平方録

東方見聞録? いえ“東京見聞録”

今回は趣向を変えて“東京見聞録”。それも写真中心のビジュアル化大作戦。


やってきたのは明治神宮


わが句会が訪れた、100年前に造営され、今ではオオタカが生息する明治神宮の“人工の原始林”の話をしたら、妻が是非行って見たいというので、やってきたのである


うっそうとした森の中に静かな池が広がっていて、深山幽谷の趣なのだが、そこは都会の悲しさか、寒暖の差が余りないと見えて紅葉は今一つ


菖蒲田はひっそりと眠っている


清冽な水がこんこんと湧きだしている清正井。まるで水の存在などないかのように澄みきっている


日が当っている樹木の裏側に回ると、晩秋の陽が透けて若葉のような輝きを見せる


園内にある「隔雲亭」。廊下を挟んでガラス戸と内側の障子のコントラストと、その直線的なリズムが何とも言えない日本の美を作り出しているようで、そこにやはり晩秋の柔らかな陽が刺して、いっそう印象深くしている。障子の内側に入り、座敷に座って障子越しに外を気配をうかがえば、それは谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」の世界になるのだろう。隔雲亭は明治33年に明治天皇が皇后のために建てたものだそうだが、戦災で焼失していたものを、昭和33年に篤志家の寄付と社殿造営の残りの材木を使って再建されたものだという。









境内では23日の新嘗祭に向けた準備が進められていて、獲れたての農作物でつくる「宝船」を農協関係者が出て制作に励むところなどがみられた。全国からも特産品が献上され、それがズラーッと並んでいて、なかなかの壮観。新嘗祭が終わったら、新鮮野菜などは大急ぎで食べてしまわなければ腐ってしまう。奉納品を捨てるわけにもいかないだろうから、どう工夫しているんだろう。たたき売りでもするのかね。まさか。
東京の奉納品の中に「樽出しボージョレーヌーボー」なるワインの瓶3本と樽があったが、フランスのボージョレ地区で出来るからボージョレの名がつくのであって、これはこれでご愛嬌なのだが、献上された明治天皇はびっくりではないか?


良き日なんでありましょうか、立てつづけに綿帽子の花嫁行列を見た。婿殿もいたんだろうが…。参拝客も群がって写真を撮り、小春日和の境内は一層華やいで見えましたな。落花狼藉がまた今夜…、そんなわけないか、今どき。


黄色と青色に染め上げられた垂れ幕の感じがとてもおしゃれな色彩感覚で、屋根を支える骨組みが見せる造形の美しさとその塗装の効果も相まって、思いがけないリズムを奏でているのに驚かされる


神社を出て参宮橋から表参道方面への道は猛烈な人込みで、まさに牛歩の歩み。田舎者には大変な思いがするのである。それでも人の流れに逆らわず、と言いつつ人混みから徐々に離れて神宮前2丁目まで。そこで村上春樹が通ったという店で私はバターチキンカレー、妻はバターチキンとキーマカレ―のハーフ盛りを注文。いやはや、懐かしい味のカレーで、美味しかった。神宮前も2丁目まで来ると、人通りは少なくてホッとする。




カレー屋を出てぶらぶら歩き、やってきました神宮外苑。ここでは海辺のアホ丸出しの街と違って、黄葉し始めたイチョウの枝をばっさばっと切り落すような無神経なことはあり得ません。でも針葉樹みたいに、てっぺんを針のように伸ばしていくのもやり過ぎなんじゃないかと思うくらい、見事な樹形を見せておりましたな。でも、ここも人がいっぱい。トーキョーは人が多いですな。田舎者には人いきれだけで疲れます。イチョウ並木の本数は146本。このうち雌木が102本だそうだが、さすがに時期がずれているのかギンナン臭はなかった。
「この明治神宮外苑は大正15年10月22日の創建でありますが、その苑地造成に当たり、青山通り正面からの直線主要道路は、左右歩道の両側に植樹帯を取り、銀杏樹をもって四条の並木を造成することになりました。これは銀杏樹が樹姿端正・樹高よろしく・緑量も豊富・気品高く・公害にも強く・威厳を保ちつつ年間を通しての来苑者に好景観を呈示し、外苑の広幅員街路の並木として最適なものとの考えによるものです」と案内板に書かれていた。まことに恐れ入りました。


そして、すったもんだの国立競技場跡地へ。すっかり更地になり、クローバーが撒かれ、春にはきれいな花畑が出現することでしょう。それにしても、東京にこんなに広い空があったのか、と思わせるほど、広々とした空が広がっておりました。このまんまクローバー広場にして解放したらどうです、なんて声も上がってるんじゃないの。広い空も貴重だし…



絵画館の建物はどうにも陰気な感じがして馴染めない。そして、絵画館前のアスファルト舗装。この舗装こそ、ええい! 頭が高い! この舗装を何と心得る! この舗装こそ日本における車道用アスファルト舗装としては最古のものなるぞ! てなシロモノなんだそうだ。記念碑曰く「明治神宮外苑の道路の舗装は東京市でも大規模で本格的な加熱アスファルト混合物を用いた舗装であり、1926年(大正15年)1月に完成しました。この工事は我が国においてワービット工法を採用した最初の工事であったばかりではなく、アスファルトは国産品(秋田県豊川産)を使用し、当時の最新鋭機による機械化施工が行われました。この舗装は長い年月に耐え、66年間(1992年改良)にわたって車道として使われてきたことは、驚嘆に値します」とある。
そらはそれでフ~ンなのだが、私にとっては太平洋戦争末期の戦況悪化にともなう兵力不足を補うため、大学生まで駆り出して戦場に送り始め、昭和18年10月21日、まさにこの絵画館前で行われた「出陣学徒壮行会」に参加した関東の大学生7万人が、どんな気持ちで雨に濡れたこの舗装路を踏みしめていたのかのほうが関心事である。
あの出陣学徒たちは自らが踏みしめている舗装路が、日本最古のものである何ぞということを知っていたわけもないが、そう思ってこの舗装路を眺めると、感慨もひとしおなものがある。


いちょう祭りが開かれていて、全国のうまいものの屋台が集まって賑わっていた




結局、午前中に原宿駅に降り立って、明治神宮から表参道、神宮前2丁目、神宮外苑を経て赤坂見附まで小春日和のトーキョーをぶらぶら歩き、赤坂見附から銀座まで丸ノ内線に乗って有楽町の交通会館で妻が買い物をし、また銀ブラまで。結局26000歩も歩いてきた。
銀座の街路灯が新しくなったと見えて、柱まで光る物に変わり、それが日本橋まで一体化して続くものだから、まるで光の柱が立ち並ぶ中を行くような気分である。歩道から眺めるよりも、車の運転席から見たほうがよりその感覚に近づくのではないか。銀座のネオンは落ち着いた光を放っていて、けっして嫌いではないのである。




腹も減って、あれこれ考えたが、アメリカ大統領だった息子ブッシュが小泉首相に案内されて出掛けた六本木の焼鳥屋の支店が目にとまり、ここに落ち着く。蕎麦を発芽させたサラダと焼き鳥。焼き鳥はわが地元の小じんまりした焼鳥屋の右に出るところはなさそうで、まァ、こんなものね、と言う感じ。最後の締めに小腹を満たすため北海道の新蕎麦を期待もせずに頼んだところ、香りがあって、歯ごたえも喉越しも良く、思いもかけず美味しかった。分からないものである。

という、何とも気ままなぶらぶら歩きをしたら、普段目につかないようなものが目に留まるもんだなぁ、という1日でありました。
わがトーキョー見聞録はこれにておしまい。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事