この朝も抜けるような夏空が広がり、千宗室、養老孟司が講師とあって開門30分前の午前7時前から行列が出来ていたらしい。
らしい、というのは、混みそうだなと思ったので7時10分くらいには総門の前に到着したのだが、和服姿の婦人をはじめ、既に長蛇の列が出来ていた。
しかも門が開くと、これらの人々は先を争うように駆け足で大方丈へ向かうのである。
これにはいささか驚いた。日傘が揺れ、着物の裾が踊り出している。
この日も1000人を超すであろう人々が大方丈と、隣接する書院にあふれかえった。
横田南嶺管長の無門関提唱は24則の「離却語言」というところだが、説明に力が入っていたようだが、まったく理解できなかった。
「…!」
千宗室さんの題は「一期一会を心得る」。
今をときめく茶道裏千家の本家本元である。
宗室の名跡を継いだ時、当主だけに入ることを許される蔵に入って中に収められているさまざまな美術品などあらためたそうだ。その中に利休像の「変え首」が大切に保管されているのを見て、心底驚いた、という話には歴史の深さを感じさせられて、こちらも驚かされた。
千利休が秀吉に切腹を命じられた際、等身大の木彫りの地蔵も首を切られ、胴体は鴨川の河原に打ち捨てられ、さらにどこかに捨てられたそうだが、千家では以来、首をはねられ、胴体が捨てられようとも、首さえ残っていれば復活させられるとの考えから、そっくりに彫った「変え首」を大切に保管してきたそうだ。
千家を率いる一種の覚悟の現れなのだろう。
もう一つ、蔵には切腹に使用した短剣が大切にしまわれていて、父親に見せられたその刃には千利休の脂がいまだに消えずに残っているそうだ。
無言で覚悟を迫っていた、とも言っていた。
これらの話はさすがに、ならではの話で、へぇ~っと思わされるものだ。
主題については、失敗談の数々を聞かされたのだが、結局のところ「千家に生まれ、これまで育ってくる過程で様々な失敗を重ねてきたが、その都度、気付かされるものがあり、反省も重ねることが出来たのが私にとっての一期一会です」ということのようであった。
禅にも打ち込み、さまざまな公職にも就いているということは、その「千家の覚悟」を背負っていることと無縁ではないようである。
それが伝統、と言ってしまえば一言で片付くのかもしれない。
大トリの養老さんの話は面白かった。「『自分』の壁」という題だったが、漫談を聞いている風でもあり、軽妙な語り口は飽きなかった。
余りに話術が楽しいときは、後で何が言いたかったのか反芻した時に、何も残っていないで愕然とすることがある。
こういう時は注意して聞くことが肝要である。少しは人生経験を積んでいるのだ。
で、案の定、話はあちらに飛んだかと思うと牛若丸の如くひらりひらりと舞い、その都度笑い声が起こる。
しかし、カギは題にあったようだ。「自分」にカギカッコが付けられている。如何にも意味あり気である。
英語はIam a boy. と「I」をわざわざつけている。本来「私はなになにです」と言う時にわざわざ「I」はつけない。
かつては英語もAm a boy. だった。
デカルトの「我思う、故に我あり」は「Cogito,ergo sum」で、「我思う」はCogitoだけで、「私は」という文字は無い。
それがいつのころからか、「主体」とかいう「私」がつくようになったのが西洋社会なのである。
してみると「私と」か「主体」というのはナビの画面に表示される矢印みたいなもんですかね、とかフリーターと称する若い人たちが「自分にあった仕事を探しているのです」などと言うのはおかしくないか、などと話は絶えず動き回る。
要するにこんなことが言いたかったんじゃあないだろうか。
「『自分』とか『私』とか『主体』とか、その言葉の裏にあるのは自己主張、或は『自分のため』のような気がする。人間ってのはそうじゃアなくて、他人のため、社会に役立つための存在なんですよね」
さすがに大先生、地元の禅寺での夏期講座だからと、随分と考えて臨んだようですな。
夏期講座着物姿で走る人 花葯
縁側に足投げ出すや夏期講座 花葯
老先生ひらりひらりと夏期講座 花葯
さて、今回のブログは366回目。つまり2年目に突入したわけ。しかも、本日は67回目の誕生日。
鎌倉の街は誕生祝いに今年も花火大会をセットしていてくれたのだが、昨日は波が高くて打ち上げ用台船の設営が出来ないとかで、早々と中止が決まってしまった。何とも残念。
しかも朝から雨! 大暑の雨は珍しいのでは。ほとんど記憶にない。仕方ないから4日間の復習でもするかなぁ…
白い蓮の花が真っ青な空に映えて咲いている。緑青の屋根は山門。瓦屋根は松嶺院。オウム真理教を最初に指弾して殺害された坂本弁護士一家3人はここの墓地に眠る。
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