JICA横浜にて、南米日系の中学生に和紙作りを教えさせていただいた。
ずっとJICA横浜で、日本と南米、北米の日系人次世代研修を支えてきたビアさんはまさに架け橋。
その方のご縁だった。
この子どもたちはブラジル、アルゼンチン、ボリビア、ペルー、パラグアイなどから36名。この子たちは素晴らしかったが、そのことはまた。
その中に、アルゼンチンの日本語学校の子が1人。
8年前に和紙紹介のためにアルゼンチンへいった和紙仲間のリーダーは遠矢さんという女性。
私はご一緒できず和紙に書いた書作品のみアルゼンチンへ。
アルゼンチンの日本語学校での交流ができたのも、遠矢さんとその学校のデリア先生とのご縁だった。
その翌年、日本語学校の社会人組のアルゼンチン側が来日。遠矢さんらはデリア先生と再会を果たし、一日、私は書を教えたりして交流した。
今回、日系人協会の方に、デリア先生はいま、校長となっていることをお聞きしたが、遠矢さんはいない。
その遠矢さんは病魔に侵され数年前に亡くなってしまった。
来日しているそのアルゼンチンの中学生に、デリア先生に遠矢さんのことを伝えてくれ、と頼んだ。
遠矢さんもメキシコやアルゼンチンとの架け橋だった。
ずっとJICA横浜で、日本と南米、北米の日系人次世代研修を支えてきたビアさんはまさに架け橋。
その方のご縁だった。
この子どもたちはブラジル、アルゼンチン、ボリビア、ペルー、パラグアイなどから36名。この子たちは素晴らしかったが、そのことはまた。
その中に、アルゼンチンの日本語学校の子が1人。
8年前に和紙紹介のためにアルゼンチンへいった和紙仲間のリーダーは遠矢さんという女性。
私はご一緒できず和紙に書いた書作品のみアルゼンチンへ。
アルゼンチンの日本語学校での交流ができたのも、遠矢さんとその学校のデリア先生とのご縁だった。
その翌年、日本語学校の社会人組のアルゼンチン側が来日。遠矢さんらはデリア先生と再会を果たし、一日、私は書を教えたりして交流した。
今回、日系人協会の方に、デリア先生はいま、校長となっていることをお聞きしたが、遠矢さんはいない。
その遠矢さんは病魔に侵され数年前に亡くなってしまった。
来日しているそのアルゼンチンの中学生に、デリア先生に遠矢さんのことを伝えてくれ、と頼んだ。
遠矢さんもメキシコやアルゼンチンとの架け橋だった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます