檄文!!サッカー

熱くなり、何より愛すべきサッカーについて書きます。
その過程で得られた市民意識を元に、世情についても論述中。

ブログ開設から1515日

2013年07月04日 23時13分04秒 | 日記

 

_御蔭様で、区切り目を迎える事が出来ました。

ネット社会によって、様々な情報や感情に触れる。

そこから、自分の意思を紡ぎ出すのは難しいのかもしれません。

 

_多くの情報は、個人にとって傍観者としての立場で受け取る場合が多い。

生の情報に、臨場感を共有出来るのは共通の体験が必要になる。

個人的に、満足しない為の節制が人生を分けると考える。

 

_どんな状況でも、生きていかねばならない。

それが、人間としての絶対条件だ。

だからこそ、どんな環境でも生きてしまえる。

 

_死ぬという事は、生を全うした証だ。

死ぬという事は、生きたという事だ。

そして環境設定を誤ると、命以外の側面で死を経験する。

 

_個々人それぞれに、何かしらの強い欲求は付き物だ。

その欲求と向き合えなければ、感覚は麻痺してしまう。

自分が何の為に生まれ、生きていくのかが分からなくなる。

 

_人間社会は、一つ切っ掛けを掴みさえすれば……。

我々の想像をも及ばぬ、未来を切り開くだろう。

それを阻んでいるのが人間であり、社会でもある。

そしてそれは、仕組まれたものなのだろう。

 

_感覚が麻痺していない人間は、少ないだろう。

日常という監獄に安穏し、自分の言葉を持てない。

だからこそ、独りの時間の過ごし方が重要なのだ。

 

_個人的に、このブログを書くにあたって特定の読み手を意識した事は無い。

自らが素材を選び、差し障りの無い文章を心がける。

誰かにマイナス面が大きいという事は、誰かにプラス面も大きいという事。

私はそんな誰かの為に、文章を書いている訳では無い。

自分のため、読者のために書いている。

 

_自分が後から読んで、何等思う事を得られない。

それが、駄文だと個人的に考える。

だからこそ、他人の受け売りを網羅した文章。

それをここで書いた所で、付け焼刃に過ぎない。

 

_その時に考えた事や、それ迄に考えた事。

根幹を得た文章を紡げば、脳の小嵐に収拾をつけるキッカケにもなりうる。

そういう意味で、自分のためであると……。

 

_そして、読者には他の書き手と変わった文章を読んで貰う事。

勿論、読みにくいという御指摘は恐縮なのだが……。

その言葉は真実なのだから、私の言語脳を刺激する。

 

_人間は、誰かのために力を発揮する生き物である。

そして、自分もその誰かの1人に該当してしまうのだ。

つまりは、己を他者と分け隔てない感覚に近づける。

その境地こそが、人間なのだ。

生き物なのだと言える。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿