過ぎ去った2014年というのは、公私ともに不愉快な出来事が続いた年だった。
記憶に残る年というか、記憶に留めておかなければならない年と言ってよい。
一年の計は元旦にあるというが、そんなことを改めて心に刻んで新たなスタートを切るなどと言う“儀式”をしていたのは、小学生のころまでだったように思う。
嫌なことは出来るだけ忘れてしまおうという気は起るが、あんな年にしたい、こんな年にしたいなどと思い描くのも面倒になってきている。
成るようになるさ… 成るようにしかならん…
いつの頃からか、そんな気持ちが心を支配するようになっている。
2015年の元旦の午前5時前にもぞもぞと起きだして、今年始めたブログを書き連ねているのだが、一年の計を掲げて出発するのも気恥ずかしい。
今日と言う日は元旦であると同時に、ブログ開設から163日目に過ぎない、と斜に構えている自分に気づく。
高浜虚子に「去年今年 貫く棒の 如きもの」という句があり、コゾコトシと読む「去年今年」は昨日が去年で今日は今年という一年の変わり目をとらえた印象的な句だが、「1本の棒の如く」という表現が強烈である。
ワタクシメにも棒の如きものがあるように思うのだが、樫のような丈夫で固い棒なのかといえばそうでもなく、柳のようなへなへなした小枝か、下手をすれば発泡スチロールか何かでできた“もどきもの”かもしれない。
新年早々情けないことになってきたが、まぁ、そんな感じである。
朔旦冬至を過ぎて、心なしか日足も伸びたように感じられる。
4月には姫も1年生に上がる。
その前には長女のところに家族が増える。
一陽来復を信じて、良い年の到来を念じる。
2015.1.1 AM6:15の東の空
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