檄文!!サッカー

熱くなり、何より愛すべきサッカーについて書きます。
その過程で得られた市民意識を元に、世情についても論述中。

人間不信はどこからくるの?

2008年02月18日 12時17分31秒 | 常識+教育
それは100%、自己不信からきます。

自分が信じられないから、他人も信じられない。

これはもう、自分との戦いです。

自分を好きになる努力を、継続して少しずつ始めていくしかありません。

人間は年を取ると人間不信に陥ったりしますが、肉体の変化に精神がついていけずに自己不信を招くからです。

また世の中に争いが無くならないのも、常に食糧の問題を気にしなくていい立場に身を置けていないからです。

きちんとした食生活を摂っていない、またその習慣が世間で失われているが故に、犯罪が増加しているのです。

言うならば、農政が滞れば人間不信は拡大される。

これだけは、間違いありません。


自分が嫌いになったら、自給自足とまでいかなくとも、家庭菜園を始められたらいいかと思います。

特に定年退職されて、時間を持て余してしまうという方には運動不足の解消や、御近所付き合いにも野菜を分けたり等で広がります。

また若い世代も、いかに自分という存在が農業に必要とされているかが身にしみて世間とはまた違った空気を吸える事になるでしょう。

人間不信に、家庭菜園は一つの薬になる事に間違いありません。


解説

人間不信になってしまったら、誰が作ったかも分からない野菜等を食べたりしたいと思わなくなってしまいます。

米軍兵が日本の有機肥料栽培を、全く受け付けなかったといいます。

これも失礼な話で、ただの人間不信です。

いかに米国が他者の生活様式や存在に対して、相容れない姿勢であったかが分かりますね。

信じられないならば、自分でやってみる事が肝要です。

そして苦労を知れば、他の人が自分の代わりにこの労働を行ってくれていた事を身を持って体験出来ます。

そこで感謝が芽生え、大地の恵みに膝まづけるのです。

食べ物への感謝の気持ちが無ければ、食事は彩を失います。

それが人間らしさを失わせる「危険な一歩」だと、私は見ています。


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