妻かなし噛みゆけばある梨の芯 冬男
俳人というより詩人だった。
この詩人を生んだ実家のお寺に行ってみた。
隣接する墓地を今頃訪ねてみたのだ。
当てが外れて、手を合わせられず。
しょうがないので、本堂でお賽銭をあげて手を合わせた。
二十代から三十代の時に、いっぱいお世話になった。
よく入院した先生だったが、お見舞いに行き、お小遣いをもらって帰ったこともあった。
いろいろ手伝わされたが、二人だけ。
今では、門前の小僧になれたことに感謝するばかり。
連句の捌きは、別格だった。あんな宗匠はもういないだろう。
また、そのうちに。
俳人というより詩人だった。
この詩人を生んだ実家のお寺に行ってみた。
隣接する墓地を今頃訪ねてみたのだ。
当てが外れて、手を合わせられず。
しょうがないので、本堂でお賽銭をあげて手を合わせた。
二十代から三十代の時に、いっぱいお世話になった。
よく入院した先生だったが、お見舞いに行き、お小遣いをもらって帰ったこともあった。
いろいろ手伝わされたが、二人だけ。
今では、門前の小僧になれたことに感謝するばかり。
連句の捌きは、別格だった。あんな宗匠はもういないだろう。
また、そのうちに。
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