平方録

寒鰤と初鰹

目には青葉 山ほととぎす 初鰹

江戸時代中期の俳人、山口素堂の句である。
前書に「かまくらにて」とあるそうだから、わざわざ鎌倉に足を運んだ時に詠んだものか。
確かに、5月も初旬になれば鎌倉では今でもホトトギスが鋭い声で昼夜の別なく鳴き、周りの山々の緑は芽ぶきの頃とは違ってしっかりした青葉が輝く。
魚屋やスーパーの店頭には薄く削られた経木に“初鰹”と書かれた札とともに、鰹が1尾丸のままや柵にされた身になって並ぶ。
初鰹は今でも初夏の風物詩である。

この素堂の句には「目と耳はただだが 口には銭がいり」という川柳の返句がある。
江戸湾では取れない魚だから、黒潮が洗う外洋に面した相模湾沿いや千葉辺りから運ばなければ口にできないのは今も同じだが、交通手段の限られていた時代に生のまま運ぶのは容易でなかったことは想像に難くない。
宝井其角は「まな板に 小判一枚 初鰹」と詠み、「初鰹は女房子供を質においてでも食え」と輸送に随分とお金がかかったことを偲ばせる。

あの俳聖芭蕉には「鎌倉を 生きて出でけむ 初鰹」がある。
江戸に新鮮なものを届けるためには、鮮度抜群の、しかも生きているうちに素早く出発してこそ、だったのである。
「初物七十五日」と云って、初物を口にすると寿命が75日延びると信じられた時代である。
しかし、初物珍重は今もなんら変わらないようである。
鎌倉に暮らした清水基吉は「御僧は 説かず娶(めと)らず 初鰹」と、初鰹には目の色を変える坊さんをからかっている。

それにしても、素堂の句は青葉もホトトギスも初鰹も初夏の季語で、これほどのてんこ盛りも珍しいが、実に印象的な句である。日本人で知らない人のいない句なんじゃないだろうか。


昨日、来客があり、膳を整えるために漁港近くの市場に行ってびっくりしたんである。
1メートル近くもあるブリがごろんと横たえられていて、半身が切り取られ、柵にされて並んでいる。
そのすぐそばには経木に「初モノ」と朱書された札が添えられた70センチほどもある、丸々太ったカツオがデンと1尾鎮座していて、こちらも半身が切り身にされていた。

寒ブリは今の季節のうまい魚の代名詞である。立春を過ぎたとはいえ、まだまだ健在である。しかも相模湾で今朝上がったものと云う。
季節感たっぷり、文句はない。
しかし、カツオはどうだ?
いくらなんでも5月のもんだろうに…、と思って尋ねると、千葉県沖で上がったもので「このところよく入るのよ」とおばちゃんは言う。

しばし考えたが、如何にもアンマッチのような気もするが、現実というものは直視しなければ何事も始まらない。
そう考え、真冬と初夏を一緒にいただく、という信じがたい現実を受け入れることにしたのである。
われながら随分と大層な決断をしたもんである。
そしてとても小型だが、こちらも旬のサヨリと一緒に買って帰ったのである。

寒ブリはさすがに脂も乗っていて、それなりに適度に安定感のある美味しさ。
サヨリもしっかりした歯ごたえで、赤身の魚とは違った、きりりと締まった感じがよろしい。
で、初ガツオ。食べるには脂がたっぷり乗った秋口からの戻りガツオがおいしいが、さすがにルビー色した初鰹の身は美しく、淡泊であるものの、それが売り物なのである。なにせ初物である。超初物である。
江戸っ子の上を行く気分であり、寒ブリと合わさって寿命は75日以上はるかに延びたに違いない。


寒と初夏 江戸っ子仰天 春立ちぬ  花葯



左から時計回りにサヨリ、初カツオ、寒ブリ
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