_御蔭様で、区切り目を迎える事が出来ました。
ネット社会によって、様々な情報や感情に触れる。
そこから、自分の意思を紡ぎ出すのは難しいのかもしれません。
_多くの情報は、個人にとって傍観者としての立場で受け取る場合が多い。
生の情報に、臨場感を共有出来るのは共通の体験が必要になる。
個人的に、満足しない為の節制が人生を分けると考える。
_どんな状況でも、生きていかねばならない。
それが、人間としての絶対条件だ。
だからこそ、どんな環境でも生きてしまえる。
_死ぬという事は、生を全うした証だ。
死ぬという事は、生きたという事だ。
そして環境設定を誤ると、命以外の側面で死を経験する。
_個々人それぞれに、何かしらの強い欲求は付き物だ。
その欲求と向き合えなければ、感覚は麻痺してしまう。
自分が何の為に生まれ、生きていくのかが分からなくなる。
_人間社会は、一つ切っ掛けを掴みさえすれば……。
我々の想像をも及ばぬ、未来を切り開くだろう。
それを阻んでいるのが人間であり、社会でもある。
そしてそれは、仕組まれたものなのだろう。
_感覚が麻痺していない人間は、少ないだろう。
日常という監獄に安穏し、自分の言葉を持てない。
だからこそ、独りの時間の過ごし方が重要なのだ。
_個人的に、このブログを書くにあたって特定の読み手を意識した事は無い。
自らが素材を選び、差し障りの無い文章を心がける。
誰かにマイナス面が大きいという事は、誰かにプラス面も大きいという事。
私はそんな誰かの為に、文章を書いている訳では無い。
自分のため、読者のために書いている。
_自分が後から読んで、何等思う事を得られない。
それが、駄文だと個人的に考える。
だからこそ、他人の受け売りを網羅した文章。
それをここで書いた所で、付け焼刃に過ぎない。
_その時に考えた事や、それ迄に考えた事。
根幹を得た文章を紡げば、脳の小嵐に収拾をつけるキッカケにもなりうる。
そういう意味で、自分のためであると……。
_そして、読者には他の書き手と変わった文章を読んで貰う事。
勿論、読みにくいという御指摘は恐縮なのだが……。
その言葉は真実なのだから、私の言語脳を刺激する。
_人間は、誰かのために力を発揮する生き物である。
そして、自分もその誰かの1人に該当してしまうのだ。
つまりは、己を他者と分け隔てない感覚に近づける。
その境地こそが、人間なのだ。
生き物なのだと言える。
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