東横線というのはスマートな電車だった。
JRが国電と呼ばれ、ぶどう色と言えば聞こえは良いが、ぱっと見にはこげ茶色一色の、何とも地味な電車しか走っていなかった時代に、緑色に塗りつぶした電車が走っていたのである。
しかも、正面には大きな窓が二つ、側面の窓も大きく取られていて車内は明るかった。
緑一色なので“アマガエル”とあだ名されていた。
電車に脱線は禁物だが「雨蛙お前はペンキ塗りたてか」という芥川龍之介の句が思い浮かぶのである。
当時、花型だった国鉄のオレンジとグリーンの2色に塗り分けられた湘南電車やクリーム色と濃紺色の横須賀線電車の流線型の電車の向こうを張ったのかもしれない。
そして、しばらく時を経ると、ステンレスカーという銀色の電車が走り始めた。
ステンレスでできていて、さびる心配はないから塗装にかかる費用がいらない。鋼鉄の車体より軽いなどの利点があったように思う。
ステンレスがピカピカ光って、実に都会的な電車の登場だった。
全国の鉄道に先駆けて導入したのではなかったか。今や電車の車体はステンレスという時代である。
当時の桜木町と渋谷の間を、急行電車だと34分で軽快に走ったものである。
それが桜木町を離れて地下に潜り、今度は地下鉄と直通運転するため、代官山の手前から地下にもぐってしまった。
問題は直通運転というやつである。
横浜から新宿や池袋に行くには便利になったが、始発電車に座って帰るという、よしんば席が埋まってしまっていても1本やり過ごせば座れるという利点が失われてしまったのは、心理的なダメージが大きい。
東横線利用者に評判がよくないのもうなずける。
3月から東海道線までもが東京駅発着の歴史を捨てて、高崎線やら宇都宮線やらと直通運転を始めた。
これまでの行き先表示が「東京」だけだったのに、さして馴染みのない駅名ばかりが表示された電車が走っているさまは、何とも落ち着かないのである。
共通して言えるのは、直通運転のメリットとして利便性を上げているが、果たしてどれくらいの効果があるものなのか。
横浜から埼玉の小江戸と呼ばれる川越まで、乗り換えなしで行けますなどと胸を張られても、何回利用するのか。
横浜や藤沢辺りから埼玉の大宮や群馬の高崎などに仕事で通うか?
逆に横浜の元町や中華街では埼玉や都内からの客が増えたようだが、これにしたって一人一人に置き換えれば年に数回だろう。
どうもよくわからん。
直通運転を歓迎しない考え方の背景にあるのは、たくさんの列車がさまざまな方向に出発してゆき、あるいは到着するターミナル駅の存在、それが持つイメージである。
目的地に到着する、あるいは、どこかを目指して出発する、という行為そのものが意思を持つ人間の日常なのである。
その起点であったり目標だったり、いわば生活のメリハリの象徴が、始発駅とか終着駅という呼び方に凝縮されている。
人間というのは新たな気持ちで何かを始めたり、目指す目的に向かって一生懸命努力する。あるいは志空しく帰ってもくる。
そういう象徴としての「駅」、より所としての「駅」もあるのである。
それほど大げさでなくても、例えば東京に勤務していて、仕事帰りに東京駅から東海道線のボックスシートに座った瞬間から、心は完全にリセットされ、清新な気分で家路をたどるのである。
逆もまた真なり。到着してホームに降り立った瞬間、戦闘モードのスイッチが入り「さあ、行くぞ!」という切り替えが行われるのである。
こうしたメリハリを感じることのできない、知らないこれからの日本人は、日本は、おそらくズルズルした国になって行くのではないか。
いやはや、とんだ妄想になってしまった…
クジラは渋谷に限る! 手前左から時計回りに竜田揚げ、舌元煮込み、心臓の刺し身、晒しクジラ、赤身の刺し身。
道玄坂の百軒店の名曲喫茶は健在。家のステレオとはだいぶ音が違う。
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