この前の土曜日、3週間ぶりに実家へ行き 母の顔を見た。
鬼のような形相であった。
私は ほとんど父のベットサイドで ケアまねさんと 父と話をしていた。
ケアまねさんは父への聞き取りが終わると、
台所にいる母と話をしていた。
今の私は 父とは、母に対する意識をは共有できている。
ただ、父は母にすべてを任せている弱い立場ゆえ、
意見など言えないと、こぼしていた。
父も、今までずっと母に振り回されてきたとこに、
今まで大変だったね!と伝えた。
小さなコロからずっと母はそういえばこんな感じだったが、
娘というものは、母の肩をもち勝ちであった。
私は、父が悪いと思い続けいたと、泊り込みをするようになって知った。
母と、姑にいつも聞きたいことがある!
親や姑、お舅さんの介護をしましたか?と。
姑も、母も 親の介護をしていないのだ。
また、親や姑と同居さえしていない。
文芸春秋(認知症特集)を読んでいて、
共感する箇所を見つけた。
生島ヒロシさんの手記。
「ヘルパーさんによると、舅や姑の介護をした経験のある人ほど
大変さが身に染みていて、施設に入ろうとするそうだ。
逆に経験のない人ほどわがままで・・」
今 母は 近所に介護施設に入る方の話を聞くと、
みっともないとか、二人の子どもがいるのに、とか、言う。
この先、母と私の関係が修復されるとは思わないから、
母に介護が必要になったら、施設なりプロに任せたいと思う。
が、また悶着があるだろうな。
といっても、もう例えば認知症がひどくなっていれば、
分からないのだから、よいのかも
一人娘として、小さな頃から逃げられない縄のようなもので
縛られる付けてきた。
結婚は家を出て 呪縛から逃げるためでもあった。
が、介護はそうは行かない。
親の最期を看取るまで、続く。
父が、母はすぐに忘れるから 泊まらなくても来てほしいと言った。
父一人なら、毎日でも泊り込みたい。
が、母の存在がある。
母による老老介護が原因で、母が疲れ倒れてしまったら困る!
とはじめた 週末2日泊まり介護。
しかし、母は以前より体力気力が戻り、手助けは必要ない。
ヘルパーさんの存在さえ、煩わしがっている。
先月の母との衝突から、どんな時も、
庭に出て草を抜いていても、
スーパーへの買い物にと歩いているときも、母の泣いて怒鳴った出来事が、
頭から離れない。
雑誌や本の、介護という文字に 引きよされる。
「頑張らないで まず 自分が大切!」と、記事を見つけれると ほっとする。
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