平方録

良い魚屋が消えていく

大船の駅前に広がる古くからの商店街のにぎわいは、よそではなかなか見かけることの出来なくなった活気に満ちあふれたものである。

狭いメーンストリートを中心に交差する横丁の各筋筋にまで小ぶりの商店がびっしり並び、特に魚や野菜などの生鮮食品を扱う店が集中する辺りは、威勢の良い掛け声が飛び交って、いつ行っても相当な活気にあふれた所である。
しかも、なぁ~んにも気取ったところがないのである。
極端にいえばエプロンも外さず、買い物かごだけ持って家を飛び出してきたような主婦の姿や、さして用事もないような、ちょっと年を食った男女が、どこから来てどこへ行くのか知らないが、そぞろ歩いている場所なのである。

夕飯の支度を前にした午後3時くらいから買い物客が増えだし、4時とか5時台のピークには満足に歩けないほど込み合う。
まるで東京のアメ横を彷彿させる商店街なのである。
ゴミゴミしていて、しかも活気に充ちあふれた雰囲気は嫌いではなく、好んで出かけていく場所のひとつと言っても良い。
買うにせよ買わないにせよ、そうした買い物客であふれかえる人ごみに身をゆだねながら、野菜売りの親爺の掛け声やら魚屋の爺さんの渋い売り文句を聞くのはなかなか楽しいものである。

そういう店の一軒に三崎港で揚がった魚だけを扱う店があり、安くて気に入っていたのだが、何の前触れもなく閉店してしまった。
これはとても困るのである。と同時に、周辺の八百屋と競い合うように大声が響く一角だっただけに、今行くと、ぽっかりと真空地帯が出来てしまったかのようで寂しい限りで、居心地もよくない。
水揚げされたばかりの、ピチピチしてキラキラ輝くイワシなどの青魚を山盛りにして売っていた店なのだ。
魚っ食いとしてはとても魅力的で、大切にしていた店なのである。

そう言えば、店に出ていた2、3人の男たちは誰もが歳をとっていたなぁ、と今さらながら思い出す。
寄る年波なのか。そうだとすれば後継者はいなかったのか、と思うが、そこは計り知れない。
腰越でやはり地元で揚がる魚を中心に大きな店を構えていて、いつも贔屓にしていた電車通りの「魚宇」が大晦日を最後に閉店してしまい、途方に暮れていた矢先である。

思えば、鎌倉駅近くの若宮大路に面した鎌倉野菜の直売所の真ん前にも、葉山で揚がった魚を中心に売っていた魚屋があった。
小魚中心だが、魚種が豊富で1尾2尾と細かく買えるのも重宝だったのである。
日曜日など、鎌倉駅方面に出掛けた帰りにはバスで帰る前に必ず寄って、見つくろって買って帰ったものである。
その店も閉じてしまって4、5年は経つんだろうか。

この海辺の町から魚屋が消えていく現象とはいったい何であるのか。
スーパーで切り身にされたパックや解凍したばかりのような冷凍魚を買って食べろというのかい。
冗談じゃない。目の前の海でたくさんの魚が獲れてるんだぜ。

藤沢駅南口のビルの地下の魚屋も地ものを中心に鮮度抜群の魚を並べていたが、今やスーパーみたいな売り方をし始めた。
どこへ行ったらいいのだろう。
目の前の豊富な漁場から水揚げされる新鮮な魚が簡単には手に入らなくなるという不思議さ。こんな理不尽なことがあるか。
変な時代になってきたものである。
それにつけても困ったなぁ…



遅ればせながらサルビアとインパチェンスの苗をポットに移植した。ある程度育ったところで定植すれば、梅雨明けには花を咲かせるはずである
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