平方録

オリンポスの果実

38年間過ごした会社の歴代社長の中で、もっともシンパシーを感じていたMさんが亡くなったという知らせを受けた。

まだ75歳。
知らせてくれた友人によると、故郷の秋田で釣りをしていて亡くなったという。
海なのか、川なのか、海に釣りに行ったのなら船で行ったのか、岩場なのか、溺死なのか、それとも別の原因があるのかも、遺族から一報が入っただけで詳しいことは何一つ分からないらしい。
今日日曜日に通夜が予定されているが、連絡を受けた時は何一つ決まっていなかったから、どんな状況で亡くなったのか分からないのも無理からぬことである。
それほど急な死だったわけである。

Mさんが社長時代には、自分自身も重責を担ったから必然的に接する機会は少なくなかった。
プロパーではなかったから、ある日突如としてやってきたわけだが、仕事の中身にはほとんど口を挟まず、しかし常に気にかけてくれていて、折に触れて激励してはくれるが、好きなようにやらせてくれた。
とてもやりやすい社長だった。

ネクタイにこだわりを感じたが、着ているものに気をつけるタイプではなく、失礼ながら傍目にはオシャレとは言い難かった。
飾らない性格で、東北の人らしく酒が強く、酒を愛した。
作家の城山三郎が「粗にして野だが卑ではない」という題名の小説を残している。
モデルは国鉄総裁の石田禮助で、国会での就任挨拶で「自分は粗野な性格だが卑しい性格ではない」と述べたそうだが、Mさんが粗野だったというのはちょっと違うが、この言葉がすぐに浮かぶような、洗練されていない分、決して媚びず、曲がったことの大嫌いな、まっすぐできれいな性格だったように思う。

こういう性格からだろうか、世の中を達者に泳ぎ回っていくようなタイプの人たちからの受けは決して良いものではなかった。
「あんたのところのMはなあ」と何度か悪口を耳にした。
そういうところも好きであった。好感が持てた。
そういう、常にすきをうかがっているような連中にとっては、扱いずらいタイプの人間だったのである。
まぶし過ぎたのに違いない。

1960年のローマオリンピックにボートのフォアの代表選手として出場している。
田中英光の小説に「オリンポスの果実」と云うのがあって、ロサンゼルスオリンピックに出場するボートの代表選手の片思いを描いた作品である。
酔った時、隣に座ったMさんに話したら「読んだ?」と懐かしそうな顔をして遠くを見つめるようなしぐさを見せたのが印象に残っている。
自分から多くを語らない、謙虚な人でもあった。

ちょっと悲しい。




大仏の前を通りかかったら、目の前の病院の庭のハクモクレンが開き始めていた。
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