2人とも東京支社長時代に知り合って親交を深めた友人である。
横浜イングリッシュガーデンのカレンダーを送った御礼のようである。
こんな程度で全国から名産品が届くのなら、来年からは全国の旧知の人全員にカレンダーを届けてみるか。市が開けるかもしれない…
冗談はともかく、全国各地から地方の香りをいっぱいに詰め込んだ特産品が届くのは、品物以上に「あいつのところに送ってやろう」という厚意そのものが嬉しい。
愛媛のミカンとキウイは友人の農園を手伝って手に入れた商品にならない規格外のものであるという。確かにミカンは巨大であった。しかし、味はさっぱりしていて美味しい。キウイはまだ固いがリンゴを入れておくと早く熟すそうである。福島から届いたリンゴは蜜がたっぷり入っていて美味しい品種だし、グッドタイミングである。
今年は山形の友人から「こうとく」という種類のリンゴが届いたし、長野の姪からもリンゴが届いた。医者いらずといわれるリンゴだけでも、随分と頂戴した。米も柿もスダチもサツマイモも秋刀魚も届いた。日本の秋の勢ぞろいである。
リンゴをかじりながらフクシマのことを考えると腹が立つ。リンゴは甘くておいしいが腹が立つ。
津波に襲われたら、という懸念を持ちながら対策を講じて来ず、むざむざと原子炉の暴走を許した行為はどう見たって不作為による犯罪ではないか。「想定外」などという安易な言葉で片づけられるわけがない。東電という大会社にも心底腹が立つが、こういう状況を目の当たりにしてなお、原子力規制委員会でまっとうな意見を述べる委員を体よく排除し、再稼働にむけて突っ走る政権とは一体何であるのか。有権者の声は半数以上が再稼働に首を傾げているではないか。
正しい情報を正確に知らせれば90%以上の国民が原子力発電に首をかしげるに違いない。
20数年前に新潟の東電柏崎刈羽発電所を見学したことがある。その時の技術者の言葉が今でも忘れられない。こう言ったのである。「仮に戦争が起きてF4戦闘機が原子炉を覆っている建物の壁に直角に突っ込んできたら、壊れてしまうかもしれませんが、地震などの自然災害で発電所の施設が被害を受けることはあり得ません」と。じゃ戦争になればミサイルも飛んでくるし、格好の標的じゃないですか、そうなれば原子爆弾を落とされるより大変なことにならないのか、と尋ねたら「人為的にはどんなことも起り得ます」とその技術者は正直だった。
しかし、フクシマは戦争が起こったから引き起こされたのではない。人間の破壊活動に遭ったわけでもない。自然災害によってもたらされたのである。
誰のための政府なんだ。何とかミクスがいったい何であるのか。バブルじゃないか。単なる泡にすぎない。簡単に溶けて消えてしまう泡を、さも大切な玉であるかのように見せているだけ。三百代言のペテン師となんら変わらない。狭い火山列島の真上で人が制御するのが容易でない原子力を利用していくことは、危険が大きすぎる。フクシマの終息にかかる時間は40年とも、それ以上とも言われている。制御不能は明らかである。この際きっぱりあきらめなくてはいけない。フクシマはその判断を迫っているのに、どうしてそのことが分からないのだろう。
この政権は極右政権である。なんとかミクスを隠れ蓑に“敵は本能寺にあり”なのだ。とりあえず脱原発のうねりを取り戻さないと大変なことになる。
愛媛の友人から届いた巨大ミカンと不揃いなキウイ
フクシマの友人から届いたリンゴ
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