平方録

暗闇

夜寝るときは気付かなかったが、朝起きて見るとチョッチョッチョッという虫の音が聞こえる。
午前4時といっても夏至のころと違って、東の空を覗いて見ても今日このごろはまだ夜明けの気配からはほど遠く、辺りはまだしっかりと夜の闇が支配している。
6月20日に4:27だった日の出は8月19日の今日は37分も遅い5:04である。夜明けの気配が垣間見えるまで、あと2、30分ほどはかかるだろう。

 或る闇は蟲の形をして哭(な)けり   河原枇杷男

「心」そのものの闇が「虫の形」をして「哭く」というと、ある種の不気味さが漂う…  

 蟋蟀(こおろぎ)が深き地中を覗き込む   山口誓子

この句も、はてもない心の暗闇を覗き込んでいる…

秋になると心の闇が深くなるのだろうか。それとも、いつも深いのだけれど、その深さにしみじみ気付くのが秋なのか。
「メランコリー」に比べて「心の闇」は何十倍か不気味でもある。

太平洋高気圧が一気にしぼんでしまったかのように、姫が帰った日を境に夏空が消えてしまった。
これから先一週間の天気予報も雲リマークばかり。天気図を見ると、列島沿いに前線が停滞するような予報になっていて、下手をするとこのまま秋雨前線に代わってしまうのではないか。
台風の動きも気になるし、あの夏の太陽はこのまま消えてしまうのだろうか。

梅雨が明けたのは円覚寺の夏季講座が始まった7月19日だった。あれからたったひと月しか経っていない。
このままでは“短すぎる夏”ということになってしまう。メランコリーじゃぁ~。

秋なんて望みもしないが、個人的な季節の好みは別にして、日本人の季節感にはそれなりの感性が光るから見過ごせない。

 秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども 風のおとにぞおどろかれぬる  藤原敏行

現実には夏であっても、一瞬の風のそよぎの中に秋を感じてしまう日本人の鋭敏な感性がこの歌の真骨頂なのだ。
真夏にフト、こういう気配を感じてしまうことが、確かにある。

 馬追虫(うまおい)の髭のそよろに来る秋は まなこを閉ぢて想ひ見るべし  長塚節

スイッチョと鳴く馬追虫。夏の物陰で、あの長いひげが「そよろ」と動くんである。それをとらえる目。いや、目を閉じて感じる感性。
これは日本人の世界である。

大多数のメリケン人には別世界の感性で、理解は難しかろう。そもそも根本的な考え方が違うんだな。そんなのにノコノコ付いて行くっていうんだから、違和感ありありのオオワリナゴヤのコンコンチキ。
闇に分け入ってしまう前に、戻るなら今のうち。




江戸時代から続く「変化朝顔」の「団十郎」。深みのある伝統の茶色のアサガオが初めて咲いた。


こちらも茶色のアサガオだが、通信販売で買った一代限りのF1種。茶色がやや明るい。
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