かれこれ20年ほど前に隣町の逗子で魚料理を得意とする赤ちょうちんの店を出していた旧知のNである。
魚料理と言っても、老舗の日本料理屋が高級魚を使って気取って出してくるような料理ではなく、どこにでもいるような大衆魚や、料理人が見向きもしないような下魚を好んで扱って、それを「うんっ!」と言わせるような、あるいは漁師が食べるような実に素朴でいながら、素材のうまさを上手に引き立てる料理を得意とした。
何も奇をてらっているのではなく、魚が一番おいしくなる旬をわきまえているから、理にかなっているのだ。
だから、その店に集う客は「今日はどんな魚が入ってるんだ?」と楽しみに通ったものである。
カウンターに椅子席が7つか8つしかない狭い店だったが、常連客を中心ににぎわっていた。
当時は葉山の友人のところにシーカヤックを置かせてもらっていて、「男は群れてばかりいないで1人になる時間こそ必要だ!」というのが持論で、時々1人で沖まで漕ぎ出しては、日がな一日海に浮かんでいた時期である。
知人が逗子に面白い店があるんだ、と連れて行ってくれたのが、その店である。
身長190センチに迫ろうかという長身で、童顔。料理人には珍しくペラペラとよくしゃべる男で、出してくる料理にいちいち能書きやら蘊蓄を垂れたがった。
しかし、なかなか味のあることを話すものだから、カヌー仲間の1人が「文章にしてみたら」とおだてたのである。
何とかもおだてりゃ木に登る、の例え通り、あれよあれよと登って行ってしまい、気がつけば極身近な新聞で連載を始めてしまった。
話の中身は「へーっ!」とうならせるような話題に富んだ魚料理のエッセイである。何よりも良かったのは、魚が好きで好きでたまらない、という素朴な心情に支えられていたことだろう。肝心の文体も話し言葉のようなざっくばらんな調子でリズムがあり、軽妙で気軽に読めたことも幸いした。
連載はなかなか好評だったらしく、三浦半島や湘南の地魚の宣伝効果も抜群で、この界隈の漁師たちの役にも立ったのである。
いつの間にかこれが出版され、執筆活動を重ねるたびに送ってくるものだから、わが書棚には「漁師の磯料理」「漁師直伝~魚の食べ方は漁師に聞こう」「漁師町のうめぇモン」など6、7冊も並んでいる。
そんな具合だから店は休みがちになり、足は遠のいてしまった。その後の消息は時々耳にはしたが、それっきりである。
久しぶりに目にした記事は土曜日掲載の2回目で「ヒラソウダガツオのづけ丼」というタイトルだった。
記事ではこのほかに「ニザダイの刺し身」「ツバクロエイの煮付け」が紹介されていて、2つとも初めて聞く魚の名前だ。Nの面目躍如である。
どうやら伊豆の定置網にかかった魚を選別しないで持ってきて、それを料理する居酒屋を東京の品川で始めたらしい。そこの総料理長なる肩書きが付いている。
相変わらず高級魚には目もくれず、捨てられてしまい、市場には絶対に出回らないような魚ばかりを上手に料理して、その魚の魅力を引き出すことに注力しているようである。
初心忘れず、初志貫徹。5つ年下で還暦は過ぎているが、その姿勢はなかなかよろしい。近々冷やかしがてら店を覗いてこなくてはなるまい。
近所の田んぼの脇の棚で栽培されているヒョウタンも随分大きくなってきた。大きなものは尻に網をあてがわれて支えられている。
最新の画像もっと見る
最近の「日記」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事