今から57年前に、名古屋の熱田神宮の近くで鍛冶屋のT家の次男として
生まれ、家が忙しい赤ちゃんの時は、
おとなしく、部屋にぶら下げてある着物など綺麗なものを眺めて
いい子にしていた。
同居する○さんに良くおんぶされていたそうだ。
幼稚園に入る年齢になり、
兄は幼稚園に通っていたが
自分が通うようになると、3日で嫌いにナリ、退園してしまったとか・・。
小学校のときは、夏には近くの山崎川に、兄弟やいとこ達と泳ぎにも行き
また、中学に入って父親からも剣道を進められていたから
兄に続き剣道部に入った。
しかし、眼鏡を掛けていたため、面をかぶると邪魔にナリ
しばらくしてやめてしまった。
中学生活は兄が優秀なため、あの弟か・・・。と
比べられることは日常的だった。
しかし、学年一位をとったこともあり、さすが優秀なT家の次男だった。
高校は名古屋市立工芸高校に入った。
このとき普通高校を受ければ、旭丘に入れる点数を取っていたのに・・。
と市工芸の先生に言われたそうだ。
家の仕事を継ぐため、工芸に入ったが、
やっぱり、大学を目指し、独学をはじめ
でも、高校の授業レベルは進学校とは全然違うため
浪人。河合塾に行き勉強するが、名大農学部を受けるも涙・・。
父親の仕事も手伝い、岐阜の夜間の機械工学科に入って昼は仕事
夕方岐阜に電車で行き、勉強の生活になる。
しかし、機械工学より、これからはコンピューターの時代!と
先見の明のある夫は、名古屋電気通信専門学院に入って、
大学とダブルスクールで、コンピューターの勉強をして
首席で卒業
丸○○自動車に入社となる。
入社直後、父が癌で死亡。
生きておられたら今の夫にどんな声を掛けてくださったか?
そして、会社生活もあと残すところ3年。
今までも人生、早かったですか?短かったですか?
30歳で私と結婚してから25年充実していたでしょ?
だから、あっという間にここまできてしまったというのが感想でしょ?
(と言わせている)
私も、3人の女の子をもうけ、
忙しいナリに楽しいことばかりでした。これを充実しているというのよね!
私にとって、一番心に残っているのは、
私が33歳のとき、足の骨を折って、入院しその後リハビリと、
辛い毎日を送っていたとき。
毎日泣き言を言う私に、気長に優しく、きっと治るから、と
見守っていてくれた日々のことです。
あの時に、夫婦の絆がしっかり出来上がったのだと確信しています。
この夫には私も一生優しくしたい!って
(誰?嘘言っている!という声は)
辛いときに、本心が見えるものです。
57歳を迎え、あと3年で亡くなったお父さんの年を越えますが、
ずっと、この楽しいT家の主役として、
ドラマは続いていきます。
これからもよろしくね、パパ!
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