲からバカにされ、勤め先もすぐにクビになるなど偏見や無理解に苦しみながら生きて来られたそうです。しかし、自分がディスレクシアだというこ
とを知り、同じ症状で苦しむ仲間がいることを知った美んさんは、ご自身の生き方を模索して現在に至るわけですが...。杉浦がそこに見たのは、決し
て《障害を乗り越えよう》であるとか、《世の偏見を突き破ろう》というのではなく、ただただシンプルに自分の生きる道を探し続けて来ただけの、あたり
まえの一人の女性の姿でした。書類や報告書作り、本を読むことが大の苦手。子どものころから、他の人のように上手く字が書けない、スラスラと読めない、今聞いた人の名前がすぐ出てこない。テストの問題を解こうにも、問題は分かっても読み書きに時間がかかったり、文字を間違えたり、というのは、かなり厳しい日々だったのではないでしょうか。《戦う、立ち向かう》といった荒々しい感情よりも《自分の居場所は(社会の中の)どこにあるんだろう》《どうやってご飯を食べていこうか》という不安感のほうが、遥(はるか)かに大きかったのではないかと思えました。それにつけても驚かされたのは、欧米と
日本との障害認知の違いでした。日本での大学受験を諦(あきら)め、ロンドンの美術大学に入った美んさんは、ここで“ディスレクシア”の可能性が高いと指摘されるわけですが...イギリスでは、学びたい人なら試験なしに入学できるうえ、欧米の場合はディスレクシアの割合が非常に高く、人口に比して 10%以上いるのではないかと言われているそうです。そのため各国とも早くからディスレクシアに対する対応や教育の支援などが行われており、イギリスではディスレクシアの方は試験の時間が他の人よりも 2 倍の時間が与えられています。また論文の量は半分以下。学校のテストは 2 倍時間があるので、発達障害の人であっても普通に学べるということでした。対して日本の場合は漢字があるので、文字から意味を読み取れるため、ディスレクシアが判明する時期が欧米に比べて遅いそうなのです。
だいたい小学校の4~6年生から漢字が書けないということが分かってきて、診断されるのが遅かったりします。発達障害自体は 2002 年の調査で6.3%いるということが分かっており、ディスレクシアを含む LD(学習障害)は4%と言われていますが、8%位の人が学習障害を抱(かか)えているという説もあるそうです。単純に『欧米に比べて日本はイカンよな』という話でもないですが...日本という国は障害者に限らず、とにかく少数派とよばれる人々には生きづらい国ですから。美んさんが実の家族にさえもなかなか理解してもらえない中で、同じ障害を持つ仲間と出会い、気持ちを分かち合うとこができた事は、本当に幸福なことだと思います。私自身、障害者として思うことは『本当の《バリア》とは医学的な診断に基づく心身の不利にあるのではなく、心身の不利が大きな理由となって《人との絆を築きにくい》ということだ』と思うのです。
自分の居場所を見つけることができた人は、本当の意味で強くなることができ、かつ優しくなる事ができます。二部のトークでも美んさんは、自分の功績を誇るでもなく飾るでもなく、『どこの地域の誰それがこんな物を作っているから応援してあげて』、『次はこんな事をしたい』と、つねに人のために何が出来るかを考え熱を持って語っておられたのが印象に残りました。
【《投稿》当事者の「意思決定支援」を考える NPO法人 結の会(脇田 泰行)】
「結の会」で日々起こる様々なできごとの中で、本人の「意思決定」にどう対応したらよいのか考える場面が多々あるので、日弁連主催の「高齢者・障害者権利擁護の集い」(2/2)「意思決定支援―本人主体の権利擁護を目指して」の集会に参加してみました。
八王子駅前「オリンパスホール」の会場には 700 人以上の参加があり、弁護士を中心に「福祉関係者」など多くの方がいました。私は「本人主体の意思決定支援」という言葉の中身に弁護士が、どの様な問題意識や課題を持っているのか興味がありました。「本人主体」「意思決定支援」という言葉は抽象的でイメージしにくいのですが、実際のところ主催者側は具体的な現場でどう対応しているのかー当日の発言や資料集の中から、私なりに考えさせられたことを引用を交えて書いてみます。
この「意思決定支援」の言葉が生れた背景には、ヨーロッパでの脱施設化(集団生活の強制ではなく)の流れがあり、その中で使われ始めたとのことです。
日本では、障害者基本法や障害者総合支援法の中に「意思決定の支援に配慮」という文言がみられますが、「そもそも、意思決定支援の定義すら明確でなく、関係者間のあいまいなイメージが共有されているにすぎない」と語られていました。本人主体の意思決定とは何か。本人の意思をどうとらえるのか、が具体的な場面で以下にあるように様々な論議が起こっているようです。
*意思確認が意思誘導になりかねない。
*本人の言葉をそのまま本人の自己決定と捉(とら)えていないか、本人の自己責任にしていないか、支援のしやすさを優先していないか、支援の根拠づけになっていないか。
*サービスありきになっていないか。後付けの根拠資料として使われていないか。
*本人の意思が表明できるような環境整備が必要。意思決定が関わる人の価値観に左右される。支援チームの力量が問われる。
*本人主体の意思決定を目指すと、とてもコストとリスクが高くなる、意思決定には時間がかかり気長にがまんして待てるか、多くの時間とエネルギーが必要になる。
*愚行権(この言葉を始めて知った!)「支援者の価値観からは不合理と思われる決定でも、他者の権利侵害とならない限りその選択を尊重するように努めること」という権利。
こうした背景には、日本の文化は他者に非常に厳しい社会、ひとつ失敗すると全部否定される。ゼロリスク志向が強い。同調圧力が強い社会、人の顔色を見ながら決め、お任せになりがちで「安全安心」を選択したほうが楽となる。
基調講演者の上山氏は、「インクルーシブアプローチ」という言葉を使い、既存のサービスをどう選ぶかだけでは 限界があるのではないか。「日本は福祉資源が貧しい」と言う。私は、インクルーシブアプローチ(共生の社会)という視点と取り組みを持たないまま、当事者に意思決定を求めてしまう、その限界と矛盾が生じてはいないだろうかと思いました。重い課題です。またシンポジウムの発言者の、迷いながら試行錯誤し「自分に返ってくる問題」として捉(とら)えている姿に、とても励(はげ)まされ共感しました。最期に主催者側から、様々な立場の人との連携・ネットワークづくりの呼びかけがありました。 (「八王子保育教育を考える会」発行の「共に生きる」通信より転載)
【連載コラム vol.16 『運転手さんが頼もしい!!』 ハーネス八王子 鈴木 由紀子】
「現在」と「四半世紀前」などと長い期間で比べてみると、障害のある私たちも、まちに出かけ、さまざまな活動に加わりやすくなりました。それを可能にしている大きな要因は、バスや電車などの公共交通機関の運営会社がいろいろな形で設備やソフト面のサービスをして私たちを支(ささ)えてくださっているからです。
企業としてのその姿勢は「社会貢献」という言葉以上のものだと思って、何らかの形で感謝の気持ちを伝えなくてはいけないと思っています。
目が見えない私が八王子市内を移動するのに、日常的に頼りにするのはバスです。どのようにして乗りたいバスに首尾よくアクセスするかなど、不便な点が多々あり、イライラ・ハラハラしながら利用していた時期もありました。そのため私たちは、当事者団体である八視協(八王子視覚障害者福祉協会)の会員で話し合って、バス会社に理解と協力をお願いする活動を展開しました。京王バスや西東京バス主要なバス会社の担当者に、見えない人がバスを利用する際に困っている事柄を伝え、改善をお願いしてきました。バス会社もそれに応えるべく、いろいろな改善策を講じてくださいました。しかし現実問題として、設備の改善には費用がかかることも多々あり、その配慮に感謝の気持ちも、きちんと伝えなくてはいけないと日頃感じています。
例えば、どこかのバス停で乗りたいバスを待っているとき、文字による表示が見えない私には、声によるバスの行き先案内が必要です。そのバス停で一緒に待っている方に助けていただけることもありますが、皆さんそれぞれ行き先は違いますから、いつもその状況を期待することはできません。昔、運転手さんが肉声で案内する形がとられていたころは、マイクに口を近づけすぎて声が割れて案内が聴(き)き取れないとか、急いで早口で案内するので言葉を聴(き)き違えたりして、乗りたいバスを逃してしまったということさえありました。しかし現在では、聴(き)き取 り やすい自動音声によるアナウンスが、バスの中にも、外にも製備され、お蔭で私たちも安心してバスを待つことができるようになりました。
視覚に障害があると、バス停に複数台のバスが連なって来たときの対応にも苦労します。そのとき乗りたいバスが正規のバス停に止まれば首尾よく乗れますが、道路が混んでいて、乗りたいバスが 1 台分とか 2 台分後ろにあったら、見えない人はその状況に気付くこともできず、全くお手上げ状態になります。
この点については、もし正規のバス停で視覚障害者が待っていることに運転手さんが気付いたらいったん止まり、行き先を告げていただけるようにお願いしました。もしかしたら、それは交通渋滞の一因にもなりかねませんが、都心と違って運行間隔の長いこのまちでは、是非考慮していただきたい事柄なのです。バス会社の方々もそのことを理解し、乗務員向けの定期研修でその問題を取り上げて、運転手さんに周知していただけることになりました。
最近、バスの中での運転手さんたちの細かい配慮ぶりが際立っています。あるとき私がアーサと一緒に混んだバスに乗り込んだら「盲導犬の足やしっぽを
踏まないようにお願いします」と車内の乗客にマイクで呼びかけてくれました。そのあとバスを降りるとき「どうも、ありがとうございました」と私がお礼を言うと「はい、気をつけて帰ってくださいね」と運転手さんも返してくださって、心も軽くアーサと歩いた記憶があります。
別の日、やはりバスが連なっていたために、いつもと違う場所で降りなくてはならなかったときも「いま降りるところは○○店の前ですよ」と詳しい場所を伝えてくれたので、そのあとスムーズに行動することができました。また、あるときは、かなり年輩の方がバスに乗りたいのに、ステップが上がれなくて困っている様子でした。すると運転手さんがバスを降り、外を回って乗車口に行き、その方を座席までサポートしておられました。それこそ、私たちのまちの
バスは誰に対しても、やさしいのだと知らされた出来事でした。
どんな法律や制度や条例も、それらを運用するのは一人ひとりの市民の力。障害があると不便なこともたくさんあるけれど、私たちのそばにいるたくさんの人が「目」と「手」と「声」をかけて支えてくれるので大丈夫!!、そんな気持ちで過ごしています。
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