84歳だった。
昭和30年代半ば過ぎの中学生の頃、テレビ放送のCMが盛んになり始めたころ、放送回数も多く、ローハイドなどの人気番組を提供していたので印象に残ったのが、寿屋のトリスウイスキーの宣伝だった。
ほとんど胴体のない、大きな顔から直接手足が生えたようなアンクルトリスがトコトコトコと画面に現れ、トリスバーの扉を開けて中に入り、カウンタに座ってグラスを傾けると、大きな顔の下の方から頭のてっぺんにかけて、顔の色が酔って見る見るうちに赤くなっていくのである。
多分セリフは無かったと思う。音楽が流れ、開高健のキャッチコピーが画面に現れるだけだったような気がする。
しつこくこれでもかこれでもかと押しつけてくるわけでもなく、さりげないのだが何か気になる、という広告であった。
トリスバーに行ってみたいものだと、真剣に思ったものである。
当時の安ウイスキーをストレートで飲むなどというのは、雑味があって随分不味かっただろうから、ハイボールにして炭酸で割りでもしなければ何杯も飲んでもらえなかったに違いない。
まぁ、それはどうでもよいことで、とにかくアンクルトリスの広告は群を抜いておしゃれで、洒脱な感じがしたものである。
柳原さんは、言わずと知れたアンクルトリスの生みの親。寿屋を退社してしばらく経った頃から、横浜山手の丘の中腹の、大桟橋がよく見える所に居を構えられていた。
玄関を入って中に通されると、応接間には救命ブイやら航海灯などが飾られていて、船の中のようであり、さすが船キチを自認するだけのことはあった。
山手の丘から下った辺り、山下公園前の道路より1本内側の通りにあったバーで時たまお会いすることがあった。だいたい奥さんと2人連れで仲良く飲んでいた。
仕事柄顔見知りであったが、そのよしみもあって、人生を綴ってはくれませんか、とお願いに行った。
もちろん二つ返事で引き受けてくれたのだが、画風同様、軽妙洒脱な文章で、ほぼ2カ月、59回に分けて綴ってくれた。
「DANぼ」という出版社から「良平のわが人生」という書名で出版もされている。
私も船が大好きで、中学生のころになると外国の大型客船が入港するたびに、下駄をカランコロン響かせながら大桟橋まで歩いて行って、しげしげと眺めていた。
当時は定期航路もあって、日本郵船の氷川丸、アメリカンプレジデントラインのプレジデント・ウイルソン、P・クリ―ブランド、P・ルーズベルトの3隻、フランス郵船のベトナム、ラオス、カンボジアの3隻、それと不定期に大阪商船の南米移民船あるぜんちな丸など。それに春と秋の観光シーズンに寄港する世界一周のクルーズ船etc。
プレジデントラインの船は灰色と白のツートンの船体に青と赤に塗り分けられた煙突に白い鷲のマークが付いたいかにもアメリカらしい装いのスマートな船体だった。
片やフランス郵船の3隻はいずれも真っ白に塗られ、煙突だけが黄色だった。この船が、五色のテープの中を夕日を浴びて出港してゆく姿はとても美しく、あれに乗ってスエズ運河を抜けてマルセイユまで行って見たいと思ったものだが、しばらくして定期運行をやめてしまったのは返す返すも残念でならない。
横浜のバーを覗けばすぐ分かることだが、薄暗い壁のどこかに必ず1枚は、アンクルトリスの描いた独特の船の絵が飾られていることに気づくはずである。
あちこちのバーがギャラリーなのである。
船とウイスキー、そこにアンクルトリス。それがヨコハマである。
ご冥福をお祈りする。
最新の画像もっと見る
最近の「日記」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事