ご近所の○○さんにそう言われたわよ、期待されてるのよ、と妻が言う。
例年、敷地と道路の境界のところに置いてある郵便受けの柱に、大振りのハンギングバスケットにスミレを植えて飾っている。
春もたけなわとなり、百花が繚乱するころになると植え付けたスミレも十分育ってバスケットを覆いつくすように花をたくさんつけるから、まさに花籠がぶら下がっているようで見事である。
ご近所の方はそれを指して言っているのである。
昨年の真夏にスミレの種を撒き、発芽も順調だったが、成長期に入って葉が黒ずむ病気にかかり、多くの株を捨てることを余儀なくされた。
そんなわけで、今年はハンギングはやめようと思っていたのだが、楽しみにしている人がいるというのでは期待にそむくわけにはいかない。
それが人としての道である。なんちゃって、オーバーですな。
手元に苗はない。
忙しい仕事の合間を見つけて、十数年前から、否もっと前からハンギングバスケットづくりを続けてきた。しかも、ハンギングの中身はもとより、庭に植えているスミレも買ってきた苗を使ったことがない。すべて自前の苗で、これぞと思う色の種を通信販売で買って、芽を出させ、育てたものを使ってきたんである。
ハンギングの中身は何でもよいというわけではない。小宇宙のようなものだから、調和と云うものがとても重要で、特に色彩については出来上がったものの善し悪しを左右する大事な要素である。
だからこそ、種を購入する段階から、来年のバスケットはこんな色遣いをしてみよう、などと考えをめぐらせ、種から育ててきたのである。
その苗がないんである。
やむなく、ホームセンターの安い苗の中から、たいした選択の余地もなかったのだが、8苗ばかり選んできた。
例年12月の終わりころ、苗がまだ小さいうちに植え付けて春までじっくり養生させるから、5月の連休過ぎまで実によく咲いてくれるのである。
それが自慢でもあった。
大きく育った、しかも市販の苗を、お彼岸直前に植え込むなどと云うのは考えられないことである。
根がしっかり張ってくれるかどうか。表面を取り繕うのは容易いが、根ばかりは一朝一夕にはいかないのである。
本来なら、“職人”としても良心が許さないのだろうが、心を広く? 持つことにしたんである。
こういうイレギュラーな条件が重なったハンギングバスケットがいかなるものとしてひと春を過ごすのだろうか。その辺りの興味もある。
こだわりを持つことは重要である。一方で、こだわりを捨て去ることもまた大切なことだと思うのである。
こだわりは頑迷に堕ち、こだわりを捨て去ることは信念のぐらつき、あるいは漂流を意味することもあるだろう。
新たな発見などはこだわりを捨て去ったところに現れることがしばしばである。
いずれにも一長一短がある。ならば新しい道に踏み出すことである。疲れたら休み、道が途中で途切れていれば引き返せば良いだけの話である。
アフリカで誕生した人類のグレートジャーニーはベーリング海峡さえ渡り、はるばる南米の南の端までたどり着くのである。
たかがハンギングバスケット一つで大げさな話になってしまった。
水苔を使ってスミレを植え付ける作業は時間がかかる。下準備に小1時間遣い、実際の植え付けに2時間もかかってしまった。
いつもそんな具合である。
黙々と作業し、完成させるまでの過程が楽しいのである。
花がたくさんついている状態で植え込むのは初めてで、どう育つかちょっと心配
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