平方録

思い出のフルーツパーラー

渋谷へ行く。
それも、湘南新宿ラインでそのまま行けば乗り換えなしでピュッと行けるものを、横浜駅で降りてわざわざ東横線に乗り換える念の入りようである。
妻がそうしたいという。
渋谷の地下駅で降りて、どうやったらヒカリエに通じるのか、自分の足で確かめたいのだという。

東横線が地下に潜り、地下鉄副都心線と相互乗り入れをするようになったのは2013年3月16日である。
2年も経過しているのに、そういうことを言うのは、如何に東京と縁遠いところに暮らしているかの証拠である。

そもそも渋谷という街は妻のホームタウンのような所である。
世田谷から都心に向かうのに、バスで渋谷まで出てきて、ここから山手線とか地下鉄銀座線に乗り換えていたのである。
大学への通学コースでもあった馴染みの街と駅でもある。
かくいう小生も、初めて東京という地の繁華街を味わったのが昭和30年代前半の渋谷である。

有栖川公園近くの当時の西ドイツ大使館とフランス大使館に挟まれたところにあったユーゴスラビア大使館の隣に住んでいた従兄弟の家に遊びに行って、都電に乗って連れて行ってもらったのが渋谷である。
ヒカリエが誕生する前の東急文化会館にはプラネタリウムがあって、椅子が倒れるのにびっくり仰天し、文字通り天を仰ぐようになったところに星空が現れるのである。これぞ正真正銘のびっくり仰天なのだ。

この後多分、文化村の食堂か渋谷駅の東急デパートの食堂で何か食べたはずだが、何も覚えていない。
初めての渋谷の印象はプラネタリウムに凝縮されてしまったようである。

小学生時代に東横線の白楽に住んでいたことがあり、鉄道少年にとって緑一色に塗装された丸っこい電車は格好よく映り、よく詳細な絵を描いたし、一人で電車に乗り、運転台のすぐ後ろに立って渋谷まで目を凝らして前方や運転手の一挙手一投足を見ながら、運転手の気分に浸ったものである。
その電車はまだ、地方のローカル鉄道で健在なようだし、ハチ公の目の前に先頭部分だけ置かれている。

渋谷に着き、エスカレーターを乗り継いでヒカリエの入り口に到着した後、中には入らず、スクランブル交差点に向かう。
妻によればこの交差点は来日する外国人に“超有名”で、写真やビデオに収めて国に帰るのだという。
何がそんなに珍しいのか。

人の多さならニューヨークのタイムズスクエアだって相当に込み合っている。
ひょっとして、信号が変わり、前から後ろから、左から、あるいは右から押し寄せてくる人波を、さして混乱もせずに渡りきる様子が珍しいのか。
そういえば、あそこを渡るときは老若男女を問わず、自分勝手に進んでは立ち往生しかねない。
前後左右に気を配りながら歩かざるを得ないのである。
あそこを渡ってみると、あぁ、こりゃあ出来ない国も確かにあるだろうな、と思わせるところがある。
別に自慢にもならないけれど。

そこを渡りきって交差点に面したフルーツパーラーへ。
ここで、遅い昼飯。何とフルーツサンドを注文する。飲み物はビールでなくてグリーンスムージー。妻はホットケーキとあんみつ豆入りフルーツセット。
生まれて初めてのフルーツサンドはそれなりに美味しかった。
それなり、とはこういう組み合わせもあるなという意味。ご飯にフルーツを乗せて食べても美味しくはないだろう。パンなら十分可能になる。

なぜここに入ったのか。
19歳のとき、初めて妻とデートして入ったのが、まさにこの店。東横線の線路だけはよく知っていたが、街はまったく知らず、初だった大学生は妻に連れられて入り、ドキドキしながらコーヒーを飲んだものである。
すっかり忘却の彼方に消えていたが、渋谷と聞いてにわかに思い出したのである。

青春時代がふつふつと蘇ってくるのかと思いきや、特段そんな感情は現れず、むしろ、30代後半と思しき男や女がたった一人できれいな色をしたフルーツパフェなどをスプーンに掬い取って、しげしげと見やりながら口に運ぶ様子を見て、何か見てはいけないものを見てしまったような気分である。





じゃーん! 果物たっぷりのフルーツサンド!


こちらはホットケーキとあんみつ豆入りフルーツセット


ハチ公の周りは人がいっぱいで、待ち合わせの人を見つけるのに往生しそう
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