鎌倉、大船、藤沢からいずれも4キロである。
横須賀線の鎌倉、東海道線の藤沢に比べて、大船はこの2路線のほか、京浜東北・根岸線の始発駅でもあり、トラブルがあっても3路線のどれか一つが動いている可能性が高い。
渋滞と無縁のモノレールと云う“秘密兵器”も利用できるので、必然的に大船がホームステーションである。
そういう便利な駅だからJRも心得ているのだろう。大船駅の改札を入った正面に大きな電光掲示板が掲げてあって、東京方面へ行く電車の一覧が出発時刻順に行き先と発着番線が表示されている。
特徴的なのは行き先がバラエティーに富んでいることである。
2001年に新宿を経由して宇都宮線、高崎線との直通運転が始まり、従来、横須賀線の成田空港、君津、上総一ノ宮、佐倉、津田沼などの行き先に交じって宇都宮とか小金井、高崎とか籠原といった駅名が加わったことである。
しかし、変わらないのが「東京」であった。
東海道線の朝のラッシュは3分間隔で上り電車が走り、これらすべて「東京」行であった。
これが3月14日から過去形となった。特急列車を除いて「東京」を掲げて走る列車は消えた。
正確に言うと、直通運転すると到着が翌日の未明になってしまう22時以降の時間帯の数本に「東京」が残るのみである。
東京と上野の間に「東北縦貫線」という線路が新しく建設されたため、従来、上野止まりだった宇都宮、高崎の各線が東京駅に乗り入れ可能となったのである。
この新線完成を期しての相互直通運転の開始なのである。湘南新宿ラインに対して「上野東京ライン」と呼ぶそうな。
あまつさえ、常磐線の列車までもが品川まで乗り入れてくる。
こうした感想は、嘆きであり、ボヤキである。
物心ついたときから、緑色とオレンジ色に塗り分けられた流線型の湘南電車と青色とクリーム色の同じ型の横須賀線電車は東京駅の隣合わせたホームから発着していた。
横須賀線は13番線と14番線であった。今は東北新幹線のホームに変わってしまっている。
旅じゃぁなくたって、東京で始発の電車に座っただけで旅情のような、ほっとした、ゆったりした気分を味わったものである。
せめて東海道線だけは東京駅発着として残しておいてほしかった。
理由は上に上げた程度で格段のものはないが、東海道線の起点は東京である。起点が発着なのは当然だろう。
第一、東京を過ぎて赤羽や大宮まで、或はその先まで、多摩川以南の地に住む人間が日常的に利用しているのか?
とてもそうは思えない。各線の沿線に住む人も同じだろう。
群馬や栃木、埼玉の人たちの何人が川崎や横浜まで通ってきているというのか。
上野~東京間の混雑緩和が目的ならば、相互直通運転など一部列車にとどめておけばいいのである。
第一、始発電車がなくなったら座って帰ってこれなくなってしまうじゃないか。
永井龍男の小説「コチャバンバ行」は湘南に住む住人の特性を「争いごとを好まず、暮らしていくのに何とか不自由しない程度の経済力を持ち、自分の生活を大切にする人びと」として描いている。
そんな人種だから、今回のことも特段荒立てることもなく、内心ではJRを呪いながらも表には出さず、何喰わない顔をして不便を受け入れていくんだろうな。
近所では早咲きの桜が満開になり、ボケの蕾も膨らんできた
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