平方録

48年ぶり

48年ぶりに円覚寺の山門をくぐった。
もっとも、季節ごとに境内をぶらつくことはしょっちゅうあった。
1966年夏、高校生の時に在家の人たちの座禅道場ともいうべき居士林で10日間ほど座禅をしたことがある。それ以来の座禅。
大方丈で午前8時すぎから9時半までの「日曜座禅会」。座禅を組みながら横田南嶺管長の「伝心法要」に沿った法話を聞く。
「腰骨を立て、背筋を伸ばして静かに呼吸してください。そして心を無にするのです。慣れないうちは難しいかもしれないが、そのことに8、9割集中し、残りの1、2割で私の話を聞いてください」
法話の中身を要約すると、人はとても大事なものを自身で持っているのだが、自分では持っていないと思い込み、いろいろ探し回っている。心を無にすることでそれが見えてくる、というような中身だった。
金剛経の「応無所住而生其心」という教えに通じるところがあるようだ。
さて、48年ぶりの感想。高校生の時と比べて身体、特に足の関節が固くなっていることに尽きる。座禅は結跏趺坐といって両方の足首を太ももの上に出して組むのが正式。高校生の時もこれはできず、半跏趺坐といって片方の足首だけ出せばいい組み方で済ませた。今回も半跏趺坐で足を組んだが50分くらい過ぎたころから右足首と右膝が悲鳴を上げ始めた。3月の彼岸に膝を痛めた。この膝を直さなくては長時間の座禅は組めそうもない。困ったことだが喫緊の課題を突き付けられた。 
そして腰骨を立てて背筋を伸ばすことも、意識しないとできない。意識しても維持するのが大変。普段の姿勢がいかに悪いか。こういうところに現れる。
居士林にひと月ぐらい籠って座り続けようと思っていたが、とんでもない話だ。甘かった。できるわけがない。
謙虚に、日曜ごとの座禅会に参加することにする。
座禅の話はおいおい書き連ねることに。
円覚寺の開門は午前8時。開門に合わせるように人が集まり始め、下りの横須賀線から降りた人がまっすぐこちらに向かってくる。開門と同時に拝観料を収めた人たちはぞろぞろと大方丈に向かって歩いていく。女性もいる。観光客?と思ったが。だれかが80人くらいで今日は少し少ない、と言っていた。「へー」な光景でした。
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