母型の祖母は夫婦で床屋をしていた。
小さい頃、三軒茶屋の祖母の家に行くのが好きだった。
良く髪を切ってもらった。もちろんお店なので本当にお客さんが来たりして。
母も理容師の資格を持っていて、小さい頃床屋の娘であることは
嫌だと思っていたと聞いたことがある。
その母にも中学生くらいまでは髪を切ってもらっていた。
大学生や社会人になっても、実家に帰るときには度々切ってもらった。
くせ毛の私は、揃えにくいと良く言われた。
私が高校生の頃、祖母は亡くなり、私が2歳くらいの頃に既に祖父は亡くなっていたので、
そのお店は廃業になった。今はどうなっているのだろう。
三軒茶屋の三宿と言えば有名な界隈だけれども、30年以上前は穏やかな場所だった。
私は今でも、以前住んでいたマンションの近くのお店に、電車に乗って髪を切りに行く。
その後何度も引っ越しをしたけれど、そのお店に通っている。
美容院と床屋が両方合わさったようなお店だ。
私は理容師さんを指名しないので、普通は他の2名の男性のどちらかが切ってくれていたが、
15年近く通っていて初めて、そのお店の名前になっている女性のオーナーさんに髪を切ってもらった。
2人の男性ともお客さんについていたので、コロナ禍で従業員の負担をかけたくないのかな。
髪を切りに行くというのは、自分にとって普通の人がおそらく感じないような
特別な時間で、昔のことをいろいろと思い出す。
そういう自分の懐かしい喪失感を、もう誰もこの世で共有してくれている人は
いないのだと思いながら。
小さい頃、三軒茶屋の祖母の家に行くのが好きだった。
良く髪を切ってもらった。もちろんお店なので本当にお客さんが来たりして。
母も理容師の資格を持っていて、小さい頃床屋の娘であることは
嫌だと思っていたと聞いたことがある。
その母にも中学生くらいまでは髪を切ってもらっていた。
大学生や社会人になっても、実家に帰るときには度々切ってもらった。
くせ毛の私は、揃えにくいと良く言われた。
私が高校生の頃、祖母は亡くなり、私が2歳くらいの頃に既に祖父は亡くなっていたので、
そのお店は廃業になった。今はどうなっているのだろう。
三軒茶屋の三宿と言えば有名な界隈だけれども、30年以上前は穏やかな場所だった。
私は今でも、以前住んでいたマンションの近くのお店に、電車に乗って髪を切りに行く。
その後何度も引っ越しをしたけれど、そのお店に通っている。
美容院と床屋が両方合わさったようなお店だ。
私は理容師さんを指名しないので、普通は他の2名の男性のどちらかが切ってくれていたが、
15年近く通っていて初めて、そのお店の名前になっている女性のオーナーさんに髪を切ってもらった。
2人の男性ともお客さんについていたので、コロナ禍で従業員の負担をかけたくないのかな。
髪を切りに行くというのは、自分にとって普通の人がおそらく感じないような
特別な時間で、昔のことをいろいろと思い出す。
そういう自分の懐かしい喪失感を、もう誰もこの世で共有してくれている人は
いないのだと思いながら。