八障連ブログ

八障連(八王子障害者団体連絡協議会)運営委員会より、情報提供を行っています。(「八障連について」カテゴリーを参照)

八障連通信337号をアップします。

2019年02月11日 | 八障連通信
八障連通信337号をアップします。


八障連通信337号【PDF版】はこちらから


事務局通信Vol.50【音声版はこちら】

砂永美んさんからのお知らせ【音声版はこちら】
八王子駅周辺案内サインの現状について 八障連代表 杉浦 貢【音声版はこちら】
連載コラム vol.18 『オン・デマンドで...』 ハーネス八王子 鈴木 由紀子 【音声版はこちら】
連載コラム B 型肝炎闘病記 パオ 小濵 義久 闘病史 その 23【音声版はこちら】


ここからは通信本文です。


【事務局通信Vol.50】
2018 年 7 月 4 日に 2 回目となる八王子青年会議所の皆様との懇親会が開催されまし
た。八王子青年会議所主催の防災に関する学習会で八障連へ講師派遣依頼があり、お招きいただいたのがきっかけになっています。今回は 30 名近い参加者となり、懇親を深めました。
参加者の自己紹介から、若い実業家の皆さんが、それぞれの立場から八王子のまちづくりについて熱い思いが伝わってくるお話が聞けました。中には高齢者や障害者への支援を事業として行なっている方もいらっしゃいました。株式会社、社会福祉法人、NPO法人など経済面の確立、アプローチの仕方は異なりますが、自らの力をもって地域社会へ貢献していこうと言う姿勢は共通するものがあると考えます。そういった意味でも、まずお互いを知る機会を持つ今回のような場は、とても貴重と感じました。
少子高齢化の中で、どの分野も人材不足があることが話題となりましたが、分野を超えた連携、協働ということが必要と思います。よく縦割り行政の弊害ということが度々問題とされていますが、障害分野についても私達地域の当事者、従事者、市民が連携をしていく必要性が今後ますます必要になってくる時代のように思います。
今回は車いすユーザーの方々も複数名参加をされています。普段はお会いする機会があまりありませんが、地域には人がまだまだいるのだと感じました。今後も福祉業界に関わらずに八障連を 媒体として、点と点が結ばれて行くきっかけとなるような活動ができればと考えます。
今回の懇親会を企画していただきました八王子青年会議所の皆様には心から感謝申し上げます。今後も楽しく交流が続いていくよう、引き続きよろしくお願いいたします。(文責:有賀)


【前号で紹介しきれなかった砂長美んさんからのメールの続きを掲載します。ウ~ン、まさしく「フル・スロットル(全開)」で活躍されてますね。(編集部)】
昨年出版した本の「障害福祉の暮らす学ぶ働くを変えた 5 人のビジネス」、増刷後も順調に販売数をのばしています。どうもありがとうございます。その中の 1 人、知的障害者の高等教育の「鞍手ゆたか福祉会」は、株式会社ゆたかカレッジになりました。今後、会社として色々スピード力のある進展が楽しみです。
胡蝶蘭栽培(こちょうらんさいばい)のアロンアロンさんも、施設設立を実現、半年経っていませんが、すでに月間 10 万円超えた賃金を障がい者の利用者の方々にお支払いしていると言うことです。少しずつ、社会の先駆者の真似をして、社会が良くなって行くと良いと思います。
私も、毎年、障がい者施設での商品販売が売り上げ上がっています。今後はもっともっと色々な施設と全国で組んでいきます。
山梨県上野原市、9月に発達障害啓蒙(けいもう)と地域の農業の event を計画しています。今年は夏が来るのが少し早いようです。皆様 熱中症等々気をつけてください。


【お知らせ掲示板】
八障連運営委員会 7 月 24 日(火) 18:30~20:30 クリエイト


【八王子駅周辺案内サインの現状について 八障連代表 杉浦 貢】
八王子市役所の都市計画部 交通企画課からのご依頼で、6 月 19 日(火)、京王八王子駅から JR 八王子駅までの、東放射線アイロード及び、ペデストリアンデッキ、駅前ロータリー、八王子駅南口の市役所総合事務所までの案内誘導表示を調査してきました。八障連として杉浦のほかに、八視協さんからも宮川さん、中山さん、上野さんの三名の障害当事者の方々にご参加いただき、交通企画課から、関口さん、山口さん、福浦さんが同行してくださいました。そのほかにも、市からの委託で案内サインの検討業務を請け負っている都市計画・交通計画コンサルタント『アルメックVPI』から三名の方が来てくださいました。さらにヘルパーまで含めると、かなりの大所帯で練り歩くことになってしまうため...いくつかの小グループにわかれて、視覚、肢体不自由(車いす使用者)それぞれの気になるポイントを挙げていきました。
そもそも今回のヒアリング調査は、東京都から八王子市に降りてきたものということで、2020 年のオリンピック、パラリンピック東京大会の実施に合わせて、八王子駅、京王八王子駅及びその周辺部を対象として、利用者本位のターミナルの実現に向け、市外他地域から初めて駅を訪れる、障害のあるお客さまにも便利なように、JR 八王子駅・京王八王子駅周辺において公共交通の乗り換えをする際の案内サインについて、見やすさ、わかりやすさ等の確認を行うものでありました。
八王子駅南口駅前広場、JR 八王子駅自由通路(改札外)、八王子駅北口駅前広場、JR 八王子駅と京王八王子駅を結ぶ地上道路、京王八王子駅および駅周辺(改札外)、京王八王子駅路線バスのりばといったポイントを歩き、案内サインに掲出されている情報・設置されている場所や間隔、高さ、向き、文字や図記号、色彩の状況・照明や広告等の周辺環境、ルートを間違えたときに戻れるような表示の有無、駅における鉄道、バス、タクシー等の乗り換え動線の範囲、さらに、改札外の駅周辺共用スペース(自由通路等)、の案内サインも確認しました。
普段から京王八王子駅や JR 八王子駅周辺を歩きなれている我々ですが、地元の障害当事者が「あたりまえ」にしてしまっているものを見直し、問い直すという今回の取り組みは、とても勉強になりました。さらには「他の地域から八王子にやってくる、障害のある人たち」をどう案内し、おもてなしできるか...それこそ、地元民の腕の見せ所と言えるのかも知れませんね。
最後に、今回のヒアリング調査をご提案いただきました、関口さんはじめ交通企画課のみなさま、お忙しい中ご協力いただいた八視協のみなさま、ガイドヘルパーの本当にありがとうございました。今回の調査を契機として、八王子を訪れる様々な人たちが、地域に親しんでくださることを願ってやみません。


【連載コラム vol.18 『オン・デマンドで...』 ハーネス八王子 鈴木 由紀子】
待ち焦(こ)がれた暖かい春の日が安定的に降り注ぐようになった 4 月のある日の散歩のたまものとして、我が家のキッチンに木製、それもイチョウの木で作られた大きなまな板が登場した。それは横幅 40 センチ、奥行き 25 センチ、板の厚みは 3 センチ、重さは何と 2 キロと、ずっしり感のあるものである。
我が家のキッチンは居間の片隅にあるため、畳一畳分ぐらいと非常に小さい。調理台も小さく、そこに新入りのこのまな板は、いささか不似合いなのかもしれない。それなのに、このまな板を買うことにしたのは、まな板という道具への私のこだわりがあるからにほかならない。
私がキッチン用品として備えておきたいまな板の条件は、まず、横幅も奥行きも広いもの。これから切ろうとする材料と、切り終えた材料とを一緒に載せるゆとりが、一つのまな板の中にあること。 また、材質は木製のものがいい。きゅうりやだいこんなどの野菜を包丁で切ったときの、トントンという音の響きが、プラスチック製のものでは伝わってこない。私がもう一代前のまな板を探したとき、近くの店のキッチン用品売り場にプラスチック製のものばかりで、木製のものは全くなかった。プラスチック製だと、運ぶのに軽いので好まれるのだろうが、そんな今風の生活スタイルに驚きさえ感じたのを覚えている。結局、私はその年の秋の「イチョウ祭」で檜(ひのき)のまな板を購入して 15 年ぐらい使い続けたのだけれど、あちらこちらに傷を作り、今回代替わりさせたくなったのである。
4月のある日、私がふと訪れたのは、八王子市役所本庁舎の隣りにある NPO 法人木馬会のお店「木のっぴ」。陳列棚にたくさん並べられた製品を、スタッフの方の丁寧(ていちょう)な説明を聞きながら触るうちに、小ぶりだけれど木のぬくもりを感じられるまな板を見つけた。持ち上げてみると、ずっしりと重いので、持病の「ぎっくり腰」が起きたら、一人で片付けられないなと迷ったけれど、私がずっと欲しかったのは、こういう感触のものである。そこで「これ、買っちゃおう!」とにわかに即決した。そして「この形で、もっと大きなものが欲しいんですけど」と正直に伝えたら、女性スタッフがすぐに工房の管理者 H さんに相談してくださった。H さんは、私が望んでいる大きさのまな板に適した材料が、ちょうど用意できているので、表面仕上げをする間待っていたら持ち帰れるというので、私は、そこに集まっていた数人の皆さんとおしゃべりをしながら待つことにした。やがて、表面が滑らかに仕上げられたま
な板が私の手元に届き、私はやっと手に入れた「ほんまもん」の重みを背中にずっしりと感じながら帰宅したのである。
イチョウの木で出来たまな板は包丁の人当たりがいいし、水はけもよく、においも残りにくく、プロの料理人も愛用しているものだと聞いている。キャベツの線切りを作るのにも、この大きなまな板の上なら、切り終えたキャベツを落としたりして周囲を汚す心配もなさそうである。また、パンやホットケーキを作ったときは、このまな板をお皿替わりにして載せた、ちょっとリッチな感じの食事になる等々、このまな板と出会ったことで、私の胸に楽しい夢がいろいろ広がっていく。
最近「オン・デマンド」と言って、顧客の細かな求めに応じた物づくりやサービスの形に人気が集まっている。「木のっぴ」でも、そのとき店内にはなかったものを私の希望を聞いて手直ししてくださったのだから、これも立派な「オンデマンド・サービス」である。八王子市内にはこのスタイルの作業所が、木馬工房以外にもたくさんあると聞いている。皆さんの活動ぶりが市民にもっと広く知られ、スムーズな販売ルートが出来たら、そこで働く皆さんの生活がさらに豊かになるのではないだろうかと、勝手な思いもめぐらせている。


【連載コラム B 型肝炎闘病記 パオ 小濵 義久 闘病史 その 23】
1986 年 6 月 25 日の外来で GOT、GPT が178、188 と高い数値を示したので、肝硬変に進行しているかどうかを調べる為の入院(肝生検)を指示された訳だが、実はγ-GTP が 99 とそれまでの最高値を示していたこと(空前絶後)に今回35 年間のデータをエクセルに入力していて初めて気が付いた。γ-GTP というのはお酒との関係が深く、お酒で肝臓を悪くしている人は殆どの場合高い値を示す。健康な人でも大量飲酒後γ-GTP が高くなることが多く、健康診断の前にはお酒を控える人が多い。慢性肝炎では、GOT、GPT が高くても、γ-GTP は正常値という事が殆どであり、私の場合もγ-GTP はずっと正常値内を保っていたのである。という事は竹内演劇研究所での飲酒が影響しているかもと考え、手帳を繰ってみると 21 日に終電近くまで飲んでいたことが分かった。何
と言うことよ!なんたる、さんたる、ちぃ~あ(あの有名なカンツォーネであるサンタ・ルチアが頭の中でリフレーンしている)。
生まれて初めて肝機能の異常値を示すようになって以来、ずっと虎の門病院に通院しているのだが、初めの数年間のGOT、GPT の数値が良くないばかりか、しばしば三桁の数字をはじき出している事にも今回初めて気付かされた。そういう状況の中にあって、結構体力の消耗を招く演劇をやり続けていたんだなぁと再認識させられた。阿呆としか言いようがない。その事を含め当時の生活習慣が最初に受けたステロイド離脱療法の効果を削ぐ事になったかもしれないとの悔恨の情が胸をかき鳴らす。
記憶の中の闘病像はもう少し良い経過を描いていた。記憶は美化されるものなのかもしれない。そう言えば、いつの時代も歴史は美しく書き換えられようとされ、歴史論争が常に絶えないのである。正しくではなく、美しくである。誰にとって美しいかは指摘するまでもなかろう。
日雇い労働者の身の上、休みを取れば収入はゼロになる。だから、検査入院は専門学校の前期の講義が終わるのを待って貰った。金曜日の最終講義が終わった次の週の月曜日 7 月 30 日に入院して、8 月 7 日に退院している。肝生検が主たる目的であり、ほぼ毎日いろんな検査をしたが、その結果ほぼ肝硬変に突入しつつあるという事が分かった。肝臓組織の線維化が始まっていた。この事態になって、まだ肝機能値が上がったり、下がったりしているので、最後の治療手段(当時はまだいろんな治療手段がなかった)としてインターフェロンを使ってみようという話になった。当時まだ開発されて間もなく、治験段階にあったインターフェロンは高価であり、どの医者でも使える薬ではなかった。また、ウイルス性肝炎への治療指針も定まっていなかった。どの位の量をどの位の期間注射すれば良いか、また毎日打つのか隔日か、もっと間を空けるのかなど、すべて手探り状態だった。このインターフェロン注射がとんでもない事態を招くことになるのだが、それは明日の心だぁ~。


通信本文はここまで。

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