雨後兼無葉底花
蛺蝶飛来過牆去
却疑春色在隣家
王駕という唐の詩人の「晴景」という七言絶句である。
穀雨の前には、花の間に葉が見えはじめていたが、
穀雨の後には、葉陰にすらまったく花はない。
アゲハチョウが飛んできて、垣根を越えて過ぎ去った。
春景色は隣の家に移ってしまったのだろうか。
(石川忠久訳)
つい先週くらいまで、朝4時過ぎに起きるとガスストーブをつけてパソコンのキーボードを叩いていたものだが、2、3日前から短パンに長袖のTシャツ1枚である。
しかも、ベランダの戸を開け放ち、しばらくの間、外の気持ち良い空気を取り入れるほどなのだ。
楽しませてくれたサクラはとっくに散ってしまったし、薄いピンク色に染まっていたハナミズキの色もそろそろ褪せてきて、気の早いものは散りかけている。
チューリップは既に散ってしまった。芽ぶきの早いカツラの新緑はびっしり茂り、緑は濃さを増している。
冬と春を行きつ戻りつしていたかのようだったけれど、急に速度が上がったかのように、もう4月も終わりである。
来週はもう「立夏」。暦の上では夏が到来する。
既に北関東では最高気温が30度を超えたところもあるそうで「え~っ!」と驚くが、北海道でも30度近くまで気温が上がったところがあると聞かされると、もう絶句、耳を疑ってしまう。
こういう季節の移ろい方を見せつけられると、日本から春が消えてなくなってしまうのではないかと思えるほどである。
立夏も七十二候もあったものではない。
行く春を近江の人と惜しみける
芭蕉の有名な句だが、昨今に照らせば、惜しむどころか、春が来たことの実感さえ薄いままに過ぎ去ってしまうかのようではないか。
やはり日本に住んでいれば、四季の移ろいというものをしみじみ味わいたいものである。
冬からいきなり夏、夏から一足飛びに冬、などというのは平にご免こうむりたい。
第一、解禁されたばかりの初物のシラスの甘みや、紡錘形に丸々と太った初ガツオを刺し身にして日本酒とともに味わう、あの初夏ならではの高ぶる気持ちとか、その前にタケノコご飯の味わいなどはどうしてくれるんだ?
「旬」という言葉に言い尽くされる独特の季節感さえ消えてしまうのではないか、と心配になってくる。
砂漠のベドゥインに生まれたのならいざ知らず、日本人として生まれたからには、そういう季節感を含んだ繊細さに身を委ねて生きてゆきたいものなのである。
春惜しむ人や榎にかくれけり 蕪村
なんていうのも、日本人なら何となく理解が出来るというものだ。いいなぁ、こういうの。
わが家の庭で一番ねぼすけのナンキンハゼにようやく芽ぶきが始まった
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